(場面がころころ変わります。微流血描写あり)




「不動行光、つくも髪、人には五郎左御座候」


一言一句。慈しみ、そう歌ってくれたあの人は、俺をーーー。





ふと、意識が覚める。寝ていた身体を起こし、ぼんやりと辺りを見渡す、が視界には何も入ってこない。昨夜、甘酒飲みすぎたせいかと霞む目を擦り、改めて見遣るとそこは俺の知らない場所だった。


「なんだ…ここ」


自分以外、色のない真っ白な空間。それが果てなくただ続いている。
寝転がっていた床も、目の前も、上もまったく同じ白い空間。周りには目が覚めたらまったく身に覚えのない場所に独り。突然そんな状況に陥れば、いくら刀であろうと不安にならないわけがなく、とりあえず探索しようと軋む身体に鞭を打ち立ち上がった。
天井も床も同じで平衡感覚が狂いそうになる。出口を探すにしても何処にあるのかわからない。方角を示すものもないが此処で自身が起きたと分かる目印にと甘酒の瓶をその場に置く。


「まずは子の方角から調べてみっか」


甘酒のラベルが向いている方角。子の方角に少し足元をおぼつかせながら進んでいく。
此処はなんだろう。どうして俺は此処にいるんだろう。なんでー。この空間に来るまでの記憶は彼にはない。
尽きない疑問を胸に抱きつつ、ひたすら足を進めた。
体感的にそれなりの距離を歩いたつもりだが周りの景色に変化はない。もしかして、あそこからまったく進んでないのでないかと後ろを振り返ると目印の甘酒の瓶は見えなかったので進めているのだろう。
とにかく此処から出る手掛かりを探さなくては。募る不安を握り殺すように手にぎゅっと力を込めて、また一歩踏み出した。


半刻、一刻、三刻。どれほど歩いたのだろう。空間は終わりなどないと言わんばかりに変わらない白が広がっている。
起きたばかりで口に何も入れず、長距離歩いたことによる身体的疲労と見知らぬ空間に独りでいる精神的疲労により、意識とは別に身体は地に伏せる。
水分不足で枯れる喉から空気が漏れる音だけが耳に入る。
このまま、訳わかんねぇ場所で朽ちてしまうのか。自分の行く末を想像し、頬から涙が伝う。
流れ伝う涙を拭うことも出来ず、離れ行く意識が途切れる寸前。
潤い霞む視界にこの空間に来てから初めて自分以外の色を認識した気がした。




鼻腔を擽るやわらかな香りに意識は浮上する。
白以外の色がないあの空間で力尽き倒れた後、自分はー。
ぼんやりした頭で意識を失う前を鮮明に思い出した俺は勢いよく起き上がり辺りを見渡すと、目を見開いた。
自分が最後に見た景色とはまったく違う空間がそこに広がっていたからである。

地面を埋め尽くすように敷き詰めれた白と桃色の小さな花々。
何処からか吹いてきた風により揺れ、甘い香りを漂わせる。
無数に咲き誇る花畑、先程とは違う空間にいたことに大層驚いた。


「今度は、花かよ…」


望む場所に戻れたわけではないことに落胆し、肩を落とす。
なんでこんなところに。場所は変われど知らない場所にいるという変わらない状況に苛立ち頭を乱暴に掻くが突如、背中に訪れた衝撃によってその手は止められた。


「まーたそんな力入れて!乱暴に頭を掻いちゃダメって言ったでしょ!」



背後から聞こえる少女の声。呆気にとられ、フリーズするもすぐさま背後の少女を組み敷き、帯刀していた本体を抜く。

「いったぁ…」

花が敷き詰められているとはいえ、地面に背中をぶつけた少女は痛みにより顔を顰める。
そんな彼女を気にもとめず、剥き出しの色白い喉に本体を添えた。


「怪しい行動とったら殺す」
「急にマウントポジションとられたと思ったら第一声が殺すとか、物騒だね」


殺気放つ俺とは裏腹に少女は愉快気に笑う。
誰がどう見ても圧倒的に不利なのにその顔は優位の者が見せるような余裕のある笑顔だ。優勢なはずなのに少女の瞳に映る俺の方が余裕のない表情をしている。

ーーー突然現れたコイツが何者かはわからない。敵なのか、味方なのか。コイツを殺すのは簡単だけど。今、俺が欲しいのはなにより情報ーーー

刀を握る手に力がこもる。コイツを殺すのは少しでも情報を得たからでもいい。
俺は笑う少女に問うた。


「ここは何処だ?」
「見ての通り。お花畑さ」

「この花はなんだ?」
「可愛いよね、ハルジオンって言うんだよ」

「…なんで俺はここにいるんだ?」
「倒れてたから。あそこじゃ休まらないでしょ?」


少女から返ってくる答えは全て俺が欲しい解答ではない。
明確な答えが返ってこないことに苛つくが、少女の笑顔を見てるとなんだか毒気を抜かれていく感覚を覚える。確証はないが、何故かコイツは敵ではないと自身の直感が働いた。
首筋の本体をどけ、自分自身も少女の上から退く。本体を鞘に収め、はぁと大きな溜め息をついた後、最後の問いをするとずっと笑顔だった少女からそれが剥がれた。

