アサクサに昼集合する話

関東に住んでいると、アサクサに行く機会は意外と多くない。というか全くない。私がアサクサに行ったのは、大学生になり立ての頃、上京してきた子と一緒に観光をしに行ったのが最初で最後だった。いつでも行けると思うからこそ中々行かないアサクサ。意外と交通の便が悪いアサクサ。そんなアサクサに、なぜ今更入間と行かねばならぬのか。解せぬ。

「ごめん!お待たせ。乗り換えで迷っちゃって……」
「いや、俺も今来た所だよ」

アサクサという場所が、何を入間と私にとって意味するのか。『どっち』の場所なのか。……考えてもわからなかった私は、とりあえずどっちモードでもいけるように、デニムジャケットとロングスカートにスニーカーという出で立ちで来てみた。うん、これなら友達に見えなくもないし、カップルにも見えなくもない、たぶん。
「じゃ、行くか」と言ってそそくさと歩き出したのは、浅草寺方面だ。「お参りですか」と聞いてみる。「来たから、一応な」と入間は言う。……じゃあ、何が主目的なんですか。
入間は本当に『一応』という感じで、めちゃくちゃ適当に仲見世通り、浅草寺と見て回った。私はただ、ついていくばかりだ。お参りし終え、ようやく入間が立ち止まり、「よし、ついた」と言った。私はキョロキョロと、周りを見る。

「ここって……」
「ホッピー通りだよ。ここで昼から呑むために今日は来たんだろ」
「そうだったの?!」
「ああ。……言ってなかったか?」

そっちかーーー!!!!
と盛大にズッコケそうになるのを何とか堪え、私は安堵の溜息をついた。入間は何でもないみたいに、さっさとすぐ近くの店に入っていく。狭くて、小汚くて、座り心地の悪い椅子の猥雑な飲み屋。そうそう、これだよ、これこれ!と私は勝手にうんうんと頷いて、カウンター席、入間の隣に腰掛ける。

「いいねえ、いいねえ!昼からお酒飲むの、楽しいねえ!」
「何だよ、急にはしゃいで」
「んーん、何でもない。ただ、楽しいなぁ〜って」

お通しの筑前煮をホッピーの白で流し込む。それから、たこぶつ、モツ煮、卵焼き。入間は断りもなく卵焼きの大根おろしに醤油をかけた。それなら私もと、モツ煮に七味を振りかける。

「かけ過ぎじゃないか?」
「まーいいじゃん」
「バカ舌」
「バカ舌で結構結構」

乱暴に口に放り込めば、見知った味が舌いっぱいに広がった。このお馴染みの味が、今の私にとっては涙が出るほど嬉しい。さっきまで色々悩んでいたのも、今思い返せば全部バカみたいに思えてきた。隣を見れば、小狭いカウンター席は入間の長い足には不向きだったようで、窮屈そうに身を捩っている。「あは、狭そー」「お前みたいな短足に憧れるよ」ムカつく、けどこういうどうでもいい会話が心地よかった。



良い感じに酔っ払い、店を出た頃にはすっかり夕方になっていた。「これからどうする?」入間が言う。二軒目は、このままホッピー通りで探すべきか、商店街に戻るべきか、それとも何駅か乗って場所を変えるか。どれも捨てがたく感じた私は、とりあえず入間の意見を聞こうと、「入間はどう?」と漠然と投げかけたところ、入間から返ってきたのは「……ちょっと歩くか」という、私が考えていた三択とはかけ離れた返答だった。

「……うん?いいけど……」

何となしに、歩き出す。両手が、ぶらぶらと手持ち無沙汰に揺れた。
しばらく歩くと、街の喧騒はいつの間にか消え、静かなエリアに差し掛かっていることに気がついた。「えっと、これどこかに向かってる?」「……いや」入間はあまり喋らなかった。
小さな橋で川を渡ったところで、流石の私も、これはまさか、と思い始める。徐々に町並みが綺麗になる。徐々に人が増えてくる。

「ここって……」
「……折角だから、上ってくか」
「……う、うん」

スカイツリー、だ。バカ高い料金を支払って、ご立派なエレベーターに乗り込んだ。
のしかかる重力を感じながら、エレベーターはまっすぐ上へと上っていく。なんとなく、私は上の方を見ていた。(……うん)なんとなく、私は腹を括った。

