おはよう、と言える朝を探してる
ひとりの少女が走っている。
そこは道なき道で、夜を照らす街灯も月明りも必要ない、真っ白な闇の底。終わりも始まりも、そのどちらもが判然とせず、不安定で、不確かで、走っても走っても、前に進んでいるのかすら分からなくなる。呼吸は荒々しく弾み、足は鉛のように重い。必死に振り続けてきた腕は今にも千切れ落ちそうだ。否、もう痛みすら白に溶けていく気がした。涙の滲んだ視界の先には、息も絶え絶えな少女を嘲笑うかのように、白く眩い闇が果てしなく広がっている。
それでも少女は走り続けた。
***
麗らかな陽射しに薄紅色の小さな花が咲き、そして儚く舞い散り、無愛想なコンクリートの道に色を添える、そんな季節。糊の効いた真新しい制服に身を包む彼ら彼女らを迎えた烏野高校では現在、校舎の至るところで部活勧誘の色鮮やかなポスターが張り巡らされていた。
目に痛いなあ、などと忌憚なく発した言葉をたしなめられること、早数時間。
「ほら、潔子ちゃん。やっぱり白黒にして正解だったよ」
「そうかな」
校門をくぐって正面の生徒用玄関。三つの学年の入り乱れるそこは校内でも特に混雑する場所の一つで、そしてその人通りの多さゆえか、傍にある大きな掲示板の上ですら混戦の有り様を呈していた。赤、青、緑、黄色――原色やら淡色やらの違いはあれど、部活紹介のポスターはどれもが目に鮮やかで、もう見ているだけで酔いそうだ。
「見よ! この南国の極彩色の鳥たちに紛れた、一羽のカラスのごとき存在感!」
「……それ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる! こういうのは目立ってなんぼだから!」
カラフルな壁の中に、不恰好な人の絵が描かれたモノトーン。男子バレーボール部の文字がなければどの部活のものなのか判別は難しかっただろう。それはさておき、確かにそのポスターだけが墨を垂らしたようにポツリと浮いていて目を引きやすい。
ぐっと親指を立てる茉莉の溌剌とした笑顔に、潔子もつられて口角をほんの少しだけ緩めた。
急勾配のアスファルトの坂を登った先に立地する宮城県立烏野高等学校は、至って平凡な公立高校である。よく見かけるコンクリート建ての校舎、広くも狭くもない校庭、どこか懐かしい教室の風景。特進クラスではその偏差値は二つほど上がるものの、学力は上の下程度、部活動も全国常連のところはほとんどない。文武ともに名門である白鳥沢学園や青葉城西高校とは、わざわざ比べるくもないだろう。
しかしそんな烏野高校にも、上に述べた二校に勝るとも劣らない長所はある。その一つがシンプルながらに可愛いと評判の女子の制服。そしてもう一つが女子生徒の容姿のレベルの高さである。
「じゃ、もう部活行く?」
「その前に入部届を澤村に持って行く」
「あ、そっか」
「これ、茉莉ちゃん一押しの子たちのだよね」
「そうそう! 烏野の名コンビになる子たちだよ!」
そう言って明るく笑った少女の名を、白石茉莉という。新学期より2年5組の名簿に名を載せることになった彼女は、<レベルが高い>とされる烏野女子たちの中でも、際立って優れた容姿をしていた。
ゆるく巻かれた射干玉(ぬばたま)の黒髪に、天鵞絨のように滑らかな白い肌。はっきりした目鼻立ちの中でも特に目を惹く、異国の情緒を感じさせる色の双眸。桜色の薄い唇から紡がれる言葉は、そのどれもがよく通り、耳に心地よい快活さを持っている。
そして茉莉の隣に並ぶ少女――清水潔子もまた、茉莉に勝るとも劣らぬ端正な容貌で、凛とそこに在った。
気さくな笑顔を浮かべる茉莉とは反対に、潔子は物静かな表情でいることが多い。しかし烏の濡れ羽色の髪の艶やかさや、白くきめ細やかな柔肌の瑞々しさ、怜悧な眼差しの麗しさなど、その隠せない色香は居るだけで場の雰囲気を変える。
