待ち望んだ終業式

"学生生活において最も楽しみな事はなんですか?"なんて質問をされたとしたら、貴方ならどう答えますか?


文化祭、合唱コンなどの学校行事?
それとも、汗水垂らして熱中する部活動?
最早、学生生活そのものが毎日楽しみ?



わたしの答えは当たり前。
そりゃ、休みです。お休み。

週5で学校に通う学生生活なんて、正直ダルい意外の何者でもない。
月曜日、家のドアを開けて学校に向かおうとしている時には既に土曜日のことを考えているわたしにとって、長期休みはまさに天国。なんならずっと休んでいたい。
お休みが好きだけれど、流石にサボるという最終手段を使う勇気は無いチキンなわたしには、問答無用でお休み出来る夏休みは年に一度の大イベントだった。


高校2年生の夏休み、どう過ごそうか。
立海の野暮ったい制服を脱いで、メルカリで買い溜めたワンピースを着ていろんな所に出かけたい。ゆるゆるずぼずぼな部屋着を着て家でゆっくり過ごしたい。
予定はまだガラ空きだけれど、海とかお祭りとか行けたら行きたい。彼氏なんて当たり前の様にいないから、まぁ作れたら作って、作れなかったらそれはその時。家でぐうたら過ごすのも休みの特権。全力で休みを堪能してやる。見たい実況動画は沢山あるんだ。

と、思った矢先。


突きつけられたのは期末テストの結果。
目の前にはお怒りのお母様と塾の夏期講習のパンフレット。
その瞬間、わたしの夏休みがガラガラと音を立てて崩壊していく映像が脳内で再生された。







正直すまんかったと思ってる。
いや、本当に、学生の本業は勉強ですよね。休み大好き〜〜!とかみんなの当たり前をドヤ顔でひけらかしてる場合じゃないよね。



「名字、お前の夏休みは補習終わらないと始まらないから」
「先生も折角の夏休みなのに学校来なきゃいけなくて大変ですね」
「先生の夏休みも名字の補習が終わらないと始まらないから早く終わらせてくれ」


今年の6月に結婚した英語のみっちゃん(男)の左手薬指にはめられたシルバーリングを見つめながらの補習1日目。奥さんと楽しい夏休みを過ごしたいだろうにごめんね。


「でね、お母さんが夏期講習申し込もうとしてて」
「口動かしてないでペンを握りなさい」
「それだけは嫌だって家族会議の結果、白紙になりました」
「名字は塾行っても良かったんじゃないかって先生は思うよ」
「そんな慈悲がないこと言わないで下さい」
「今出した小テストの英単語を早速会話で使うんじゃないよ」
「セルフ復習してるんですぅ〜せめて褒めて下さ〜い」
「ならせめてそれをノートに書きなさい」



真面目に補習に来てるだけ偉いと思う。もうその時点で褒めポイント15くらい欲しい。現に、教室にいるのはわたし含めて6人程だった。先生とお喋りしてるのはわたしだけじゃないから、特に気にしない。
はぁ、頑張って3日コースで終わらせよ。何が何でも5日コースにはなりたくない。そう思いながらmercyとノートに書き込む。まーしー、じひ、まーしー、じひと頭の中で呪文を唱えていると、ガララと乱雑に教室のドアが開いた。


「ちぃーーす!遅れやした!」
「切原…15分遅刻お前5日コース確定な」
「げぇマジかよ!」


ドカドカと品のない音を立てて一番後ろの席に座ったのは隣のクラスでテニス部の切原。

立海大附属は中学校も高校もテニスの強豪校として有名である。中高一貫校なので、中学校を卒業しても殆どのメンバーはそのまま付属の高校か、工業高校に進学した。わたしが中学生の時は全国大会もそれなりに連覇していて、テニス部が朝会で表彰される回数はとても多かった。壇上で会釈をする彼らを見て、ただひたすら凄いなぁと思った。部活に燃える彼らはわたしとは真反対の世界で生きている。尊敬します。

