オクトーバーフェストでビールを飲む話

いま、世間はGW、というものらしかった。でも私は仕事の都合上、全く関係ない立場にいる。初夏と見まごうほどの晴れがましい天気や、やけに浮かれた電車内、それに加えて女友達の『いつめんでドライブ♪』というインスタのストーリーという3コンボで、祝日も通常営業の私のメンタルは瀕死寸前だった。
それでも私はマシな方かもしれない、と思うのは、友人の入間の働き方を見ているからだ。警察官である彼には、平日も休日も昼も夜もない。世間が浮かれていればそれだけ犯罪が増え、彼の仕事は増える。私にとって彼は、ぽつりと空いた平日休みに、ふらっと会うことができる数少ない友人の一人だ。
いつものように仕事を終えて帰宅し、何となしにテレビをつけた。キャスターが『連休初日の人手は……』と話し始める。へえ、みんな楽しそうでいいね、なんて恨みがましいことを思いながら、スマホを手に取る。ラインのメッセージが入っていることを告げるランプが、ちかちかと点灯している。

『連休が終わった後、どこか空いてる平日はあるか?』

そっけなくて、言葉足らずで、でもどこか神経質さも感じるそのメッセージはあまりにも彼らしくて、私は無意識にくすっと笑った。私は私で、『12か15なら』とこれまた言葉足らずの返信をする。するとすぐさま既読がついて、『了解。では12日は空けておいてください』と返ってきた。これで私達のやりとりは完了だ。いつもながらに、省エネだ。



「乾杯〜!」
「乾杯」

5月12日。GWは終わり、世間の人々は再開した仕事やら学校やらに喘いでいるこのタイミングで、私と入間は青空のもとで、ばかでかいビールジョッキを傾けていた。

「あー、これ飲みやすい!美味しい!」
「そういえばお前、ビール好きだったか?」
「好きじゃないけど、外で飲むと何でも美味しい!」
「はは。幸せなバカ舌だな」
「うるせー」

オクトーバーフェストと言うらしい。入間に指示されるがままやってきた大きな公園には、特設の会場が出来ていて、ドイツビールの屋台が会場を囲むようにぐるりと並んでいた。夏とも春ともつかない、陽気な日差しがじりじりと首筋を焼き付けた。ジャケットいらなかったな、これ。

「ドイツビールって初めて飲んだよ。美味しいんだねぇ、知らなかった」
「名前は気に入ると思ったよ。どのビールにしたんだ?」
「んーなんか、くしゃみみたいな長い名前のやつ」
「……ヘフェヴァイスか?」
「あ!そうそう!そんな名前だった。あは、入間さすが、よくわかったねぇ」
「ま、ドイツビールは結構飲んできたからな」

入間は細い指で眼鏡をくいっとあげて、それからやたらに黒いビールを一口煽った。よくわからないけど様になっている。私もビールを口に入れる前の一呼吸で眼鏡をくいっとするやつやりたい。眼鏡かけてないけど。

「……何してる?」
「やー、入間のその、眼鏡くいってやつ格好いいから私もやりたいなーと思って。エア眼鏡くいやってる」
「……こんなもん、格好いいか?」
「あはは、うん。ドラマとかでイケメン俳優がやってそう」
「そうかよ」

冗談で言ったつもりだったけど、入間はあまり笑わずに眉を寄せただけだった。その表情もまるでドラマみたい、と思ったけど、この種の冗談はお気に召さないようだとわかったので流石に言うのはやめた。手持ち無沙汰に、ビールを飲む。一口、二口、と苦くてフルーティな液体が喉を通り過ぎるのが心地よいので、自分がつまんねぇ冗談を言って滑ったという事実もついでに都合良く忘れることにした。

「食い物が欲しくなってきたな」
「あー確かに」
「適当で良ければ俺が何か買ってくるから、留守番頼む。食えない物あったか?」
「ん、ないっす」
「じゃあ、待っとけ」

そう言うと、有無も言わせず立ち上がり、お尻のポケットに財布を突っ込んで颯爽と歩き去って行った。いつ見ても異様に足なげぇーな。
青空とか、人々とか、残り少なくなってるビールとか、ぼうっと眺めてひたすら待つ。こういうとき、入間は多少強引にでも全部やってくれるので、ついつい甘えてしまうのだ。例えば女友達同士なら、もう少し協力し合う姿勢を示すが、入間はそれすら許してくれない。だからお言葉に甘えて極限まで甘えてしまうし、だから正直言って彼と居るのは楽だ。

「待たせたな。適当に、肉とザワークラウト。あと、勝手に名前の分の追加のビールも買ってきた。そろそろなくなるだろう」
「ありがとー、てか私のビールなくなりそうってなんでわかった?!エスパー?!」
「待ってる間に飲み干すだろうと思ってな。それにお前がまだ飲み終えてなかったら俺が飲めばいいと思ったんだよ」
「ちょうど次が欲しかったんだよー」

