三重奏
side:青峰
当直明けで寮に帰る途中、灰色の空からぽつぽつ水滴が落ちてきた。これはやばいと、小走で店の軒下に駆け込む。
ざあっと音がしたかと思ったら、そこそこ強い雨が降りだした。
「ちっ、あと少しで着くとこだっていうのに…」
ざあざあ降る雨を眺めながら悪態をつく。
体を撫でていく風と雨は冷たい。つい最近まであんなに暑かったのに、今では朝夕は肌寒いくらいだ。
気がつけば11月も半ば。近所の神社には七五三と書かれた看板が立てられていた。
来年の四月には今の天皇が退位して、皇太子が即位するとテレビでいっていた。そのせいか、『平成最後の○○』という言葉をよく耳にするようになった。ということは、今年の七五三も平成最後となるのか。
青峰はまだ独身で、勿論子どももいない。
最後だからといっても―元々興味も関心もなかったこともあるが―特にどう思うことはなかった。
雨がやむ気配はない。職場を出るときは降っていなかったため、傘は持っていない。
走って帰るかと足を踏み出した。
『カタツムリのおにーさん、傘に入っていきませんか?』
懐かしい声が聞こえたような気がした。
視線を左右に巡らしたが、歩道を行き交う人々がうつるだけで近くには誰もいない。
声に記憶が刺激されたのか、あの日のことを思い出した。
今日と同じような雨の日に出会った女の子。初めての時にカタツムリを一緒に眺めていたからか、数年後再会した時に『カタツムリのおにーさん』と呼ばれた。
その時もやっぱり雨が降っていて。学校帰りだったのか、桐皇学園の制服を身にまとっていた。
コンビニで足止めをくらっていたところに、花柄の青い傘を差し出してきた。そのあと、二人ででんでん虫の歌を歌いながら交番まで歩いていったか。
あれからまた何年か過ぎた。
青峰は機動隊に異動になった。大きなイベントなどの度に警備に駆り出されるのはだるいが、体をはる部署の方があっているから不満はない。
―彼奴は今頃何をやっているのだろうか。
色鮮やかに当時のことを思い出すのは、その時と今が似たような状況だからかもしれない。
―でーんでーんむしむしカタツムリ〜
調子っぱずれの歌が青峰の口からこぼれ出た。
再会
久しぶりの日射しに、名前は目を細めた。秋の青空は雲ひとつなく晴れわたっている。空気はからりとして、風もない。
「今日はふかふかのお布団に寝られるね」
戦隊ヒーローのDVDに釘付けの息子に声をかけたが、案の定返事はなかった。
警察をモチーフにしたそれは、彼のマイブームで、子供部屋には変身ツールからロボットまで一通り揃っていた。
「かっこい〜」
一際目をキラキラさせてテレビを見る、その視線の先にうつるのは白バイを彷彿とさせるごついバイク。ヒーローがそのハンドルを握り、颯爽と道路を走っている。
「ぼく、大きくなったら白バイのおまわりさんになる!そして悪いやつをやっつけるんだ!」
両手を握りしめ、力強くいい放つ息子に、名前はクスクス笑いながら、じゃあ、いっぱい運動して、好き嫌いしないで何でも食べなくちゃねといった。
母親の言葉に、息子はへにゃりと眉を下げた。
「…がんばってニンジン食べる…」
「えらい、えらい」
悲壮な顔をしながら宣言する息子の丸い頭を、名前はそこまて嫌いかニンジン、と内心ため息つきながらぐりぐりと撫でた。
side:青峰
その日は非番だった。特にやることもなかった青峰は、あてもなく街中(まちなか)をぶらついていた。
空は雲は多いながらも、青空は見えており、時折吹く風は少々冷たい。
周りに気を配ると、着物を着た子どもを連れた親子がやたらと目につくのに気づいた。
「何かあんのか…?」
訝しげにひとりごちり、行先を目で追ってみると、その親子たちは神社へと向かって歩いて行くのがわかった。ふと、数日前に見かけた看板が脳裏に浮かんだ。
「…今日だったのか…」
納得いったように呟いた。
「――カタツムリのおにーさん?」
背後からおそるおそる声をかけられた。
振り向くと、袴姿の子どもを連れた親子―厳密にいうと母親だけ―が立ち止まって青峰を見ていた。
知り合いか、と旦那らしき男性に聞かれて頷いている。
「小学校と高校の時にちょっとね。お久しぶりです、私のこと覚えていますか?」
「ああ、『でんでん虫の歌の子』だろ」
思い出したのはつい最近だけどな、と胸の内で呟きながら答えた。
「結婚、してたんだな」
大人二人に挟まれた子どもを見ながらぽつりといった。
青峰が覚えていたことが嬉しかったのか、母親の表情がとても明るい。
それから往来の邪魔にならないように端によってから互いに簡単な自己紹介をした。
青峰が警察官だと知ると、子どもは目をキラキラ輝かせ、白バイに乗っているのかとくいぎみで聞いてきた。
「残念だが、俺は隊員じゃあないから乗ってないぞ」
そういうと、あからさまにがっかりした顔をするので、なんだかばつが悪くなり、頭をばりばりかいた。
「なんかすみません。この子、戦隊ヒーローにはまっていて、それにでている白バイに似たバイクが特にお気に入りなんです」
母親申し訳なさげに眉尻を下げて事情を説明した。
「外で白バイ見るたびにおおはしゃぎして、大きくなったらあれに乗るんだっていうんです」
「そうだったのか。坊主、白バイそんなに好きか?」
目線を合わせるように子どもの前にしゃがみこんだ。
うん、と力強く頷く。真っ直ぐに見てくる琥珀色の双眼は澄んでいて、希望に溢れている。
「…そうか。たしか今度、警察署で子ども向けの交通安全教室をやるんだ。もしかしたら近くで白バイを見られるかもしれない」
「!ほんと!?」
青峰の言葉に表情がぱあっと輝いた。
「ああ。日にちは覚えていないから、かーちゃんに調べてもらえ」
「わかった!ありがとう、カタツムリのおまわりさん」
「おいおい、お前もそういうのかよ…」
苦笑いをしながら立ち上がった。母親はすみませんといいながら息子の頭を小突いた。
青峰は気にするなと手をひらひら振ってみせ、じゃあなとその場を離れた。
またねーと子どもの声が聞こえたので、後ろ手に腕を上げて応えてやった。
しばらくは会うことはないだろうと思っていた青峰だったのだが。
この後、頻繁に子どもと遭遇することとなる。
そしてその度にヒーローと白バイと彼の夢の話を聞かされるはめになるのだった。
門出
「青峰さーん、合格したよ!」
一人の青年が、合格通知らしきものを握りしめた方の腕を振りながら駆け寄ってきた。その後ろからは、また歳を重ねた名前がのんびりと歩いて来ている。
―合格したのか…
話があると呼び出され、待ち合わせ場所に来てみると、嬉しい報告がなされた。
よかったと、ふっと息をはく。警察学校を受けると聞いてからずっと気にはなっていたのだ。
「そうか、おめでとさん」
「ありがとうございます」
青峰が祝いの言葉をいうと、満面の笑みを浮かべて礼を返してた。
平成最後の七五三のあの日から成長を見てきた。ヒーローに、白バイに憧れた小さな少年は、夢を叶える一歩を踏み出した。
「息子をよろしくね、カタツムリのおまわりさん」
やっと追いついた名前が青年の隣に並び、青峰に笑顔を向けた。
青峰は名前によく似た青年の頭をくしゃりと撫で、皺のできた眦を緩めると
「頑張れよ」
短い激励の言葉を送った。