「お前は誰だ?」

さっきまでの笑顔が嘘のように。問いかけた瞬間、少女の表情は無になった。
突然の変化に動揺し、動きが固まった俺をよそに上半身を起こした弧を描いてない少女の唇から声が漏れる。


「覚えてないの?」



覚えて、ないの。ーーーなにを?


俺より少し小さい体躯。胸まで伸びる艶やかな髪には押し倒された際に付着した花びらが散らばっている。
ワイシャツ以外、ジャケットもネクタイもタイトスカートも黒一色の洋服を纏う少女は記憶の中にはいない。
光の宿ってない瞳をこちらに向けられ、必死に記憶を探るもその中に少女の姿はない。
恐る恐る首を縦に振ると少女は「そっか…」と呟いた後、笑顔を見せた。


「じゃあまずは自己紹介からだね!私はいち。貴方は?」


さっきと同じ笑顔、のはずなのに…何故だか少女、いちが悲しんでいるように見え、ずきんっと胸が痛んだ。

「俺は…。不動行光。織田信長公がもっとも愛した刀なんだ」

刀なのに人の身を得ている。そのことに別段、反応を見せず「そうなんだ」といちはやっぱり笑った。




一面ハルジオンが咲き誇る場で二人はたわいもない話を交わした。


「ーーって信長公は俺のこと酔うと歌って自慢するだ。これって凄いことだろ?なぁ?」
「うん。お酒って飲むとたかが外れて本音が漏れちゃうもんね!ホントに不動くんのこと大事に思ってたんだろうね」


いちは聞き上手でどんな話でも笑ってくれる。次から次に織田信長の話や森蘭丸の話など自分を大層愛してくれた主への思いを語る。
随分、長話になっているがいちは一度たりとも顔を顰めたりしなかった。
寧ろ他の話も聞きたいと強請ってくる。それに気を良くした俺も嬉しくなって語る。
人の身を得て、心から笑えたのは初めてのことだった。

ーーーあそこでは、口を開けば信長公の名を口にする俺に対して非難めいた目を向けるヤツばっかで…こんなに沢山、信長公について話せたのは初めて…あれ?

あそこって…どこだっけ?ーーー


「どうしたの?」


話の途中で不自然に止まった俺をいちは心配そうに見つめる。
「具合悪くなっちゃった?」「いや…」小さな違和感を覚えるも、気にすることではないと首を振っていちの頭を笑顔で撫でる。
俺は否定せずに自分の話を真摯に聞いてくれるいちに対面時、本体を向けたとは思えないほどに心を開いていた。


「俺の話ばっかだな、って。いちはなんかないの?」
「んー。そうだな。不動くんに比べたら全然つまんない話なんだけど…」
「気にすんな。信長様には誰も勝てねぇーよ」
「…だね。あのね、私お花が好きで。お庭とかにも色んなお花たくさん育てたんだ」


自分以外の同居人それぞれに似合う花を植えるのが趣味だ、など少女の話は進んでいく。いちほど聞き上手というわけではないが俺も「へー」やら「ほー」と相槌をうって会話を楽しんだ。


「見た目もだけど花言葉も素敵だからなかなか選びきれなくて」
「花言葉なー。この花はどんな意味なんだ?」

足元に咲く花を数本握り、そのままぶちっと勢いよく抜く。
「乱暴!ダメでしょ!」ぷんすかと怒る朝陽を横目に抜いた花を見つめた。華道で生ける花とは違い、野山など何処にでも生えてそうなコレにも意味はあるのだろうか。


「あったとしても大した意味じゃなさそうだな」


俺は抜いた花をいちに渡す。「そんなことないよ」と差し出されたそれを両手で大切に受け取った。


「ハルジオンはね、追想の花。さりげない愛、追想の愛って意味なんだよ」
「追想の…」


頭に機械的なノイズと重い痛みと共に映像が流れ込んでくる。第三者視点から見えるそこは縁側で、泣きながら甘酒を煽る自分と自分の頭を撫でる誰かがいた。その人を覆い隠す黒い靄により、それが誰かはわからない。二人の会話は雑音混じりに聞こえてくる。

「もう泣かないの」
「あの野郎っ…。俺が、ひっく、ダメ刀だからって…!ひっく!」
「ゆきちゃんはダメ刀じゃないよ。長谷部もちょっと気が経ってたんだよ。後で注意しとくからね」
「なんでダメなんだよ!俺はただ、信長様を…!助けたいだけなのにっ…!」


ーーー泣いている自分の気持ちが痛いほど良く分かる。大切な人を、自分を愛してくれた人を助けることが何故いけない?