従姉妹の関係にある茉莉と潔子は背丈も似通っており、またその趣の違う美しさゆえ、並べば百花繚乱のごとく華やかだ。さらに彼女らの親しさも相まって、二人が寄り添うその空間は近付き難く、その間に入ることなどより憚られる。それを証明するように、先ほどから彼女らとその周囲には一定の距離が空けられていた。
――ATフィールド全開って感じ。
この状態で思い出されるのは、あの騒がしい同級生コンビとの初対面だ。茉莉を前にして挙動不審になるのはまだ良い方で、初期の初期には目が合っただけで脱兎の如く逃げ出された。
――あれはショックだったなあ。
茉莉はハイライトの消えた瞳で、小さくふふふと乾いた笑いを零した(隣を歩いていた潔子は突然の悪寒に身を震わせた)。結局、双方の努力と、澤村や縁下など周囲の尽力もあり、当時のことは今や笑い話だ。とはいえ、新入生とはすぐに打ち解けられるといいなあと、茉莉は遠い目で窓の外を眺めた。
ほんわかと暖かな陽気の中、桜の花びらが春風に戯れ、互いを追いかけるように縺れて舞い落ちる。
「楽しみだね」
明るい外光が降り注ぐ廊下にて、顧問のいる職員室を目指して歩く道中、潔子が不意に発した言葉に、茉莉も期待に頬を染め、静かに頷く。
今日という日を、あの肌寒い晴天の日から、ずっとずっと待ち侘びていた。
***
待ち侘びていた、のに。
「何をしとるのかね、君たちは」
体育館の窓から中を覗き見る二人の男子生徒の後ろ姿に、茉莉は力なく笑い、「やれやれ、まさか初日から体育館を閉め出されているとは思ってもみなかったぜ」とわざとらしく肩を竦めてみせた。その動きに合わせ、一つに結われた黒髪が軽やかに揺れる。
放課後になり、部活に向かうべく諸々の用を済ませ、私用のジャージに着替えた茉莉が見たものは、学校指定のジャージを着用していなければ通報されかねないほど熱心に体育館を覗いている<茉莉一押しの新入生>の姿だった。
「う、うわぁっ!?」
「うわぁって」
茉莉の呼びかけに振り返った小柄な男子のリアクションに突っ込みを入れる。失礼だなあ、とからかい混じりに告げれば、しどろもどろに弁明が返ってきた。幼さの残る素直なこの子こそが、茉莉が待ち望んだ小さな雛鳥くんである。
――ようこそ、烏野へ。
その言葉は茉莉の精巧な微笑みに包まれ、ぞくりと雛鳥の背筋を戦慄かせた。
まあ今はそれよりもと、茉莉は長身の男子の方を仕方なしとばかりの笑顔で見やる。その優しい笑みにぎくりと肩を跳ねさせた長身の彼は、とても気まずそうな顔で茉莉を見つめ返した。強張った表情に元々の目つきの悪さも相まってかなりの人相の悪さになっているが、「睨むなよ!」と慌てる小柄な男子とは反対に、茉莉は意に介した様子もない。
「白石さん、ちわス」
「はいこんにちはー」
「えっ、お前この美女と知り合いなの!?」
「中学の先輩後輩でーす」
この呑気な返事は茉莉のものだ。
「ごめんごめん、自己紹介が遅れたね。はじめまして、2年の白石茉莉です。男子バレー部のマネージャーやってます」
「! 女子マネ!」
「あはは、これからよろしくね、日向くん」
「はい! って、あれ、なんで名前……?」
「細かいことは気にしなーい」
茉莉はオーバー気味のリアクションで話題を中断し、「で?」と改めて親愛なる後輩たちに向かい合った。
「ここで何してんの、君たち」
一年生たちは痛いところ突かれたとばかりの顔で視線を交わす。しかしそう間を置かず、長身の方の子――茉莉とは中学からの付き合いになる影山飛雄が、これまでの経緯を語った。
曰く、教頭のヅラを吹っ飛ばし、さらにそれが我らが主将・澤村大地の頭に計ったように落ちた、らしい。
なんだその光景。想像しただけで壮絶だ。悪夢のような現場に立ち会ってしまった田中と菅原の心中を察しながらも、茉莉は堪えきれずに吹き出した。烏野高校の暗黙の了解を入部初日に破るとは、いやはや期待以上の二人である。