数ある運動部の中でもファンが多いのはテニス部で、理由は強くて部員の顔の偏差値がとても高いから。ミーハーな友達は差し入れや手紙はもう彼らへの納税のようなものだと言っていた。生写真とかを密売する人もいるらしいけど、しっかりしたファンはちゃんと彼らに還元される場でしか買わないんだと。そう言われてみれば、数年前の文化祭で生写真売ってるのを見た事があるような。あれは公式だったのかな。というか、いち高校生の生写真が出回ってる現状もどうなのよ。

わたしは正直言ってそういう煌びやかな人間はどちらかというと苦手。生きる世界が違う。
でも友達に話を合わせる為に、推しメンを聞かれた時は高3の柳蓮二先輩が好きと答えている。あの顔は好き。さっぱりしてていいと思う。昔遠くから見た事があるけど、顔のラインがとても綺麗だった。



「みっちゃーん!俺7時から朝練してそれから来たんだけど!因みにこの後も部活あるんだけど!」
「切原朝練途中で抜けて、自販機のベンチでジュース一杯してきたでしょ?先生怒らないから本当のこと言ってみ?」
「………〜♪」
「口笛吹くな。はい、取り敢えず期末の解き直し頑張って」


そう言った先生は一番前の席に問題用紙を置いた。トントン、と机を叩くと、切原が渋々そこに移動する。つまり、わたしのとなりには切原が座っている。


「なんだこれ、全然覚えてねぇ」
「やり直しレポート、切原出してないもんな」
「んー……えーと、とりあえず、ねぇアンタ」
「………」
「ねぇ!アンタだよアンタ」
「………?」
「何でもいいからペン貸して」
「は?」


当たり前の様に差し出された手のひらを見つめて数秒。コイツ、学校に何しにきたんだ?後ろの席に立てかけてある無駄にでっかいラケットバッグを見ると、「あーあれは部活のモンしか入ってねーから」とまた当たり前の様に言われた。
少数精鋭のわたしのペンケースからシャーペンを取り出す。予備の小さい消しゴムを渡そうとして、今使っていたほぼ新品のMONO消しを自分の掌に乗せた。さんきゅーと言った彼はわたしの手からペンと消しゴムを奪い取った。




「じゃ、また明日」


時計の針は12時10分を指していた。先生が教室を後にして、一瞬盛り上がった室内は人数の減少と共に静かになる。わたしが帰宅の準備をしていると、となりの切原がうーうー唸り始めた。


「わっかんねー」
「……」
「んー…あー……」
「……切原くん、あとどこ残ってるの?」


そのまま彼を放っておけるほどスルースキルが高くないわたしの口は勝手に動いていた。顔を上げた彼の頭に猫耳の様な物が生えているように見えるのは何故だろう。高校2年生のガタイのいい男子が可愛く見えてしまうだなんて、そんなのあるわけがない。
ここなんだけどよー、と彼が指差すのは、先ほどわたしが呪文の様に唱えていた英単語。えっと、なんだっけ。


「あ、まーしー!マーシーだよマーシー…」
「書き方は?」
「えっ……と、」


鞄にしまったノートを取り出して、さっき書き込んだページを開く。あ、これこれ!と指を指しながら切原にノートを見せた。


「えむ、いー、あーる、しーわい…はー、サンキュ」
「いえ……」
「何これ、柳さんじゃん」
「は、…………!?!?」


切原の机に置いたノートを閉じようとするとそれは机に座る主に止められた。
mercyが沢山並ぶその横には、わたしがみっちゃんの目を盗んで書いたおかっぱ頭のキャラクターの落書き。これはわたしの推しメンの柳先輩ではなく、ゲームの主人公なのだ。目は線みたいで、髪型もそっくり。言われてみれば柳先輩に似てるかもしれない。でもこれはゲームの主人公であって決して柳先輩ではないわけで。というか!ノートの落書き見られるのめちゃくちゃ恥ずかしいわけで!