「…信長公の生き様を守るためにも歴史を変えることは許されない。でも、愛されたことを感謝してるゆきちゃんの気持ちを蔑ろにするのは良くない。だから、ゆきちゃんもダメだけど長谷部も言い過ぎた!今回のことは喧嘩両成敗!お互いちゃんと謝るんだよ?」
「っなんで俺が、」
「愛されたからこそ、ゆきちゃんなら長谷部の気持ちが分かるはずでしょ」


言葉を詰まらせる俺を置いて、その人は立ち上がる。


「信長公への想いを殺せとは言わない。でもここでは、その気持ちは思い忍ばせるくらいが丁度良い」
「思い…忍ばせる…」
「長谷部だけじゃなく薬研や宗三も思うところがあるだろうし…。信長公への想いは私とゆきちゃんだけの、追想の愛ってことで!」


「じゃあ長谷部もお説教してくるね!」と背を向けるその人への思いを結局、俺は…ーーー


「…時間、なんだ」
「え?」

渡したハルジオンを手にいちは立ち上がる。「時間ってなんだよ」ここに時を示す物はない。この空間に来てからどれだけ時間が経ったのかもわからない状況にも関わらず、時間とは。
いちは俺にお礼を言って足を進める。

「ありがとう、不動くん。楽かったよ」
「は?いや、だから!おいっ、どこに行くんだよ!」

どんどん離れていくいちを追いかけるために走る。
こっちは走っているのに対し、いちは歩いているのに二人の距離が縮まることない。

「待てよ!なんで急に!時間ってなんだよ!」

花畑をひたすら走る。息の上がる俺の問いかけにいちは背を向けたまま歩き続ける。応えはない。

「っ!なぁっ!」

ひときわ大きな声を出したと同時にいちの足が止まった。
上がった息を整えるために俺もその場に止まり、膝を手について呼吸をする。額から伝う汗を腕で乱暴に拭い、一歩ずついちへ近づく。

「なぁ、急にどうしたんだよ。なにが…。!」

いち越しに見えたそれに足を思わず止まる。花畑が広がる空間には明らかに場違いな白い扉が鎮座していた。
惚ける俺を振り返ったいちは彼から貰ったハルジオンを手に、もう片方の手で扉のドアノブを捻る。


「意味なんて気にしていないだろうけど…不動くんからハルジオンを貰えて嬉しかったよ」
「まっ!」


手を伸ばすも先に扉の向こうへといちは消えた。
本当に、ここはなんなんだ。一体自分はどうなってしまったんだ。意味不明な空間。突然現れたと思ったら消える少女。頭に流れてきたあの光景。考えが追いつかない頭はずきずきと痛み出す。いちに会ってから胸や頭がやけに痛む。
痛みを誤魔化すために頭を掻くが、「乱暴に掻いちゃダメって言ったでしょ!」といちの声が過ぎった。


「っあぁもう!」


ーーーなにもかも分かんねぇことばっかだ。なにかが足りない気がする。大事なことを忘れてる、気がするけどそれがなんなのかも思い出せない。けど、

「此処にいても何も分からない」

アイツが、いちが教えてくれる気がするーーー

場違いな扉のドアノブに手をかける。扉を開けると眩い光が視界を覆う。光により、先は見えない。その光に包まれるように扉の先へ消えて行った。







「…なんだこれ」
「可愛いでしょ?今朝、薬研と万屋に行ったら見つけてさ。柄にコルチカムだなんて珍しいからつい買っちゃったの」


前と同じ縁側で俺とあの人が話しているのをまたも第三者視点から眺める。最初よりは薄らいだ靄の隙間から見える巫女装束から相手はどうやら女性のようだ。
俺の手には女性から渡された外つ国の茶器。白を基調に真ん中あたりに同じ紫色の花々が一周して彩られている。
指をかけて持てるところがあるそれを見るのは初めてで「ふーん」様々な方から見ていると女性は笑った。


「ゆきちゃんに似合うなーって思って。プレゼントだよ!」
「いいのかよ、ダメ刀なんかにこんな上等そうなもん」
「まーたそんなこと言っちゃう?私からじゃ受け取れない?」
「べ、別にそんな訳じゃ…」
「悲しいな〜。ゆきちゃんのために奮発して買ってきたのに受け取って貰えないと悲しいな〜。…でも要らないなら私が使っちゃおう」


