春うらら。
陽気な気候のもと、わたしは今日この帝光中学校を卒業した。

堅苦しい式も終えて、親しい友達と中学生生活最後の1ページを余すことなく写真として切り取った自分にはもう、やり残したイベントはない。
だけど帰る間際になって、友達ひとりの「今から黄瀬くんに告白してくる!後ろで応援してて!」の発言で状況が変わった。


「…人多すぎ」


思わず口に出してしまうほど、黄瀬くんの周りは人で溢れかえっていた。
ホントにホントの最後だから後悔したくないと友達は言った。そう考えていた女子生徒はたくさんいたのだろう。

当のわたしは、腕を引っ張って連れてこられた先の人の溢れる正面玄関前で、人口密度の低そうなところを選んでぼうっと突っ立っているだけだ。
あれには巻き込まれたくはない。

ふと、もう数えきれないぐらい繰り返したそれをしながら、あんなふうに恋に熱を上げことはないなあと振り返る。

それ、とは空を見上げること。
心を落ち着ける、わたしのルーティーン。



自分で自分を簡潔に表すなら泣き虫だと思う。
人よりも悔しい、負けたくない、そういう気持ちが強く、つまるところの負けず嫌いだ。
それのせいで幼少期は勝負事に負ける度に泣き喚いていた。
が、さすがに中学生ともなれば多少我慢もできる。

それでも理性のタガを超えて涙が溢れてくることもなきにしもあらず。

ーーーそういうときは空を見上げた。
涙腺から滲み出る水分が頬を伝わないように、表面張力を最大限利用してそのまま空気中へと蒸発していくように、

誰にも、その悔しさを悟られないように。





「また空見てんのかよ」


今や意味もなく癖になったその動作を、今日も今日とて繰り返す自分の背後から声がした。
その言葉はまさに今の自分の行動そのものだったから、とっさに振り返る。

そこに立っていた人物に素直に驚いた。


「…また、ってどういうこと?」


我ながら落ち着いた素振りで返事をすることができたように思う。
でも変な動悸がし始めた。
記憶の限りでは…一度たりとも話したことのないこの人が、ただの顔見知り以下のわたしに何の用だろう。


青峰大輝。
同じクラスになってもいない彼との接点はゼロに等しい、…こともないか。ひとつだけあることにはある。

勉強よりも恋よりも、下手すれば友情よりも。わたしはこの3年間バスケットボールに熱を上げた。
そのスポーツにひたすら打ち込んで必死にレギュラーの座へと食らいついた。
…それでも天才と称された彼らが残した偉業には到底及ぶはずもない。


「練習とか公式戦のあと。勝っても負けても悔しそうなツラして空睨んでただろ」


その言葉にまたも驚く。
見られていたことに全く気付かなかった。


「なんでそんな顔しながらバスケに打ち込めんだよ。たいして上手くもねーくせに」
「…なんかすごい失礼なこと言われてる?」
「どうやっても勝てねー相手になんでそこまで突っかかる?…無駄だろ」


その言葉になんだか胸が詰まった。
それと同時に視界が滲む。
これはマズイやつだ。顔は自然と上を向く。
いつもするように、真っさらな空を瞳に写して深く息を吸う。肺いっぱいに空気を取り込んでゆっくりと吐き捨てる。
そうすればほら、もういつもの負けず嫌いのわたし。

視線を下げると、人の努力を無駄だと言う天才と目が合った。

確かに、見ているこちらが思わず嫉妬に駆られるほどに溢れるセンスと才能はすごい。
それを見て何度、空を仰いだことか。
湧き上がるドス黒いものが瞳から滲み出さないよう、何度澄んだ青色を焼き付けたことか。


「…だって、負けたくない。わたし諦め悪くて負けず嫌いなの」
「は?それだけ?」
「当たり前でしょ、他になにあるの。ってかスポーツやってて相手に向かっていかないってどうなの?」


自分よりもずっと体格の優れたこの人を、いつも空を見上げるみたいにただ見つめる。
こちらのその言葉にこの人はどんな表情をするだろう。純粋にそう思った。

だけど彼のリアクションは予想外のものだった。
ポカンと情けなく口を開けてぼんやりとこちらを見るのだ。
その意味がいまいちわからず「なんか変なこと言った?」と確認を取るも反応は見られない。

返事がないのに痺れを切らして、この場を立ち去ろうという考えに至る。
青峰くんに片手を上げて見せて「じゃあ、もう行くから」と律儀に最後の挨拶を。

だけどその上げた手をがっしり掴まれた。
その行動の意図がよくわからず、今度はわたしがポカンと情けなく口を開けたまま彼を見やる。


「…なあ、お前バスケ続けんのか」
「知らない。だってそんなに上手くもないし」


精一杯の嫌味をぶつけると、多少酷いことを言った自覚があるのかバツの悪そうな表情を浮かべる。
そして「続けろよ」と小さく消え入りそうな声で言った。

なんで?なんの迷いもなくその言葉が口から漏れた。


「オレも続けっからだ」
「意味わかんない」


掴まれているわたしの手を握りつぶすみたいに、自分よりふた回りほど大きな手に力がこもる。

無神経な質問をぶつけてくるわ、勝手なこと言ってくるわ、なんなんだこの人。本当に意味がわからない。
こちらの頭の中は取っ散らかるばかりなのに、彼はどこかスッキリとした表情を見せる。
先ほどのわたしの答えになにか納得がいったのだろうか。


「もしオレとどっかで会ったらどうする」
「どうするってどうもこうも…」
「答えろよ」
「なんでちょっとキレ気味なの?…別に、挨拶したらいいんじゃない?久しぶりーとか」
「…そうだな、じゃあそうしろよ」
「えっ…会うの?」
「会うだろ。お前がバスケ続けるんだったらな」


そうしたら彼が不意に口角を小さく上げたものだから、その意外な反応に固まってしまう。

そのタイミングで、大きな手のひらから自分の手がするりと抜けた。
重力のまま、だらんと垂れ落ちる腕。


「…なに?そんなにわたしに会いたいの?」
「あ?んなこと言ってねえ」
「そう、それならいい。約束もしない」
「んだとコラ」
「そんな言い方するからダメなんだよ」
「決めつけんじゃねーよ」
「そのよくわからない悩みを、会話したこともなかったわたしにぶつけちゃうぐらいに友達いないことはよくわかった」
「は?」


それには返事しないで彼の脇をすり抜ける。
人の群れの奥で苦虫を噛み潰したような表情をする友達の元へと歩を進める。

今度はもう引き止められなかった。

けどすぐに振り返って、風に揺れる青色を自分の瞳に写しながら言う。


「もし、例えばの話ね。どっかの体育館で会うことあったら、…上手くなったなって言わせてやる」


青峰くんの返事は待たない。

背を向けて、「黄瀬くんに振られたー!でも格好良かったー!」と思いのほか元気そうに言う友達の元へとたどり着く。


「今日は失恋パーティーしようよ!」
「言うと思った」
「ってか、ねえ、青峰くんと仲良かったっけ?」


その話題に心臓がどきりと跳ねる。
だけどそれを隠して、とびきりの笑顔で言う。


「ううん、全然。これから友達にもなれないレベル」