この前の埋め合わせをする話


待ち合わせ場所に指定されたのは、ヨコハマ駅から少し離れた場所だった。何でわざわざ?と尋ねると、入間からの返信は『車だからな』とそっけなかった。……そうか、車なのか。車でも、電車でも、まぁもちろん何でもいいっちゃいいんだけど、まさか車だとは思っていなかった私は、不思議と浮き足立った気持ちになっていた。男の子が運転する車に乗せてもらうなんて、随分昔の……一応彼氏というものがいた時以来だ。しかもその時は、あまりにも荒っぽい元彼の運転に私が文句を言って喧嘩になってしまい、車内の雰囲気がすごく気まずいものになってしまったんだっけ。

「えーと、この辺でいいのかな……?」

ヨドバシカメラのあたりで、それらしき車を待つ。どんな車だろうか。入間が自分の車を持っているなんて知らなかったけど、私達はいつの間にか、当たり前に自分のお金で車を買ったりしていてもおかしくないような年齢になってしまったのだ。

「名前」

ふいに目の前のパーキングメーターの所に見知らぬ車が止まり、ウィンドウが開いて、見知った声で声を掛けられた。「う、うん」と曖昧に頷く。助手席に乗り込むと、手をハンドルにかけたまま、入間がもう片方の手で眼鏡をくいっとやる、例の仕草をした。

「さてと。どこか行きたい所あるか?」
「……え?入間が行きたいところあるんじゃないの?」
「俺がか?」
「だ、だって、これって、この間の合コンの埋め合わせでしょ。入間のために私が何かする日だよ」
「……お前、本当に埋め合わせのつもりだけで来たのか?」
「当たり前じゃん、他に何が……?」

入間は、ハァと大きなため息を吐いて、こちらをちらっと見た。表情を見る感じ、怒っているわけでもなさそうだ。でもどこか、困惑したような、焦ったような顔をしている。私は取り繕うように、「どこでも着いてくよ!金魚のフンみたいに」と意味もなくはしゃいで見せた。入間は全く反応してくれなかったけど。

「……とりあえず、海でも見に行くか?」
「えっと、入間、海好きなの?」
「いや……お前は?」
「普通かなー」
「……海じゃなけりゃ、山はどうだ?」
「入間、山好きなの?」
「……いや……お前は?」
「別に普通だなー」
「……」

こういう決めごとで、入間が煮え切らないのはとても珍しい。いつもなら、『肉食べたい!』『よし、じゃああそこだな』というやりとりで即決したり、この前のオクトーバーフェストのように入間が勝手に行き先を決めていたり、という具合にとんとんと決まるので、どうしようかと悩んだ記憶がほとんどないのだ。

「えっと……」
「……腹、空いてるか?」
「え?うん、そうだね、そろそろお昼だし」
「和?洋?中?」
「うーん……和かな……?」
「よし」

入間は1人で頷いて、エンジンを掛けた。

「旨い魚、食いに行こう」

どうやら行き先は、やっぱり海になったらしい。

走り出した車は、迷いなく首都高に乗り込んだ。入間がナビを見ている様子は特になく、頭の中に行き方は入っているのだろう。何故か、私達はどちらも喋らなかった。2人の間を、ラジオの陽気なDJの声と流行りの曲が埋めている。何となしに、ぼうっと前を見ていると、左右を灰色の塀が通り過ぎていくのが目の端に映る。ごお、と高速道路特有の轟音が、絶えず鼓膜を振るわせている。まるで、私達は世界から切り離されて、漂っているみたいだ、と思った。……ちょっと、眠くなってきたな、なんて考えた矢先、視界の外で入間が微笑む気配がした。

「寝とけよ、まだかかるからな」
「……でも、運転してもらってるのに……」
「今にも寝そうな顔して何言ってる」

入間の運転は丁寧だった。ウィンカーを出さずに交差点を曲がっていた元彼とは大違いだ……って、警察官なんだから道路交通法を守るのは当たり前か……そういえばさっきも、信号がない横断歩道で一時停止して歩行者を渡らせてあげてたよな……なんて、どうでも良い思考が、ぐるぐると脳内を回り始める。(……あ、やばい、マジで寝そー……)落ちてくる瞼を何とかこじ開けて、運転席を見た。入間は背筋をピンと伸ばして、真っ直ぐ前を見ている。(そういえば……)ぐるぐると逃げ回るとりとめのない思考の尻尾を、何とか掴もうとするのだが、何しろ規則的な振動と、ちょっと蒸し暑いくらいの車内の温度が心地よくて、どう頑張ってもこの眠気には抗えそうにない。(そういえば……さっきの、どういう意味だったんだろ……)困ったような、焦ったような、……そして少し恥じ入ったような彼の表情と、『本当に埋め合わせのつもりだけで来たのか?』という言葉が、脳内でくるくると舞うのを感じながら、私は眠気に身を委ねたのだった。



「そろそろ、着くぞ」

突然耳に飛び込んできた声に、心臓が跳ね上がるかと思った。閉じていた瞼を開けると、街の景色が視界に飛び込んできて、混乱している頭に追い打ちを掛けてきた。中々焦点が合わず、視線を彷徨わせる。入間の方を見ると、ちらとこちらを見て、穏やかに微笑んだ。

「……私、寝てた?」
「ああ。もうぐっすりと」
「どのくらい寝てた?」
「5時間くらいかな」
「嘘?!」
「はは、嘘だよ。30分くらいだろうな」

ウィンカーを出し、車はゆるゆると交差点を曲がった。空を見ると生憎の曇り空だ。ヨコハマを出た時は晴れ間が見えていたのに、移動している間に空模様が変わってしまったらしい。相変わらず混乱している頭を振って、アイメイクが崩れないよう気をつけながら目を擦った。

「……えーと、ここ、どこですか?」
「言っただろう、海だよ、海」

入間は楽しそうに言う。入間が楽しそうにしているので、何故だか私まで嬉しくなった。


(2021/12/04)

指切りはロマンス未満/matinee