どう見ても態とらしい嘘泣きだが、茶器に向かって伸ばされる手に俺は焦ってその手が届かないように茶器を背に隠す。

「もう渡したからには俺のもんだかんな!返してやんねーよ!」
「…ふふふ。うん、私もお揃いの持ってるから返さなくていいよ」


「じゃーん」女性の背から出てきたのは俺が隠してるのとまったく同じ柄の茶器。

「な、なんだよ!アンタも持ってんじゃねーか!」
「だって可愛いかったんだもん。私これでね、やりたいことがあって」

茶器を彩る紫色の花を指でなぞり、女性は俺の方を見る。

「これで、ゆきちゃんとお茶したいなーって」
「…そんなことかよ」
「そんなこともまだした事ないでしょ?後、個人的なことだけど願わくばーーー」


ぷつんっと女性の言葉を遮って映像が終わった。
目を刺激し続けた光は扉をくぐると柔らかく霧散していく。
扉の先はまた花畑が広がっていた。しゃがみ込み足元の花を見る。先程の白や桃色の花と違い、こちらは薄紫色の花が一種、地面を覆い隠していた。
「この花…」何処かで見た様な。二、三本、葉っぱと共に引っこ抜き、花を眺める。見覚えはあるがいまいち思い出せない。もやもやを抱えながら花を片手に歩く。
いちはどこに行ってしまったのだろう。時間だと突然別れを告げた彼女の真意は彼には分からない、だがこの不思議な空間で一人になるのは得策ではない。彼女を探さなくては。
周囲に目を凝らしていると寅の方角に一つ。
何かあるのが遠目から発見できた。ハルジオンの花畑にあった扉のようなものかもしれない、とそれを目指して走り出す。
見つけたのは扉ではなく、簡要な洋机だった。
丸い西洋の机は対面する二脚の椅子と共に悠然と花畑に佇む。
扉のときより違和感はないが、それでも広大な花畑にあるには不思議な机の上には、机を挟むようにして設置してある二脚の椅子の前にそれぞれ茶器と真ん中には急須が置かれていた。俺は導かれるかのように椅子の一脚に座った。真っ白な空間から紫色の花畑に来るまで、一度も水分を口にしていない身体には目の前にある茶器の中身が大層魅力的に見えた。取っ手部分に指をかけ、中身の紅茶を煽るように飲み干す。一杯では足りない、と急須を取り、おかわりの紅茶を注いでいるときに二つのことに気付いた。
一つは自分が座っていた方の茶器には最初から中身が入っていたのに、向かいにあるそれは空っぽだったこと。もう一つはその茶器を彩る模様が自分が摘んだ、花畑に広がるのと同じ花だということ。「あの人が俺にくれた茶器と同じだ」中身を零さないよう持ち、柄を親指でなぞる。確か名前は。


「コルチカム…。花言葉は、」






「ーーー願わくば、私と一緒にお茶をしたことがゆきちゃんにとって楽しい思い出になればいいなって」
「楽しい思い出?」
「そう、ゆきちゃんの中には信長公との思い出は沢山あっても私とのは少ないでしょ?だからコレでお茶をした時の事がいつかゆきちゃんにとって、楽しかったって思えた思い出の一つになってくれれば良いなって…だってコルチカムの花言葉は、」


途切れた映像の続きが流れる。
女性の手にある茶器はやはりあの空間にあった茶器と瓜二つだ。
雑音混じりだった彼女の声は鮮明に聞こえるようになった。その声を、俺は良く知っている気がする。


「楽しい思い出…」


コルチカムの花畑で一人、お茶会をしていたはずの俺はまた違う花畑に立っていた。腰掛けた椅子から立った覚えもなければ、移動した記憶もない。しかし先程とは違う空間にいた。目まぐるしく変わる空間と脳裏をよぎる映像に脳は疲労を訴えるように痛みを増す。
これは夢なのだろうか。だとしたら一体何処からが…。手に握られているコルチカムだけがあの花畑に自分がいたことを示す唯一のものだった。

あれはきっと俺自身の記憶なのだろう。映像に出てくるあの縁側を見るとどこか懐かしい気分になる。俺の隣にいるあの人を見ると、穏やかな気持ちになる。記憶に出てくるあの人は一体誰なのか。雑音は消えても、あの人を覆い隠す黒い靄はまだ消えない。ハルジオンもコルチカムもあの人と俺に関連する花だった。ならば、きっとこの花も。

橙色の花が今まで同様、地面に敷き詰められ、これまた何処までも広がっている。
その場にしゃがみ、橙色の花弁を撫でる。指の動きに合わせ、揺れる花びらは穢れなく一色に染まっている。さぞ美しい意味があるだろうと忘れている記憶を辿るためにその花々を一思いに抜いた。