「アンタ、柳さん好きなの?」
「いや、あの、誰推しかと聞かれたら柳先輩だけど……でもね、これはあの、ゲームのキャラクターで…」
「ゲーム?へー、柳さんが主人公のゲーム?なにそれたのしそ、貸してよ」
「え、」
「なに?」
「あ、いや、あの、実況で見たゲームだから持ってない…し、それにパソコンのゲームだから」
「えー、やりたかった。柳さんのゲーム」
「だから、柳先輩じゃないんだって!」


何回言えば気が済むんだ。そんなに言われたらもう柳先輩にしか見えなくなってくるじゃん!
それよりも気になることがわたしには一つあった。さらりと言ってしまったけれど、学校でわたしが実況動画を嗜んでいる事を暴露したのは今のが初めてだった。アングラな趣味だと自分でも自覚はしている。しかもそれをほぼ初対面の切原に言ってしまうなんて…!
額から嫌な汗が流れる。えーと、あの、えっと…実況っていうのは…とモゴモゴしていると、急に切原が立ち上がったので体がビクリと震えた。


「実況?俺も見てるぜ!ユーチューブで外人の格ゲーとか!FPSとか! 」


あーそういうのじゃないんだよなぁ。といつもより鼓動が早い心の中で呟いた。でも、話題を繋げてくれるところ、切原はそんなに悪い奴じゃない…?
その数秒後、上がりつつあった切原のイメージは「じゃ、これ借りるから」とわたしのシャーペンをそのまま強奪したことにより地に落ちることになる。









補習2日目の科目は数学。

何故かすっぴんで学校に行くのが恥ずかしくなって、部屋に転がっていたキャンメイクのラメ入りリップを塗って学校に向かった。
教室に向かう途中、すれ違ったみっちゃんに「どうした名字口の周りに油ついてんぞ」と声をかけられた。リップグロスといえリップグロスと!

今日も少しだけ遅れてきた切原は、後ろの席ではなくわたしのとなりの席に座った。今後はここに座ることにしたらしい。よっ!とフランクに声をかけられて、おはよう、と返事をした。

苦手な数学に苦しみながら補習を終え、ちらほらと切原と会話をしたわたしはゆっくりと帰路に着く。いつもなら怠く感じる日光も、今日はいい天気だな〜!としか思わなかった。さて、買い物でもして帰りますか!







補習3日目の科目は国語。


「名字さん、本当に…貴女学校に何をしに来てるの?」
「全くです…」


リップとファンデで顔を盛ったわたしは、見事補習を3日で終わらせる道を自ら途絶えさせた。はい、英語と数学と事前に出されていた国語の課題、家に忘れました。
古典の森下の視線がとても痛い。因みに、森下の左指の薬指にも指輪はあるけれど、それはダミーの指輪で、実は結婚してないらしいという噂は学校内では有名。なんで左手薬指に指輪しているのかは、誰もが聞きたくても聞けていない状況でありまして。ええ、今そんな事聞いたら余計に怒られるんで死んでも聞きませんけどね。

席に戻ると、「俺とおんなじ5日コースじゃ〜ん」と切原が北海道の卑猥なマスコットみたいに目を歪ませて笑っていた。それを見た森下は切原に向かって大きな声を出すけれど、普段から雷の如く叱られ続けている切原には全く効かないみたいだ。強い。


「名字、メシ食わねぇ?」


補習の後、いきなりそう言われて思わずノートを落とした。「あ、柳さんだ」と言われ、床を見ると丁度先日の落書きがこちらを見ていた。わぁ!と言いながら髪がふわりと浮くほどの速さでしゃがみ込む。頭上から、「今部室めっちゃピリピリしててメシ食いにくいんだよね」という言葉が降ってきた。顔を上げると、切原が白い歯を見せて笑っていた。


自動販売機でメロンパンといちご牛乳という謎の組み合わせを購入して教室に戻る。正直、切原と過ごすお昼ご飯は楽しかった。

切原によると、柳先輩の目には実は秘密があって、先輩の開眼した目を見た人は石になってしまうらしい。そんなメデューサみたいなことあるかよ。でも確かに、柳先輩が目を開けてるところ、見たことないかもしれない。中学から同じ部活の切原がそう言うんだから、相当レアなんだろう。
会話の中で一番驚いたことは、現在テニス部は全国大会に向けた練習の真っ只中ということ。8月からテニスの全国大会が始まるらしい。そんな大切な時期に彼が補習に参加しているのは現副部長からのお達しとのことで。あぁ、真田先輩そこらへん厳しそう。