「白石さん!! 笑いごとじゃありません!」
「これを笑わずしてどうすんのさ!」
「お腹痛い!」と笑い続ける茉莉に、日向が体育館の方を気にしながら声をかける。
「あ、あのっ、教頭のことは見なかったことにしろって、キャプテンが……」
「サーイエッサー」
茉莉はすっと真顔になりお口チャックの動作をした。主将の言うことは絶対、というような風潮はないが、怒らせたら怖い人ナンバーワンの澤村大地の言いつけをわざわざ破ることはあるまい。
さらにバレー部と教頭は一悶着起こした間柄だ。学校の管理職にある人を無闇に敵に回すこともまた、わざわざすべきことではないだろうと、すでに大笑いをしていくらか気を済ませた茉莉は自分の行動の棚上げにかかった。
「まあ、とにかくさ、影山と日向が揉めて、澤村さんに怒られちゃったんでしょ?」
口の悪さの割に上下関係を重んじる影山が先輩の再三の忠告を無視したのは意外だが、血気盛んな性根であることも知っていたので、大方日向との口喧嘩に気を取られ気づきもしなかったのだろうと、茉莉は簡単に想像できる展開に苦笑した。
「とりあえず、休戦協定でも結べば?」
「それはこいつが全部台無しにしました」
「あ"!?」
「へえ、何したの?」
光のない目で影山を指差す日向を、茉莉は見当をつけながらも神妙な顔で伺った。日向相手ならば威嚇できる影山も、先輩である茉莉に対してはそう強く出られず、恐ろしい形相で日向を睨むばかりだ。
隣から射殺すような視線を感じながらも、日向はその両手で四方八方に跳ねた髪をペタンと押さえつけ、これまた目つきを悪くして、苛立たしげな風を装って吐き捨てる。
「キャプテンに向かって、『日向と協力するくらいなら、レシーブもトスもスパイクも、全部俺一人でやれればいいのにって思います』って」
「うわあ、言っちゃったんだ」
「ちがっ、くはねえですけど! そう思うくらいこいつがドヘタなんです!」
「なんだと!?」
「事実だろうが!」
「君たち学習って知ってる? 現状分かってる?」
前途多難だねぇ、と茉莉は困ったように笑う。しかし内心では今後のためにと冷静に後輩二人を観察していた。はてさて、どうすればこの<一押し>の二人を最良の形に収められるだろうか。
身長差のある二人はしばしいがみ合っていたが、歯噛みするような凶悪な顔で「だいたい」と切り出したのは影山だった。
「俺は戦力になる。部に入る理由なんてそれだけで十分だ」
あまりに傲岸不遜な台詞に、日向は衝撃と共に絶句し、茉莉は「困ったちゃんめ」と片眉を上げる。この勢いのまま練習に乗り込まれても困るので、茉莉は助け舟を出すつもりで「でもさ」と後輩の間に割って入った。
「今のままじゃダメだって言われて、体育館閉め出されたんでしょ?」
「……じゃあどうするんですか。『仲間(チームメイト)の自覚』なんて曖昧なもの、手に取って見せることなんかできないです」
ムスッとした影山の目つきの悪さなど気にも留めず、茉莉は「そうだねぇ」と小首を傾げて見せる。
「影山はどうすればいいと思うの?」
突き放したとも言える茉莉の問いが、日向の耳には少し冷たく響いた。明るく気さくな茉莉の笑顔と、少々イメージが反するからかもしれない。
しかしこれは純然たる茉莉の教育方針<自分で考えろ!>である。別に茉莉が考えるのを面倒に思うからとかではなく、あくまでも相手に主体を持ってもらうのが茉莉の仕事なのだ。自分の考えを押し付けるようなことを、アドバイザーたる茉莉はしてはいけない。
意外そうに目を瞠った日向とは正反対に、影山は慣れた様子でそれを受けると、思考に潜るように目を伏せ、開いた。そして強い光を湛えた切れ長の双眸で茉莉と日向を見やる。
「俺と日向で2対2の勝負挑んで、勝ったら入れてもらいます」
「はあ!?」