また、映像が流れ込んでくる。縁側にいるのは俺とあの人じゃなかった。
服が破れ、あちらこちらから血を流す機嫌の悪そうな俺とそんな俺を威圧的に見下ろす藤色の瞳。


「…またか」
「お前には関係ないだろ」
「…お前が怪我を負うたびに主が憂いておられる。自暴自棄な戦闘は周りの者へも迷惑だ。控えろ」
「これが俺の戦い方だ」


口に溜まっていた血をぺっと庭先に吐き出し、男の横をすり抜ける。
「今代の主からも寵愛を受けているのに何故貴様はまだ…!」足早にその場を去る俺にその先の言葉は聞こえなかった。

「まだ…織田信長に執着する!?」


黒い曇天の空は今にも泣き出してしまいそうだった。
映像はまだ終わらない。縁側から場所は変わり、長い廊下を足早に歩く俺。もんもんとした気持ちが映像を見てる俺に伝わってくる。



ーーーあの人が俺を気にかけてくれているのは知ってる。ダメ刀で大それた活躍が出来ず信長様がいらっしゃる戦場で心が乱れ、なりふり構わず刀を振るい怪我を負う俺をあの人が憂いているのだって知ってる。俺を見る目も撫でる手も全部、慈愛に満ち溢れてるのも分かってる。でも!…何故それをしてくれるのかは分からない。あの人に貢献したわけでも忠義を尽くしたわけでもない。なのに…胸の奥がこんなに苦しくなるほどの愛してくれる理由が俺には分からない。ーーー


動き続けていた俺の足はある一室にたどり着くとぴたりと止まる。「…なぁ、入ってもいいか?」「ゆきちゃん?いいよー」閉じられた襖の向こうから聞こえるのはあの人の声。襖を開けた俺の姿を視界に入れると彼女は目を丸くした。


「丁度ゆきちゃんに渡したい物がっ、て!どうしたのその怪我!出陣帰り?手入れしに行こ!」

急いで立ち上がろうとする彼女を手で制する。物言いたげそうだったが並々ならぬ俺の雰囲気を感じとって大人しく元の場に腰を据えた。俺も彼女の正面に座る。

「…どうしたの?」

ーー俺のこと、どうして愛してくれるんですか?ーー
聞きたいことは一つだけなのに、いざ本人を前にするとその言葉は前には出てこない。俯き、視線を彷徨わせながら、もごもごと口をもたつかせる俺を急かすわけでもなく、追い出すわけでもなく、ただ黙って先を待ってくれている。
相手の思いを聞くことがこんなに緊張するものだとは刀の身では分からなかった。汗ばむ手を握り、熱を宿す顔を上げると視線に止まる小さな花瓶に差された橙色の花。

「あれ、」
「ん?あぁ、キンセンカだよ。遠征のお土産にって宗三がくれたの」

「可愛いよね」そう言って花へ向ける彼女の表情を俺は良く知っている。だってそれは、今まで俺に向けられてきた表情と同じだったから。
速かった鼓動も、身体を巡っていた熱も一気に弱まっていく。
そうだ、この人は慈愛に満ちている。


「意外とね、明るい色をした花の方がね。物悲しい意味が多いの」


道端に咲く花と歴史に名を残す名将が最も愛した刀に同等の愛を捧げるほどに彼女の愛は誰にだって、どんな物にだって、残酷なほど平等だ。


「キンセンカは慈愛の花だって言われてるんだけど花言葉は切なくて静かな思い、別れの悲しみとかネガティヴな意味が多いんだ」


俺は彼女に特別愛されているわけではない。
そう気付くと同時に無意識に本体を抜いた。そしてそれのまま、

「ゆきちゃん?」

彼女の腹部に突き刺す。白衣がじわじわと鮮血に染まっていく。突き刺したそれを勢いよく抜くと傷口から血を吹き出し、飛び散った血が付着している畳に彼女の身体がどさりと倒れこむ。


「俺はっ…あんたのこと…!」
「ゆ、き…ちゃ、」

血に染まる彼女を眺める俺に、力なく伸ばされた腕から彼女を覆っていた靄がだんだんと晴れていく。痛いのに、苦しいのに、泣きたいのにこんな状況でも笑っている彼女は、いちだった。






青や白、桃色など色は違えど同じ種類の花々が生い茂るそこに俺は立っていた。
映像の中で血に濡れていた両手に握られているのはあの人との思い出の花々。そうだ、俺は。走馬灯のように頭を過るこの身を得てからの記憶の数々。この空間に来てから朧げだった記憶は全て戻っていた。自分が、彼女を刺したことも全部。


「そりゃ、あんなことしといて忘れてたら怒るよな」

「覚えてないの?」とハルジオンの花畑で悲しげだったいちの顔が過る。
あの人に、謝らなければ。きっとここにいる、いちに。俺は直感の赴く方へ足を向けた。

ハルジオンにコルチカムにキンセンカ、彼女と俺の思い出に残る花々は民衆から格別美しいと愛でられているわけではない。
祝い事の席や想い人への贈り物など豪華絢爛な華が日を浴びる中、それでもいちは道端に咲き誇る野花の方が好きだった。「見目だけじゃなくて、何に頼るわけじゃなく自分一人の力で健気に咲き誇る花のなんと美しいことか」