「え、ちょっとまって明後日お祭りじゃん」
「お祭りって……海浜公園?」
「そー、いつも練習してて気づくと終わってんだよなー」
「今年は思い出せてよかったね」
「まーなぁー」


[辻堂 海浜公園]で検索すると、お祭りの日にちが表示された。去年は女子数人で行ったっけ。懐かしい。
適当に公式ページを見ていると、流星群情報が目に止まった。


「あ、明後日みずがめ座流星群だって」
「なにそれめっちゃいい!祭りと流れ星とか夢じゃん!」
「そこテンションあがるんだ。意外と女子だね」
「漫画みたいじゃね?」
「切原くんってサンタさんとかまだ信じてる?」
「サンタと流れ星は別だろ?えー、俺何願おうかなー、やっぱり全国優勝だな!あとはぁ、髪がまとまりますようにーみたいな?」
「髪?それナチュラルパーマじゃないの?」
「え、ちょ、まじ名字いい奴かよ」


また切原の頭にもふもふの耳が生えたように見えた。先日より近くで見たその耳は猫ではなく多分もうちょっとケモノ的な何かの様な気がする。というか、ナチュラルパーマは褒め言葉なのか。


「全国大会どこでやるの?」
「あー、今年は福島」
「え!遠いね」
「まぁな」
「なんだ、応援行こうと思ってたのに」
「ガチ勢は毎年どこでも来てるらしいけどな」
「ガチ勢…」
「テレビでもやるんじゃね?決勝とかは」
「じゃ、テレビの前で応援するね」
「さんきゅ。三年前は先輩たちにでっかいトロフィー持たせらんなかったから、今年はぜってー勝ち抜かなきゃ」


さっきまでへらへら笑っていた切原の表情が瞬時に変わる。真剣な横顔に、意識せずともわたしの背筋は伸びていた。
その言葉で思い出した。そうだ。三年前の夏休み明け。朝会の表彰で幸村先輩が校長から手渡されていた記念品の色を。
確か、あの時のトロフィーの色は銀だった。



ガラガラ、と教室のドアが開く音がした。わたしより先に振り向いた切原は、「あ、柳さん!」と嬉しそうな声で言った。体ごと視線を移動させると、後ろのドア近くに長身の男子生徒……柳蓮二先輩が立っているのが見えた。先輩が着ているのは中学校に比べたら芥子色の配分が減ったジャージ。わたしは高校のジャージの方が落ち着いてて好きです。

先輩が来た時の礼儀として一応立ち上がると、わたしの目の前を黒いもじゃもじゃが通過した。「じゃ、俺練習戻りまーっす!」と、したり顔で教室を飛び出した切原が廊下を駆け抜ける音が響く。止める間も無く、教室にはわたしと 切原を呼びに来たであろう柳先輩が取り残された。なんだ今の顔。切原!柳先輩といきなり二人っきりとか心拍数爆上がりなんですけど!
えーっと、と言葉に詰まる。先輩の顔を見ると、先ほど切原が言っていた"柳さんの目を見たら石になる"という子供みたいな噂が脳裏をよぎってつい目を逸らしてしまう。一瞬捉えた柳先輩の目は、今日も今日とて物凄い糸目だった。


「フッ」
「……!?」
「赤也に俺の目を見たら石になると吹き込まれたか?」
「あ、いや……はい」
「中学1年の時からずっと信じてるんだ、赤也は」
「……切原くん、後輩にいたらすっごい可愛いでしょうね」
「あぁ、可愛い後輩だよ」


柳先輩がそう言って笑った。
正直、会話に集中出来ないわたしがそこには居た。あぁ、美男子がすぐ近くにいる…煌びやかだ…。
思考とともに視線を机に戻すと、切原がさっきまで居た席にある物が置いてけぼりにされているのに気がついた。


