「先の遠征は2000年代だったんだってね」
「うん?ああ、2000年代初頭の遠征」

 不意に遠征の事を切り出してきた歌仙に言葉を返す。
ざあざあと降る雨を軒先から眺める姿が、背景にある紫陽花と相まって絵になるなぁ、とわが初期刀を思った。
急に振られた雨についてないとは思ったけど、歌仙と久しぶりにゆっくり話が出来たので良かったのかもしれない。

「平成や令和あたりか。特に令和は麗しい元号だ、歳寒三友の一つである梅の花が新しい時代を彩る花として選ばれているのだから」
「おぉ歌仙が文系してる」
「何を言う、僕はいつでも文系だとも。それにしても長谷部が時計を欲しがるとはねぇ」

 ふふっ、と袖で口元を隠して笑う歌仙に少し胡乱な目線を返す。
長谷部への贈り物が今回の買い物であり、目利きに優れる歌仙を抜擢したのはそういう理由だ。
歌仙のおかげで納得のいくものを見つけた今、品物を濡らすわけにいかないと雨宿りをしているのだった。
胸元の紙袋を抱え直す。こんなところで濡れさせるわけにはいかない大切なものだし。

「なんだか意味深な笑いなのだけど」
「あらゆるものに意味はあるのさ。まぁ、答えが知りたかったら長谷部に渡してから来るといいよ」
「それってどういう……」
「主!」

 意味なの、と続けようとした言葉は不意に飛び込んできた声にかき消された。
声の方へ視線をやると、傘を二本もって急いできたことがうかがえる長谷部の姿があった。

「わざわざ傘持ってきてくれたの?」
「前田が二人は傘を持っていないだろうと言っていたので」
「流石前田。長谷部もありがとう」

 少し走って来たのか長谷部のズボンの裾が変色していたし、前髪に水滴がいくつかついていた。
せっかくの非番だっただろうに、どこにいるかも分からない主を探し回らせて申し訳ないな。
 こちらを、と差し出された傘を受け取ろうとした時、横から伸びた手が私の傘とついでにもう一つの傘も持ち去ってしまった。

「歌仙?」
「そういえばお小夜に頼まれていた用事を思い出してね。せっかくだし主と長谷部は甘味でも食べてから帰るといい」

 ぺらぺらぺらと流暢に。
傘を優雅な手つきで広げると、いい仕事をしたとでも言わんばかりの軽い足取り本丸へ帰っていった。
 残ったのはあまりの滑らかさに固まった私と長谷部と長谷部が差す傘のみで、ざぁざぁと降る雨音がやけに響いていた。
気の遣い方が妙に雑だぞ我が初期刀と遠い目にもなる。

「えぇ……とりあえず傘に入っても?」
「はい、どうぞ主」
「お邪魔しますね」

 長谷部が差す傘の中にするりと滑り込む。
長谷部の事だ、私を気遣って自分は濡れて歩くのは明白だった。
歩きづらくない程度に近寄って近場の甘味屋を目指す。

「長谷部濡れてない?大丈夫?」
「大丈夫ですよ。主こそ濡れていらっしゃいませんか」
「長谷部のおかげでまったく。非番なのにわざわざごめんね」
「いえ、俺の方こそ歌仙との外出の邪魔をして申し訳ありません」

 そんな会話をしているうちに丁度いいお店を見つけて傘を畳む。
周囲を囲むようにある青紫をした紫陽花の花が綺麗な店先だった。
店内には私達と同じような雨宿り客が数名いたものの、比較的がらんとしていた。
店員さんに誘導されるまま窓際近くの2人席に座る。

「何にしようか。あ、チーズケーキ美味しそう」

 いそいそとメニュー表を開いて長谷部と吟味する。
写真から伝わるこってり濃厚なチーズにふんだんにまぶされたベリーの数々。
 この組み合わせに目がないことが本丸の刀たちにじわじわ浸透しているようで、ちょっとしたプレゼントで贈られるケーキには、嬉しさとカロリーの暴力に対する悲鳴を上げざるを得なかった。