不意に足が止まる。名も知らぬ花が揺れるそこに、探していた人物の姿を捉えた。
色とりどりの花畑に似つかわしくない漆黒の棺の側に座り、中を覗き込んでいる女性は間違いなくずっと探していたいちだった。


「いち…」
「…あーぁ。私一人だけでやるお葬式のつもりだったのに」


名を呼ぶといちは立ち上がり、俺の方へ振り返って「思い出したんだね、ゆきちゃん」と笑った。


ここはきっと、生と死の境目的な場所なんだろうね。
ゆきちゃんに刺された後、気が付いたらここにいた。びっくりしたよね、目が覚めたら異空間だなんて!どこのSF漫画だよって。最初は驚いたし怖かったけどあまりにも何もないものだから暇で暇で。鶴丸さんじゃないけど退屈で死にそうだったぜ。え?似てない?そうかな〜、結構自信あるんだけど。ははっ、違うよ、ゆきちゃん。能天気なわけじゃなくて笑ってたらさ、どんな状況でも楽しいって脳が錯覚するんだよ。一種の自己防衛ってやつ?うん、そう。いくら審神者だろうと未知の世界は怖いって。誰だって自分の知りえないモノとの出会いは驚きと恐怖が入り混じっているでしょ?どれだけ歩いても白以外なかったあの空間で、倒れてるゆきちゃん見たときは焦ったよ。意識ないし、泣いてるし。どうしようってさ、それで気付いたら倒れてるゆきちゃんと一緒にあのハルジオン畑にいたの。瞬間移動のごとく、ほんとに一瞬で!もう驚きの連続だったよね!周りになんかないかなと探索してる間にゆきちゃん起きてるし、話しかけたら第一声が殺すとかさ、極め付けはゆきちゃんの記憶がないときたもんだ!もう驚愕し過ぎてお腹いっぱいだったよ。

隣に体操座りしてけらけらと笑ういちと、さらに彼女の隣に鎮座している漆黒の棺の中には色白く血色をまったく感じないいちが手を組んで眠っている。


「時間っていうのは、」
「うまく説明は出来ないけど、この空間から離れる時が近づいてるって感じてなーんか導かれるまま、あの扉をくぐったらここにいたんだよね」


「喪服っぽいなと思ってたら目の前に現れたの自分の死体だよ?びっくりして腰抜かしちゃった」気丈に見えるがいちの真意は見えてこない。いくら肝が座っている彼女であろうと、自分の死を認識するのは相応の恐怖があったに違いない。


「ゆきちゃんからハルジオン貰えて、もう満足だった。思えばゆきちゃんからお花貰ったの初めてだね」

彼女は知らない。俺が遠征帰りに道端にあった蒲公英を摘んできて渡せないまま枯らしてしまったことを。
「葬いの花ハルジオンだけで十分だと思ってたけど、それも欲しくなっちゃうな」彼女の視線の先には俺の手にあるコルチカムとキンセンカ。「私にくれる?」といちが示した先には眠る彼女。よく見ると組まれている手には渡したハルジオンが添えられている。


「渡したら、どうなるんだ?」
「確証はないけど、ゆきちゃんはきっとここから出られるよ」
「あんたは…?」
「さぁ?わかんない。でもきっと、ゆきちゃんとはお別れだろうね」
「おわ、かれ…」
「うん、だって私死んじゃってるし」

いちは死んだ。彼女を殺したのは他でもない俺自身。
いちは俺の手を引き、立ち上がる。

「神様に感謝しなくちゃ。変なとこに連れてこられはしたけどこうやってゆきちゃんとまたお話出来たんだから」

手から伝わる温もりは確かに彼女がそこにいるという何よりの証拠なのに、いちは死んでしまった。俺が、殺した。

「…ねぇ、ゆきちゃん。お別れする前に一つだけ聞きたいことがあるの」

俺の手を包む彼女の両手に力が込める。その手は微かに震えているように見えた。

「私、ゆきちゃんのこと愛せてた?」

ぽつりっと手に落ちてきたそれは、いちの涙だった。
泣いている。この空間でも、記憶の中でもずっと笑っていた彼女が涙を流している。

「信長公がどれだけ素晴らしいお方だったのかゆきちゃんのお話聞いてよくわかった。ゆきちゃんがどれだけ信長公を慕っていたのかも…。それだけ大切に愛されたら忘れられるわけないよね。…そんな貴方の中に少しでも私という存在を残せましたか?」