「わあ、そう来たか……」
「試合で一緒に戦えば、嫌でも仲間っぽく見えるだろ。手っ取り早い」
「せ、先輩相手にかよ!? 負けたらどうすんだ!!」
「負けねえよ」
当然の懸念を案じる日向に突きつけられた一言は、強固で、強烈で、暴力的なまでの自信に満ち溢れていた。
「俺がいる」
――そう、君しかいない。
茉莉は憂いた内心をおくびにも出さずに影山を見つめた。
夕暮れの美しかったあの日に恩師に告げた通り、茉莉は影山を烏野に誘い、その流れで受験勉強に付き合った(ちなみに第一志望であった白鳥沢の合格ラインには届かず、影山はあえなく落第している)。そしてその際に、茉莉の影山の<勝利を求めすぎるあまり視野狭窄になる悪癖>を何度か矯正しようと試みたのだ。
結果は失敗。惨敗だった。
――コートの中の声しか、届かないんだろうなあ。
なにせコートの中で切迫詰まって露呈する悪癖なのだから、コートの外からいくら働きかけても実は結ばない。
茉莉の矯正は失敗に終わり、影山は乾いてもいない傷を抱えたまま、しかし、それでも進むことを決めた。親愛なる後輩を苦しめるそれが少しでも軽くなることを、先輩として、コートの外にいる者として、茉莉は願うことしかできない。
「あ、あのっ!」
「ん?」
袖を引く日向に、茉莉はそっと耳を寄せる。日向は鼻腔をくすぐる甘い花の香りにどぎまぎして顔を赤くするが、白く艶めかしい首筋に見惚れもするが、とにかく今はあの”王様”の横暴をどうにかせねばと、こしょこしょと口を動かした。
「なんですかアレ! いいんですかアレ! 素ですかアレ!」
「素ですねえ、アレは」
茉莉は仕方なしと笑って日向の肩にポンと手を置く。
「ま、荒療治だと思えばなくはない選択肢かな!」
「アラリョウジ……?」
「おい! お前はできる限り、全力で、俺の足を引っ張らない努力をしろ」
「!!?」
茉莉の言葉にきょとんと首を捻った日向だが、影山の横暴が過ぎる台詞に一瞬言葉を失った。イマ、コイツナンテ言ッタ?
「!!? ハアアアア!? そんなこと言われて『ハイ努力します』なんていう奴いねえんだよ!!」
ごもっともです、と茉莉は固まったままの笑顔で首肯する。
「じゃあどうすんだ」
茉莉に向ける言葉より数段鋭いそれが、日向へとその切っ先を向けた。
「ずっとそっから眺めてるつもりか」
そっから――外から中を、眺めているだけで終わるのか。コートの中に立たてないまま、終わるつもりか。その言葉は的確に日向の琴線に触れた。
一瞬沈黙した日向は窓枠の縁を掴み、その小さな体を引き上げるようにして跳んで、窓の向こうを羨望の眼差しで見つめる。
「――中学で俺が出た試合は、おまえんトコとのあの一回きりだ」
不意に語り出した日向に、茉莉と影山は思わず顔を見合わせた。そんな二人に気づいた様子もなく、三色球の飛び交う体育館の中をただひたすらに見つめ、日向は淡々と言葉を紡いでいく。
「それまで人足んなくて大会に申し込みもできなかったし、場所も無いから、体育館でも廊下でも、いつも隅っこで練習してた」
「…………」
日向という人材を見出してから調査をして知ってはいたものの、本人の口から聞かされると身につまされるものがある惨状だ。日向は体格ばかりでなく、環境にも恵まれていなかった。だから茉莉はこそ思う。
――よくぞここまで、折れずに来てくれたね。
烏野高校からふた山越えた雪ヶ丘中学に訪れた際、日向が烏野を志望しているのだと聞いたとき、茉莉は本当に嬉しかった。烏野に足りないものをピタリと補ってくれる子の存在に、運命なんてものさえ信じそうになったくらいだ。
「――初めての試合、デカい体育館の、あのコートの真ん中に立った時」
二年間人知れず努力し続け、三年目にして待望の新入部員を迎えたことで、ようやく彼は日の目を見た。
「自分が主役になったみたいで、ぐわああってなった」