「俺は甘いものを選ぶのはあまり得意ではないので、主と同じものをいただけたら」
「チーズケーキと紅茶になりますわよ」
「主の選ぶものなら喜んで」
「じゃあそれで」

 ウェイターさんにチーズケーキと紅茶二つずつ頼む。
それほど混んでないからすぐに来るはずだ、と買い物で疲れた足をやっと労わることができて息を吐いた。
 外の雨はいまだ止む気配はなく音ばかりが響いている。
実のところ長谷部とゆっくり過ごすのは久しぶりで、イレギュラーとはいえ機会を作ってくれた歌仙には感謝しなきゃだった。

「長谷部って紅茶やコーヒー飲むイメージはあるけど、緑茶ってあんまりないね」

 緑茶は鶯丸専売特許みたいになってるせいがあるかもしれないけど。
栄養ドリンクを飲ませるほど追い込んではいないはず、と運営状況から鑑みて願った。

「主命とあればいかなるものでも」
「ノット主命、です。好きなものを好きなように食べて飲んで、健やかな長谷部が一番だよ」
「はぁ、そういったものなのでしょうか?」

 あまりよく分からないとでも言うように首を傾げるのものだから、まだまだ審神者としては未熟だと自覚して気をつけていきたいところだ。
 ぐぬぬと唸っているうちに、会話のタイミングを縫うようにやってきた店員さんがそれぞれにケーキと紅茶を置いてゆく。
暖かくていい匂いのする湯気を感じると、今度は肩の力を抜くように息を吐いた。

「そういえば近現代遠征は楽しかった?」
「突然ですね」
「さっきまで歌仙と話してたんだ」

 チーズケーキを一口分切り分ける。
舌に滑らかなチーズと甘酸っぱいベリーの刺激が広がった途端に至福だわ、と頬を緩める。
 ちらりと視線を長谷部に合わせると、ベリーよりも淡い色をした瞳は柔らかく凪いでいた。

「楽しいかどうかは俺には判断しかねますが、あの日は丁度祝いの日だったようです」

 第二部隊を遠征に送ったのは2019年の元号切り替わりの時。
春を寿ぐ麗しき時代の始まりに歴史修正主義者の動きあり、ということでの出陣だった。

「懐かしい元号だよね」
「主の時代より200年は前ですから。新しい時代の幕開けを阻止したいものがいた、いつものことです」

 長谷部の深みのある言葉に、彼の元主なんか特にその対象になりやすいよな、とは思ったものの口をつぐんだ。
わざわざいう事でもないし、今の長谷部ならとっくに上手く消化しているだろう。

「少し前の遠征に、明治天皇崩御時の乃木将軍の殉死阻止を阻止せよ、なんてものもありましたからね」
「明治の終わりを象徴する人だから影響大だよね。仮に歴史修正がまかり通ったら夏目漱石の小説の展開も変わってしまうのかもね」
「ですので人が死ぬことなく変わった令和というのは新鮮でした」

 ミレニアムの時のようなお祭りの雰囲気があったのは確かだろうとは思う。
昭和や明治とは違う、人が死なずに移り変わった麗しい時代。
若い子たちが令和に切り替わる瞬間を宙に浮いて飛び越えようと試みていた、と遠征メンバーから聞いたのにも若くて眩しさすら感じた。

「楽しかったなら良かった。でもなんで誉百個めの褒賞が腕時計だったの?」

 前なら誉の褒美に主命をください、などと言いそうな長谷部だったから気合が入るというもの。
しかも「腕時計が欲しいです。俺に似合う腕時計を貴方から贈られたいです」なんて健気な事を言われては本気を出すしかない。

「遠征中に時刻まで待機をしていたら高確率で声をかけられまして」
「ナンパかー。分かる分かる、超クールなエリートイケメンだもんね」

 若手エリートの営業マンが何かを待っている風なら気になっても仕方ない。
現代遠征はこれだから難しい。

「はぁ……骨喰に回収してもらったのでことなきを得ましたが。もしやその為に骨喰を?」
「ユニセックスな服着せとけばボーイッシュな女の子に見えないこともないし、便利かな……とは思っていたけど本当に活用される日が来るとは」

 ナイス連携骨喰。
やっぱり打・脇中心よりは太刀も組み込んだ方がいいのかな、と部隊編成に思いをはせかかったが仕事脳にストップをかける。
歌仙にもちょいちょいお小言をくらう悪癖だった。