涙で潤う彼女の瞳は不安げに揺れている。
…なんだ、彼女も俺と同じだったんだ。ただ愛して欲しかっただけなんだ。

「…なんて、刺されてるんだから分かれよって感じだよね」
「違う!」

あの時、伝えられなかったこと。今言わなきゃ駄目だ。勘違いしてしまったまま、お別れだなんて…!
あぁ、だから神様は俺と彼女をもう一度会わせてくれたのかもしれない。


「あんたが俺を愛してくれてるのなんて知ってる!大切にしてくれてたのも十分感じてた!…でも!なんで俺なんかを大事にしてくれるのかは分かんなかった」

彼女を前に言えなかったことが嘘だったみたいに次々と溢れ出す。
一度たかが外れてしまえば、言葉は止まらない。

「功績を挙げたこともなければ、忠義を尽くしてるわけでもない俺に…!どうして優しくしてくれるのか分からなかった…!あれだけの名剣名刀が揃うなか暇さえあれば呑んだくれてばかりの俺がなんで貴方から寵愛を受けてるのかってずっと貴方からの愛情を感じるたびに考えてた!貴方にとって、もしかしたら俺は特別なのかも知れないって…そう思ってた…」


でも、そうじゃなかった。

「あのとき、キンセンカへ向けた貴方の表情は…ずっと俺に向けてきたのと同じで。俺はべつに、特別だったわけじゃないって気付いたら…」

気付いたら…貴方を刺していた。
身勝手な感情の赴くまま朝陽を、彼女の愛する花への嫉妬で主を傷つけた。なんと愚かな刀であろう。
彼女に合わせる顔がなくて俯く。込み上げる涙を流す資格なんて俺にない。
「ゆきちゃん」黙って俺の話を聞いていたいちに名を呼ばれ、顔を上げると唇に触れた柔らかな感触。


「なっ、」
「特別だったよ」

接触したそれに驚く俺は続く彼女の言葉に更に固まる。


「ゆきちゃんのこと、特別な意味で好きでした」

その言葉に我慢していた涙が溢れ出す。そんな俺を見ていちも泣きながら笑った。「…どういう意味か、知りたい?」
知りたい。俺はずっと、その言葉は直接聞きたかっただけなのだから。けど…


「知りたい。でも、今はいい」
「…なんで?」
「貴方の先を奪ったのになんの償いもしないまま、その言葉は受け取れない」


自分勝手に奪ってしまった貴方への償いをしないと、彼女の隣を歩く資格はないとそう思うから。だから、

「貴方が請け負っていたお役目を最後まで果たし終わったとき、もう一度貴方に会いくる。…その時、聞かせてください。いちの想い」


涙は流れまま、彼女の両手に包まれている手は情けなくも震えている。
自分の気持ちを正直に相手に伝えるのはどこか恐ろしい。それでも、伝えなきゃ伝わらない。
涙でぐちゃぐちゃの俺の顔を見ていちは「…はい」と頷いた。慈愛に溢れた俺の大好きな顔で。彼女から離れて棺に近づく。

「待ってる、ずっと。だから…忘れないでね。私のこと」
「忘れない。絶対。また会う日まで」

棺の傍に寄り、地面に咲く花を数本抜く。それにいちは驚き、声をあげた。

「ゆきちゃん!…そのお花知ってたの?」
「知ってる。勿忘草…だろ?」

抜いた勿忘草をコルチカムとキンセンカとともに束ね、小さな花束を作る。
葬いの花にしては質素だが、俺と彼女にはこれでいい。

「花言葉は…」
「…私を、忘れないで」

貴方が好きなものだから知りたいと誰にも知られないように購入した本に載っていた花言葉。
一番渡したかった蒲公英はここにはないから、代わりに白と青の勿忘草を貴方に贈ろう。
眠る主の手に花束をそっと置く。立ち上がり、いちと向かい合った。
さぁ、お別れの挨拶をしよう。