高揚感に包まれたと言いたいらしい。日向のニュアンスが伝わらなかったのか影山は首を傾げているが、受験勉強に付き合ったおかげで誰よりも影山の学力を思い知っている茉莉としては、「君もだいたい言ってることこんなだよ」と教えてあげたかった。
壁の向こうからは、バレーシューズが床を踏みしめるスキール音、ボールが地面に叩きつけられるスパイク音などが絶えず聞こえてくる。今の重い音は田中のスパイクだろうか。澤村のものかもしれない。欠席続きのエースのものではないだろうから。それはともかくとして、一枚の透明な板越しに広がっているのは、茉莉が中学の頃から見慣れている平凡な練習風景のはずだ。
しかし日向の目には、それが、どう映っているのだろう。
「ずっとそこにいたかったけど、おれがコートに居られたのは、ほんの30分」
「――コートに残るのは強い奴だけだからな」
日向のチームは初戦にストレートで敗れ、影山は決勝戦までは進んだものの、およそ最悪の形でベンチに下げられた。どちらも苦いものの残る最後だっただろう。その苦さが彼らをここまで導いてくれたのかもしれない。
コートの中で敗北を経験したことのない茉莉は、挟む口など持たず、ただ黙って成り行きを見守る。
先に切り出したのは、今度もまた影山の方だった。
「……どうすんだ。多分二人で行かなきゃ門前払いだぞ」
「…………」
何かを堪えるように口を引き結んでいた日向だったが、意を決したように言葉を絞り出していく。
「――今度はちゃんと強くなって、勝ちたくて、烏野に来た。影山(おまえ)のことだって追い抜いてやる!」
真っ直ぐな決意に茉莉は薄く微笑んだ。そう、その負けん気が欲しかった。勝利への執着が欲しかった。
「でも、部に入れなきゃ……練習できなきゃ、なんも始まんない」
日向は窓枠から手を離し、軽やかな動作で地上に降り立つ。
「――バレーボール、やれるなら……!」
これでようやく和解かな、と口元を綻ばせた茉莉の期待を裏切って、日向は日向でとんでもない爆弾を落としてくれた。
「ちょっとくらい嫌なことだって、おれは我慢できる! お前がどんだけヤな奴でも! 極力、視界に入れないようにがんばる!!」
「俺のセリフだバカヤローッ!!!」
「っ……!?」
「あはは、そうなるかあ」
今のところ名コンビっていうか迷コンビだねえ、とからりと笑い、茉莉はその足を体育館の扉へと向ける。必要なこととはいえ、ずいぶんと寄り道をしてしまった。そろそろレシーブ練を始めなくては時間が押してしまう。
扉の上の外れかかっている<第二体育館>と記された板に気をつけながら、茉莉は扉に手をかけ、そしてハッとしてくるりと振り返った。影山と日向は未だに作戦会議の体で言い争っている。
――ウマが合うんだか合わないんだか。
相性は良いはずなんだけどなあ、と茉莉は困ったように相好を崩した。
「そうそう、君たち、宣戦布告はするなら部活終わりにしなさいね」
「ウス!」
「返事は良いんだよなあ」
じゃあまたあとでねー、と喧嘩腰にお互いを見る後輩二人に声をかけ、茉莉は今度こそ重い扉をスライドさせた。くぐった扉の先にはやはり見慣れた風景がある。声を張って挨拶をする茉莉に、選手たちからも同様のそれが返ってきた。
ボールを受け取りながら部員の顔ぶれを見渡すと、いるべきエースと守護神の不在に否が応でも気がつく。茉莉はボールを握った手に力を込めた。それは悔恨の証であり、新たな決意の表れでもある。
『私が必ずそうしてみせます』
恩師に言った言葉に嘘はない。しかし紆余曲折を経て、少しだけ思うところができた。
――努力しなければならない。好機とは、自分で掴みにいくものだ。
ただ、自分一人の力ばかりに頼ってはいけないと、そう考えることができるようになった。
***
少女は走る、走る、走る。
-design from drew