「待つという行為は嫌いですが出来なくはないのでいくらでも待ちますが、なにかよすがのようなものがあればなと思いまして」

 待てというのならいくらでも。
長谷部が度々言うから得意なのだなのろうと思っていたけど、素直に嫌いと口にしてくれるのは感慨深い。
 それに器物が器物を求める、というのは傍から見ると中々に面白いことだった。
人に物を贈ったり贈られたりすることを楽しんでくれているのは、審神者として嬉しいことでもあるし。

「なので前々から決めかねていた誉のご褒美をいただけたら、と」
「なるほどなぁ……。じゃあいつもありがとう、気に入れば幸い」

 胸元で抱えていたから濡れていないはずの紙袋を差し出すと、長谷部は頬をふんわりと上気させた。
「今開けてもよろしいですか」と尋ねてくるので、愛い奴めと口走りそうになる口を塞ぐためお茶を飲みつつ頷いた。
 几帳面に開けられていく包装紙、箱、蓋。
そしてシルバーメタリックに淡い紫の円盤の時計があらわになる。
華奢でエレガント、シンプルで実用的。女性の手首を飾ってもさほど違和感がないような、そんな腕時計だ。

「とても、嬉しいです。ありがとうございます、主」
「それなら何よりだよ」
「えぇ、この腕時計を見る度に貴方のことを想えて愛しさが増すわけです」
「愛しさ」

 長谷部が微笑む。
怜悧な顔立ちの長谷部は笑うと案外幼い。
出会ったばかりの時は完璧な笑みだったけど、最近はどことなく拙さがあって少しばかり感傷に浸ったりする。

「俺たち物にとって形が消滅しない限りは永遠ですが、主達はそうではありませんから」

 限られた時を生きる、生まれた瞬間から死に向かっていく生き物。
だからこそ眩く尊い。
指先が円盤を撫で慈しんだ。その仕草が彼の人に対する在り方のようにも見える。

「俺は貴方達の一瞬を愛しているのです。だからその一瞬を知るための道具を貴方から送られたかった」

 クリティカルヒット。ものすごい告白を聞いて、思わず顔を覆った。
 歌仙がさっき意味深な事を言っていたけど、なんとなく分かった気がする。
ただそれはどちらかというと長谷部の願掛けに近しい気がした。

「ですので出来るだけ多くの時間を刻ませてくださいね。この時計が付喪になったらそれはそれで嫉妬してしまうかもしれませんが」
「……流石に100年は無理じゃないかなぁ」

 未だ顔を覆ったまま、なんとかそう絞り出すのがようやくな程のオーバーキルだった。
道具、というか彼らは何故こんなにも純粋なのだろう。
長谷部はやり切ったと言わんばかりに笑っていて、本当に健やかに過ごしてほしいと母性みたいなスイッチが入りかかった。危ない。

「100年、50年と言わずに出来るだけ長く俺、しいては俺たちのためにいてくださいね主」

 むしろ私が健康に気を使って過ごさなければいけないんじゃないかこれ。
健康だけじゃなくもっと本丸のみんなと交流を深めろという意味もあったりする?
 歌仙とゆっくり買い物したのも、長谷部とお茶してるのも久しぶりだった。
そんなに滅私奉公、仕事ばかりしていたつもりはないけど、そうだったのか?
顔を覆ったその隙間からちらりと長谷部に問いかける。

「……遠回しな忠告?」
「主はお忙しい方ですからね」

 仕事人間の長谷部にしれっと言われる当たり末期らしい。
まじかーと落ち込む、黙々と作業をしているのが好きなのがあだになったのかもしれない。
 ちょっと温くなってしまった紅茶を飲む。
日頃の業務用パックの紅茶になれた舌には随分な御褒美だった。

「また今度も一緒に息抜きにつき合ってくれる?」
「ええ勿論」
「主命とあらば?」
「主命でなくともですよ、主」

 当然のように言ってくれた長谷部の言葉が嬉しかったのと、子供みたいな聞き方をしてしまったのを少し恥じて、照れ隠しに残り少ない紅茶を一気に飲み干した。
 ふとかちりかちりと音を立てる腕時計に気付いて、いつのまにか雨がやんでいたことを知る。
雨に打たれた紫陽花は彼の時計の円盤とよく似た輝きを落としていた。