ジョッキを受け取り、そのまま口をつけてぐいっと飲む。おお、さっきとはまた違う味だけど、飲みやすくて美味しい。

「ケルシュにしてみたがどうだ?ビールが苦手でも飲みやすい」
「うん、ばっちり!さすが、わかってるねー」
「はいはい」
「あ、お金、」
「ああ、いいよ。今日は俺が誘ったしな。こういうときに気持ちよく飲むために、普段馬車馬みたいに働いてるんだ」
「えーでも……」
「じゃあ次はお前の奢りな」
「……はーい」

そうは言っても、入間が私に奢らせてくれたことなんて、今までに一度もなかった。一応私だって立派な社会人なので、自分の分くらい払えるし、たまには奢られるばかりじゃなくて奢り返すみたいなことも社会人っぽくて憧れるんだけど。友達何人かで飲むときは、流石の入間も勿論割り勘に甘んじているようだが、二人で飲むときはだいたいいつも入間が払ってくれてしまうのだ。

「ケルシュの味はお気に召したか?」
「ん、美味しい!爽やかでごくごく飲んじゃう」
「それは良かった」
「えーと、何だっけ?これの名前……えっと、け、ける……」
「おしいな、あと一歩だ」
「ケル……ム?」
「……お前、銘柄聞く必要ないんじゃないか?」
「えーそんなぁ」

わざとらしく眉を下げて見せれば、入間も可笑しそうに笑う。これが私達二人のいつも通りだ。
(……ん、ていうか、みんなで飲んだのなんて、何年前?入間と二人では結構飲みに行ってるけど……)
ふと疑問が頭に浮かんで、記憶を手繰る。学生時代は、よく数人でつるんでいて、飲みに行ったり、旅行に行ったこともあった。卒業後、入間が警察学校に入り、その後警察官になってからは、不定期休み同士でしか集まれなくなってしまったのだ。てことは……

「ね、みんなで集まったのって、最後いつだっけ?」
「みんなって、大学の?……どうだったか……5年位会ってないんじゃないか」
「5年?!時経つの早っ!大人の5年早っ!」
「はは、そうだな。俺はしばらくお前くらいとしかこうして飲んだりしてないよ」
「私もだよー!入間しか友達いなくなっちゃったよ」
「光栄な立ち位置だな」

私は、入間が眉尻を下げて笑うのをゆっくりと眺めた。こうして、二人で飲むのは、楽しい。長年一緒にいる安心感もある。私はわりと、入間が好きだ。若いときの恋愛みたいなドキドキはないけど、代わりに安心感がある。何となく、こういう感じで関係が続いていって、いつかこいつとぬるっと結婚しちゃうんじゃないかなぁ、なんて淡く考える。

「はあ、つか私達、もう29か。歳取っちゃったよねぇ」
「まあな。大学時代は楽しかったが、俺は今も楽しいよ」
「そりゃあ、天下の45Rabbit様は人生順調でしょうとも」
「……そうじゃなくてな」

少し目線をそらし、また眼鏡をくいっとして、「今のことを、楽しいって言ったんだよ、俺は」と入間は言った。普段あんなに声でかいくせに、聞き取れるギリギリくらいの小声だ。

「あはは!そりゃ光栄光栄。私も楽しいよ」
「ったく、ちゃかすなよ」
「入間が可愛いこと言うからさー」
「いい歳した男に可愛いとか言っても褒め言葉にはならねえよ」
「いい歳、ね。うける。29歳だもんねえ、私達」

29歳。SNSを覗けば、学生時代の友人たちはぼちぼち結婚や出産なんて話題が出始めているし、私自身親からのプレッシャーがないと言えば嘘になる。

「……ね、もしうちらが35になっても二人ともフリーだったら、結婚しようよ」

意気地なしの私にとってこれは、ある種の保険であり、軽いジャブだった。本気で嫌がられたとしても、笑い飛ばされたとしても、傷付かない、……はずだ。

「……あのなぁ」
「わはは!冗談冗談。その時までにお互い、良い相手見つけようぜ〜」
「バカ、お前。自分をもっと大事にしろよ」
「はぁい」

のんきに返事をすると、入間はどこか安心したみたいに、息を吐いた。手元を見ると、そろそろ二人ともジョッキが空くことに気づく。私は二人分のジョッキを集めて手に持った。

「次くらいは奢らせてくださいよー」
「……わかったよ。お前と同じのでいいから、甘くないやつな」
「了解〜」

お財布を探して、入間の真似をしてポケットに突っ込む。立ち上がり、ジョッキを再び一緒くたに掴み取る。

「……あのさ。自分を大事にって、どうすればいいんだろうね?」
「さあな。大人だろ、考えろ」

時間は夕方にさしかかり、少し日が陰ってきた。気づけば、会社帰りと思しき人たちもいる。私はビールを選ぶふりをして、さっきの会話を反芻していた。


(2021/11/06)

指切りはロマンス未満/matinee