筆先が朱色に染まるそれで自身の爪を彩る。
均等に広げられ、ムラもない仕上がりに自分でしたには上手くいったと感心していると自室の襖が勢い良く開かれた。


「主!俺がやるから待っててって言ったでしょ!」
「あちゃー、ばれちゃいましたか」


ぷんすか。擬音で例えるならそんな感じで片頬を膨らませる加州に気の抜けた笑みで一言謝罪した。



***

「なんでお茶を持ってくるたった数分を我慢できないのかな」
「だから、ごめんって」


私の前に座り、持ってきた煎餅を音を立てて頬張る加州はまだ私が先にマニュキュアをしたことに不満があるようでボリボリと次々に煎餅を消耗していく。
イチオシのお店で購入したそれを私も早く食べたいが、塗ったばかりで乾いていない爪ではまだ食べることができない。加州もそれを分かっているだろう。普段なら「一気に食べるのとか可愛くないじゃん」とか言っているその口はただひたすら煎餅を咀嚼し続けている。


「俺がデコりたかったのに…」


初期刀ということもあり、いつも部隊長を任せてしまっている加州に1日だけの非番をもうけた。
「シッピングとか色々息抜きしておいで」と今朝方、申し分ほどしかない一封と共に言い渡したそれは受け取られることはなく。どうしてと尋ねる間もなく「息抜きに主の爪を俺にデコらせて」と彼の部屋に連れてこられたのであった。

小棚から必要な道具が取り出され、机に並べられる。
「お茶を持ってくるからちょっとだけ大人しく待ってて!」と足早に出ていった加州の言う通り、ただ座っているだけにしようと思っていたのに私の視界を占拠するのは並べられた道具の内の一つである小瓶。
爪紅など塗った経験が一切ない私でもなんとなく分かる品に思わず手が伸びる。
蓋を開けるとそこには持ち主を彷彿とさせる澄んだ液が覗き込んだ私の顔をうつしていた。


「ごめんね」
「…もう。過ぎちゃったことだし、どうしようもないんだけどさ…」


煎餅に伸び続けていた加州の手が止まる。
お皿の上には残り2枚しかない。よくここまで食べ続けたものだ。


「どうして自分でやったの?」


「爪紅なんて塗ったことなかったでしょ?」そう続ける加州の表示にもう怒りはなく、ただ純粋に不思議に思って聞いてきただけのようだった。
以前、私が彼から爪紅を塗って欲しいと頼まれたときに経験がないから自信がないと断わったときの事を覚えていたのだろう。


「やり方も知らなかったじゃん。よく出来たね」


手を取られ、爪を見られる。
私からしたら上手に出来ていたとしてもプロの加州からしたら微妙な出来に見えるだろう。隠したくても乾くのにもう少しかかるであろうそれを容易に動かすことは出来ない。
服に着こうものなら洗濯好きの歌仙から雷が落ちてくる。


「…うん。上手にデコれてるよ」
「ほんと?加州にそう言われると嬉しいな」


褒められてご満悦な私とは裏腹に加州の表情は少し暗い。眉も下がり気味だ。その様子に声をかけようとするも加州の小さく囁かれた声に私は肩を跳ねあがらせた。


「爪紅塗ったことないって…嘘だったの?」
「違うよ!」
「だって…こんなに綺麗に塗れてんじゃん。あの時、経験ないって言ったのは俺にするのが嫌だったからなんじゃ…」
「違う!違う違う!」


どんよりと黒い靄が加州の背後から漂っているような気がする。
否定するために首を横に振り続けるが、それでは足りないと彼の手を両手で握った。


「経験なんてなかったよ!これが初めて!」
「じゃあ…なんで…」
「見てたから!」
「…見てた?」
「そう!加州のこと見てたの!」


「俺のこと…?」切れ長の目を見開く彼の問いに頷いて返す。
すっと私が視線をやった先に加州の視線が向かうのが雰囲気でわかった。


「加州は塗り直すとき、ここ開けてるでしょ?」
「そりゃあ、換気しなきゃだし」


互いの目の先には加州の部屋から縁側に繋がる障子。今も少しだけ開かれているそれは外からの空気と一緒に遊ぶ短刀達の声を届けてくれている。


「加州が塗っているところね、散歩中によく見掛けてたの」


執務も全部終わらせて皆の様子をみるために本丸内を散歩する途中、紅を塗り直す加州の姿は度々、見受けられた。


「あの時、加州のお願い聞いてあげられなかったでしょ?」


返事はない。だけど彼はそれがなんのことかきっとわかっている。


「思い返せばあれが貴方からの初めての頼みだったのに、断わってしまったことが申し訳なくて…。でも練習しようにも何が必要なのかも分からなかったから、だから…」


記憶を思い返す。筆先に紅をつけ、爪先に筆を滑らす彼のことを私はずっと見ていた。


「次、頼まれたときは断らずしてあげようって。加州がやってるのを見てずっとイメージトレーニングしてたの」


持ち主の許可なく、勝手に使ってしまったことは申し訳ない。しかしずっと脳内だけでなされていたそれを試すことができるチャンスに好奇心の赴くまま行動してしまっていた。


「初めてで自分にしては上出来かなって思ったんだけど、」


私の手におさまる加州の手を撫でる。
同じ色で彩られているはずなのに彼の爪先の方が遥かに美しいと思った。


「やっぱり加州には敵わないな」


ぼんっと加州の両肩が跳ねる。彼の方は指先と同じくらいの朱色に染まっている。


「な、なな何それ。俺のこと、ずっと気にしててくれたの?」
「当たり前じゃん、可愛い私の初期刀なんだから」


右手を真っ赤な加州の頬に添える。色に比例してしっかり熱を感じるそこをすりすりと撫でて冷やす。


「結局、貴方の息抜きには付き合ってあげられなかったけど…今回のでコツはなんとなく掴めたから次の機会に加州の爪、私に塗らせて」
「ーーーっ…!」
「え!加州!?」


頬を撫でる私の手に自身の手を添え、いきなり顔を伏せる加州。
ぶつぶつと小さな声は微かに耳に入るだけで明確には伝わってこない。


「こんーーーれも…」
「ん?」


聞き取りきれない声に精一杯、耳を傾ける。少しだけ顔を上げた加州が目を逸らしながら言った。


「今度は主の爪、俺に塗らせて…」


なんとも可愛らしい頼み事をする加州の頬はやはり色付いたままだ。


「もちろん」


その後、近い内に果たされるであろう約束事を交わし、出来栄えは違えど同じ色に染まる私達の指先はそれぞれ煎餅と湯呑みに添えられていた。
夕餉の報告に堀川が来るまで加州と語り合った、そんな彼の非番の日。







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(あとがき)
初期刀ってカンストしてもつい隊長にしちゃう。愛着がすごくある。
いつもありがとう、加州くん。