「あれ、来馬さん?」
訓練室を出た所で鋼が心底尊敬している隊長に出会った。人の好さそうな顔を裏切らない、まさに聖人君子のような人だ。物腰が柔らかくて二宮さんとは違い取っ付きやすい。けど捻くれてしまった私は良い人は大嫌いだ。来馬さんも例に漏れず。こんなこと口が裂けても鋼には言えないが。
いつもは軽い会釈だけで済ますのに、なぜ嫌いな来馬さんに話しかけたというと理由は簡単。単純に機嫌が良かったのだ。
「こんにちは橘さん。訓練が終わったところかな? お疲れ様」
「ありがとうございます。来馬さんが本部にいるなんて珍しいですね」
良い人のお手本のみたいな返答。だから私も真似して良い人みたいに返事を返してみる。
「今日はちょっとこっちに用事があったんだ」
「やっぱり隊長って忙しいんですか」
「僕はみんなに助けてもらってばかりだけどね」
「ああ。鈴鳴第一は仲が良いですもんね」
嬉しそうに笑った来馬さんへの返事が刺々しくなったのは無意識だった。だって羨ましいじゃないか。私だって好んであの人達と距離を取ってるわけじゃないのだから。
「そうだ。橘さんこの後何か用事とかあるかな」
「何もないですけど」
「今なら鋼もいると思うし良かったらうちに来こない?」
来馬さんを傷つけないようにどうやって断ろうか。もし私のせいで来馬さんが落ち込んだりして鋼に怒られるのは御免だ。
「ケーキを頂いたんだけど四人で食べきれる量じゃなくて困ってるんだ」
「行きます」
「ありがとう! 橘さんは甘いものが好きだから頼もうと思ってたんだ」
来馬さんに甘いものが好きだなんて言ったことあったっけ。ま、タダでケーキを食べれるわけだしそんなことどうでもいいか。
「戻ったよー」
「お邪魔し、ま」
誰かの部屋に入るときに言わなければならない挨拶は最後まで言うことは叶わなかった。
なんでってそりゃ、目の前にジンジャーエール片手にショートケーキを食べてる二宮さんを見たら誰でもそうなるだろう。
「え、な、んで二宮さんが……」
「おい来馬。どうして橘がここに居る」
二人ぶんの困惑の視線を浴びながらも来馬さんは気にした様子もなく、菩薩のようににこやかに答えた。
「本部で会ってね。甘いものが好きだって前に二宮が言っていたから橘さんにも頼んだんだ」
二宮さんが情報提供者だったなんて驚きすぎてリアクションも取れない。大袈裟に言ったら個人情報漏洩ですよ。
というか二宮さん私が甘いもの好きってしってたんだ。嬉しいかもしれない。ミクロ単位でだけど。
「来馬……」
鬼のような形相の二宮さんに「ひっ」と声が漏れた。嬉しいとかそんな感情は全部吹き飛んで冷や汗が止まらない。あんな顔向けられたら私は恐怖で死ねる。
「橘さんは好きなケーキとかある? 大体なんでもあるよ」
「えっ、じゃ、じゃあフルーツケーキでお願いします……」
「用意するから座ってて」
「ありがとうございます……」
無慈悲にも来馬さんは私と二宮さんを残して奥に消えていった。正直ここから一刻もはやく逃げ出したいが、年上の来馬さんの好意を無下にするのも躊躇われる。覚悟を決めて恐る恐る二宮さんの斜め前の席に腰を下ろした。
「す、すみません。二宮さんがいてるなんて知らなくて……! すぐに帰りますから!」
「謝るな」
「すいません!」
震える声での必死の弁解も虚しく、二宮さんの機嫌は更に悪くなった。そして謝るなと言われたそばから謝る無能な私は今すぐいなくなれ。
二宮さんと私の間にあるのは机と居心地の悪い静かな空間だけ。たまにフォークがお皿に当たった音がするだけで他の音は一切ない。気を抜いたら今にも泣きそうだ。
「おいーー」
「お待たせー。オレンジジュースで良かったかな」
「なんでも大丈夫です! ありがとうございます」
二宮さんの口が動いた気がしたが気のせいだっただろうか。バレないように盗み見ても先程と変わらず黙々とケーキを食べて居る二宮さんしかいない。恐れのあまり幻覚でもみだしているのだろうか。全く洒落にならない。
「いただきます」
ケーキに視線をやった途端に突き刺さる視線が痛い。私にはここで目を合わせる勇気は持ち合わせてはいない。
「あ、これ梨が入ってるんですね」
「林檎じゃないってちょっと変わってるよね」
そういえば、未来は梨が好きだったなあ。梨味のお菓子とかあげたら喜んでたっけ。……食べ物をみて思い出すとか未練がましい元彼か。虚しくなるだけだし思い出すのは辞めよう。
「ーーごちそうさまでした」
味はよく分からなかったけど美味しかったはず。こんなに緊張して食べるケーキなんてもうないだろうな。すっごく疲れたしさっさとお礼を言ってここから退散しよう。
「来馬さん。今日はありがとうございました」
「こちらこそ助かったよ! せっかく来てくれたのに鋼が居てなくてごめんね」
「来馬さんのせいじゃありませんし気にしないでください」
鋼が強いのはこの人がいるからっていうのもあるんだろうな。SEがあるから強いことは確かだけど誰かを守りたいって気持ちは人を強くするから。
「そろそろ帰りますね」
そろそろ上げるのも辛くなってきた口角を必死に上げながらドアノブに手をかけた。「これでやっとひと息つける」そう思ったのに、最後に来馬さんが悪気のない透き通った心で爆弾を落としたせいでこの日は私史上最高についていない日に認定された。
「うわっ真っ暗じゃないか。二宮、橘さんのこと送っていってあげなよ」
来馬さんが何を言っているのか理解した途端、頭が真っ白になって最初に息を吸うのを忘れた。そしたら心臓が止まって頭のてっぺんから爪の先まで動けなくなった。二宮さんも動かなかった。
私と二宮さんの時間は止まって、来馬さんだけが三秒先にいた。