エレベーターに乗っている間に、どうやらすっかり日が暮れたらしい。さっきまで綺麗な夕焼けの筈だったのに、エレベーターを降りた私たちを出迎えたのは、それはもう酷く綺麗な、夜景だった。

「よ、夜だね……」

……腹を括ったとはいえ、これではなんだかおあつらえ向きすぎるではないか。オーケー、神様、急ぎすぎだぞ。隣を見れば、まるで私と同じように何かに腹を括ったかのような表情をした入間が、東都の夜景を神妙な様子で眺めていた。「あのさ、名前」ウワッ!ヤベ!ついに来た!!

「ちょ、ちょっと待って、入間」
「なんだよ」
「私、入間に話したいことある。だから私が先に話したい」
「……どうぞ」

どっ、どっ、と心臓が無駄に早鐘を打つ。耳から心臓が出てくるんじゃないかと思うくらいの爆音で、心臓が私を急かしている。

「……私、入間のこと好きだよ」
「……名前、」
「で、でも、こういうさ、なんていうのかな?!夜景キレー!みたいな?!妙にロマンチック?!みたいな……!?い、嫌なんだよ……!」
「名前……!?」
「こっ恥ずかしいしさ。……それに、なんか、私達らしくない気がするから」

いや結局夜景をバックに告白っつーものを今まさに私がしてしまっているので完全にブーメランなのだが仕方がない(だってここ選んだの入間だし)。

「……ごめん。私、こんな感じだからさ。恥ずかしくなってちゃかしちゃうの。でも、たぶん、ちゃんとわかってたよ。入間が特別に優しいこととか、ろ、ロマンチックな状況を作ろうとしてくれてたこととか」

話せば話すほど言い訳みたいに聞こえてしまって、ああ、『ちゃんとする』ってとても難しいことなんだなと気がついた。それに、その難しいことを、入間がやろうとしてくれていたことにも。

「ね、もっといろんなところに、おいしいもの食べに行ったり、酒飲みに行ったりしようよ。私だちにしか行けない場所だよ。……私が、入間を好きだなぁって思うのは、きれいな風景を見たときじゃないよ。今日の昼みたいに、『俺も今来たところだよ』ってさり気なくて優しい嘘をついてくれて、それから照れたみたいに笑う時だよ」
「……それってつまり、どういうことだよ」

入間の、眼鏡の奥の眼差しを窺ってみるけど、感情を読み取ることはできなかった。でも知ってる。私が恥ずかしくなってついはしゃいじゃうのと同じ、つい無表情になる入間の癖だ。まだ心臓はバクバクとうるさかったけど、不思議と不安はない。もしかすると、夜景という大きな味方がいるからかもしれない。

「それってつまり。私たちらしく、付き合おうよってことだよ。……夜景をバックに告白したの。どう?かっこいいでしょ」
「そーだな。お前はかっこいいよ」

入間はようやく笑った。私の心臓が静かに鳴る。ああ、やっぱり私はこの人が好きだ。

「で?返事は?」
「.……まさか先を越されると思ってなかった。かっこ悪いな、俺。こんなかっこ悪い俺でいいのか」
「あはは、かっこ悪いね!って笑い合えるのが好きなんだよ」
「そうか……でも、さすがにダサすぎるからな。俺にもチャンスをくれ」
「え?」

入間は突然、片膝をついた。つまり、いわゆる、跪くようなポーズをした。「え、ちょっと、入間、他の人もいるから、」とは言いつつ、偶然にも周りに人はいない。ここにあるのは私達と夜景だけだ。おいおいおい、これって……!

「名前、結婚を前提に、俺と交際してほしい」
「だ、だから、そういうのがさぁ……」
「……いいから、返事は?」

じっと、真剣な眼が私にまっすぐ向いている。私はなぜだか、目をそらさない。そらす必要もない。

「……もちろん、オッケーだよ」
「名前」

入間は立ち上がり、軽く私を抱きしめて、またすぐに離した。「ありがとう」そう言って、照れ笑いする入間の笑顔が夜景を背景にきらきら輝いていて、ロマンチックもけっこ一悪くないなと思ったのは秘密だ。


(2022/12/13)

指切りはロマンス未満/matinee