粗大ごみを出しに行く話

困った。私は座り込み、スマホの連絡先一覧の『あ行』をひたすら睨み付けていた。1ヶ月前の私なら、こんなことでわざわざ悩まなかっただろう。引っ越しを控えていて、粗大ごみを集積所に持ち込みたい。そのために車と男手が必要。……そこから導き出せるのは、入間銃兎、ただ一人だ。一ヶ月前のあの時までは。

(だって……)

頭の中でいくら『だって』を並べても、この言い訳が誰かに届くわけじゃない。それでも、私の頭はいまや『だって』の洪水だった。だって。だって。だって。

(だって、まるで、デートみたいって思っちゃったんだもん……)

デートみたい、と思ってしまった私は、つい逃げてしまった。意地でも友達っぽく居続けるために、変にテンション上げて、盛り上げて、できるだけ“それっぽい”空気にならないように。
確かに私は、入間銃兎のことが好きだ。たぶん、家族を除いた人類の中で一番好きだ。それに、いつかこの人と結婚するだろうな、なんて身勝手な夢想もした。結婚するためには、そこに前段階が必要なことも、理解している。

(でも、入間と恋人みたいになるのは、……なんか違うって、怖いって思っちゃったんだもん……)

そんなこと、ワガママだってことは百も承知だ。でも、友達のまま、今の関係のまま、がよかったと思ってしまう。……入間は、違ったのだろうか。

「……っ?!」

スマホを握りしめたまま、少しぼーっとしていたらしい。突然バイブで震えたスマホに驚き、ハッと我に返った。慌てて、画面を見る。そこには、今一番話したくない、いや一番話したい、そのどちらでもある人の名前が、表示されていた。

「入間……」

何と間の悪い男だろう。私は渋々、受話ボタンを押して、電話を取った。

「もしもし……」
『ああ、名前、今大丈夫か?』
「大丈夫っちゃ大丈夫だけど……」
『忙しい?』
「忙しいっちゃ忙しいけど……」
『なんだよ。変なやつだな』

受話器の向こうで、入間がからからと笑った。なんだよ、私の気も知らないで。入間は重ねて、『今週末予定あるか?』と言った。元来、私は嘘を吐くのが苦手だ。無駄な抵抗をやめて、やむなく正直に話すことにする。

「あー、実は、今ちょっと困ってて……ちょうど入間に連絡しようか迷ってたんだよねー」
『……何だよ』
「実は再来週引っ越す予定で……」
『引っ越し?!突然だな』
「いや、引っ越し自体は前々から決まってたんだけど。ただ、粗大ごみを集積所まで持って行きたくて、できれば車を出してくれる男手が欲しいなーなんて」
『……なるほどな』

入間は呆れたようにため息を吐いた。私だってため息着きたいわ。『……お前さ』と言う、入間の声はどこか苛ついているようにも聞こえた。私は慎重に、「うん、なに」と返す。

『……そういうの頼める男友達なんて他にもいるだろ』
「えっと……あはは、そう思う?なら……」
『……いや、何でもない。すまない。……行くよ。名前が頼ってくれたんだしな』

電話の向こうにいるはずの、入間の考えていることは全く解らなかった。ただ私は、緊張したり、安心したりして、一人で目まぐるしくって、馬鹿みたいだ。

「……うん、ありがと」

今週末。あれ以来初めて会う入間が、どんな顔して現れるのか、私は不安で仕方がなかった。



「よし、こんなもんか」
「本当に本当にありがとー!入間のおかげで無事引っ越せそうだよ〜」
「でも、ベッドまでゴミに出しちまって、引っ越しの日までどうするんだ?」
「まぁ布団とかで適当に寝ますよ」
「たく、適当な奴だな」

入間の、無遠慮にからかう笑い方に、私はひどく安心していた。予定通り車を出してもらい、全ての粗大ごみを運んでもらい、集積所に出してもらった、帰りの車の中だ。今から海にも水族館にも行かない車の助手席は、こうも居心地がよく気軽なものだろうか。

「名前が引っ越すなんて、知らなかった。……まぁ、俺にわざわざ知らせることでもないか」
「……?」

寂しそうな横顔に、夕陽が差し込みあかく光っていた。私は何故か、急に居心地が悪くなって、身をよじる。

「……名前と俺は、結構いい友達、だよな。自分で言うのもなんだが」
「……うん。そうだね……」
「あはは、変な顔すんなよ」
「……もとからこんな感じの顔じゃい!」

たぶん、大丈夫だ。いつも通りの、私たちだ。適当にからかったり、意地悪言ったり、笑ったり。この前感じた違和感は、多分私の気のせいだったのだろうと思うくらいの、私たちの普通。

「……何か、安心したよ、俺は」
「うん?」
「名前がいつも通りで」
「えっと……」
「前にお前、言ってくれただろ、『入間しか友達いない』って。……お前が本当はどうだか知らねえけどな。俺にとっては、本当にそうだよ。こうして、たまに飯食ったり、困ったときに頼ったりする女の知り合いなんて、お前しかいない」
「……うん」

赤信号で、車は止まる。入間はゆっくりとブレーキを踏んだ。私は心臓がぎゅっと痛む。唐突に、自分が入間を傷つけているということに気がついたのだ。入間のことは嫌いじゃない、というか、好きだ。でも、どうにかなるのは怖い。そんな自分勝手で子どもみたいな曖昧な態度が、入間を傷つけているのだと。

「……なんかごめん」
「いや、ごめんはやめてくれ。……情けなくなるから」

青信号で、車は発進する。入間は何でもないみたいに、いつも通りの苦笑を浮かべた。この会話が、まるでなんてことないものかのように。ビールの名前いい加減覚えろよ、と言ったときと変わらない苦笑を浮かべている。

「私は入間と、仲良く、ご飯食べたり、困ったときに頼ったり、たまに出掛けたり、そういう今の関係が、心地良いよ」
「……そうだな」

なんとなく、この会話が、今後の私たちの行方を決めるような気さえしていた。まっすぐ前を見る。夕陽はもうすっかり沈み、空全体が暗くなり始めていた。私はもう入間を傷つけたくない。ちゃんと態度を決めなくちゃいけない。次に会うとき、どんな顔をして入間に会うのか、決めなくちゃいけない。私はヒントを求めるように、入間の方を窺い見た。

「……今日手伝ったのは、貸しだと思って良いのか?」
「うん。すごい助かったよ。何でもするよ、何でも言って」
「……なら」

私は息を呑み、じっと耳を傾ける。入間の次の言葉が、私たちの関係を決める、と言っても過言ではないような気がして。

「次はまた、俺の休日に付き合え。浅草でどうだ?」

……え、それ、どっち?



(2022/06/18)

指切りはロマンス未満/matinee