「…待っててくれ」
「うん、待ってる。…さようなら。ーーーー。ゆきちゃん」


別れの後に紡いだ彼女の言葉は唇が微かに動くだけで音にはならなかった。でも俺には何を言ったのか、しっかり伝わった。
その言葉に俺も声に出さず応える。


「ーーー。また、な。朝陽」


いちも俺も、勿忘草の花畑も全て淡い光に包まれて消えていった。






遠征から帰還し、戦装束から内番服に着替えていると目に留まった時計。

「さて、と…」

時間だと袖に白衣を通した俺に同じく遠征帰りで共に着替えていた乱が声をかけてくる。

「どしたの?」
「あぁ。大将の治療の時間だ。腹の包帯替えてやらねぇとな」

「そっか!じゃあ主さんに渡して欲しいものがあるんだけど」と乱が渡してきたのは帰り道に咲いてあった野花だった。


「主さん、お花好きでしょ?お見舞い品に…本当は直接渡したいけど、」
「そりゃあ、まだ無理だな。快調な兆しだが、安静するにこしたことはない」


「お前が行くと騒がしいからな」と笑うと「そんなことないもん!」と頬を膨らませて怒った。


先日。俺達の大将が何者かに襲われた。
夕餉は全員で、と決まっているのに時間になっても現れない大将と不動を捜していると大将の執務室にて全身血に染まって倒れている二人を近侍が発見した。
不動は中傷、大将は腹から血を出していて致命的ではないにしろ出血量から命が危ういのは間違いなかった。
幸いにも微かにあった呼吸に大将の治療を急ぎ、なんとか一命を取り留めたが彼女の傷はまだ完治していない。
一体誰がこんなことを、と敵と交戦したであろう不動に話を聞こうにも手入れを施した後も奴の意識はなかなか戻らなかった。
近くにいながら仲間や大将を守れなかったことに各々が自己嫌悪してるなか、先に意識が戻ったのは大将だった。
「生きてる…」血の気のない顔で大将が起きたときはそれはそれは阿鼻叫喚だった。部屋の一室に全員が押し入り、「無事でよかった」やら「敵を抹殺する」やら自分の気持ちを吐露しまくった。あまりの騒がしさにこのままでは治るもんも治らんと部屋の出入りを禁止した途端に開かれた襖。
「さっき禁止したばっかだろうが!」と怒鳴ろうとした先にいたのは意識の戻っていなかった不動だった。
急いで来たのだろう、肩で息をして大将を見る不動の目は信じられないと言わんばかりに見開かれている。
大将も同じように不動に目を向けたが、すぐいつも通りに笑った。

「…ゆきちゃん。会えたね」

その後、ぶわっと泣き出した不動が凄い勢いで大将にタックルして「傷開いたらどうすんだ!」と怒る俺を「まぁまぁ」と不動を笑いながら受け止めた大将にこの人は死んでも蘇ってきそうだなと感じた。



乱と別れ、託された花と治療道具を持って大将の部屋の前に来るとちらりと見えた髪先。
本人に気付かれないよう背後に回り、耳元でそっと囁いた。


「なーに、やってんだ?不動」
「うわっ!?…な、なんだ薬研かよ。驚かせんな!」

肩を跳ね上がらせて驚いた不動の手には野花。

「また持ってきたのか?もう少し良くなるまでまだ面会させねぇって俺っちちゃんと言ったよな?」
「わ、わかってっけど…」

言葉を詰まらせる不動に思わずため息が出る。
意識が戻って早々やらかしたあれ以来。不動と大将を会わせていない。
以前とは人が変わったように大将に抱きついて離れない不動がいては治りに支障が出るという判断のもとだった。
「完治まで会わせてやれない」と何度言っても毎日足繁く通い、花を置いてく姿から以前の面影はない。
まったく、意識ない間に何があったのやら。

「見舞うくらいはいいじゃんか」

…まぁ前より明るくなったようだから良いか。

「仕方ねぇな。ほれ、渡しといてやるよ。今日はなんの花だ?」
「! ありがとな、薬研!背高泡立草ってんだ」
「ほー。大将の好きそうな花だな」
「だろ?…頼んだよ」

花を受け取ると大人しく立ち去る不動の背中に声をかける。

「なぁ!不動!…本当になにも覚えてねぇのか?」

意識の戻った後、誰がこんなことをいう俺の問いに大将が応えたのは覚えていないだった。「ゆきちゃんとお話してたら突然襲われて…。そこから覚えてはない」そう大将が言ったときの不動はどこか苦々しい表情だった。


「…覚えてない。けど」

不動はこちらを振り返ることなく、言った。

「今度こそ、あの人を守る」
「………」

ほんと、えらい変わっちまって。
表情は見えないが、その言葉に宿っている意識に相応しい顔つきをしていることだろう。

「…なぁ薬研。あの人に会えるようになるの後どのくらいかかるんだ?」
「そうさなぁ…。今日の具合によるが容態は良好だからな。そろそろ会えるだろうよ」
「…そっか」
「快調祝いしてやらなくちゃな。なにするか考えとけよ」
「もう贈りたい物は決まってるよ」
「お、なんだ?また花か?」
「うん」
「花なら俺っちが渡してやるってのに。別のにしたらどうだ?」
「いいんだ、あの花は…。」




「よぉ、大将。待たせたな。これ乱から見舞い品だと。…あぁ。わかった、伝えとくよ。こっちは不動からだぜ、背高泡立草だとさ。…ほぉ。見舞いにはぴったりの花だな。大将も詳しいがあいつも詳しいねぇ。ははっ、近いうち会わせてやるからそう急ぐなって。あいも早く大将に渡したい花があるらしいからな。ん?あぁ、俺もそう言ったんだが自分の手で直接渡さないと意味がない、だとよ。いやー、ほんと…愛されてるな、大将」