「切原、忘れてる」
「それは赤也の物なのか?」


わたしの手にあるのは、切原の忘れ物ーー否、わたしが彼に貸していた筆記用具だった。声がすぐ側で聞こえて隣を見ると柳先輩がわたしの隣に立っていた。ひえ、いつの間に。


「あっ、いえ、わたしが切原くんに貸していた筆記用具で…」
「補習に筆記用具忘れてくるなんて、弦一郎に知られたら鉄拳ものだな」
「へ、へぇ……」
「……」
「………柳先輩?」


手に握られたシャーペンから隣の先輩へと視線を移す。瞬時、息を飲んだ。口元に違和感を感じて、それが柳先輩の指だと理解するまで、通信制限がかかったスマホくらいの遅いローディングを要した。


「口元に付いていたぞ」
「……!?わ、す、すみません」


思わず口に手を当てる。ぺろりと口の周りを舐めると甘かった。わぁ、さっき食べたメロンパンですね恥ずかしい!
その時、ガタンと何かがぶつかる音がした。わたしの目の前をまた黒い何かが横切る。デジャヴ。わたしの手から筆記用具を、目の前から柳先輩を掻っ攫っていった犯人は、紛れもなくあいつだった。

そのデジャヴの中で唯一異なるのは、彼の表情で。それを見たわたしの心がざわつくのは何故だろう。







4日目の補習は雨だった。
湿気でジトジトする教室内のエアコンは稼働していない。ボタンを押しても集中管理でエアコンが動くことはなかった。補習5日コースになったのは、補習参加7人中4人。勿論、その中にわたしは入ってしまっている。


「……」
「……」


今日は朝から沈黙続き。
ここ二日間、教室に入って来ると同時にかけられる挨拶が、今日は無かった。
切原は一番後ろの席。プリントを回すために後ろを向くと、三つ後ろの席に座る切原が立て肘をついているのが見えた。その髪は、昨日よりもやや膨張していると思った。


「柳さんはアンタみたいな陰キャオタクすきじゃねーから」


補習が終わって、みんながじとじとした廊下に出た時のこと。
昨日のあの顔を忘れたわけではない。でも、もしかしたら普通かもしれないし…と願うわたしの気持ちは粉々に砕けた。

パンをスクバから取り出そうとした丁度その時、ドカドカと元気な足音で近づいてきた切原はわたしにそう言った。
一瞬、彼が何を言っているのか理解が出来なかった。「は?」と思わず出た声は隠しきれない。見上げた切原の左頬は、痛々しく腫れていた。


「厚化粧とかマジ似合わねー。柳さんそういうのキライだから」


開いた口は塞がらない。
反論する術も無く、完全にわたしを見下した切原はまた同じような足音を立てて教室から出て行った。
何かしただろうか。昨日は途中まであんなに楽しかったのに。何がどうしてこうなってるんだ。

腹わたが煮えくり返そうで、涙が出た。
涙を拭うと、手の甲にアイシャドウのラメがうつって、それがまたわたしを悲しくさせる。







補習最終日は、わたしの気持ちを嘲笑うような快晴だった。


「お、名字今日は口に油塗ってないんだ」


教室に入るや否や、わたしの隣の席に座るみっちゃんがそう言った。わたしの隣の席、昨日まで切原の席だったところだ。つまり、それは彼が今ここに居ないことを表していた。「荒れるからやめたんです」と思っても無い言い訳をしながら席に座る。
背筋を伸ばしてただひたすら黒板を眺めた。隣からの視線が気になる。渋々横を見ると、みっちゃんが横座りしてわたしを見ていた。


「なんですか」
「切原、今日来ないよ」
「え、」


その瞬間、安心したのか残念なのかよくわからない感情が押し寄せる。ちらりと隣の机の上を見ると、補習の課題プリントが置いてあるのが見えた。


「これ、さっき提出しに来たやつ」
「……?」
「全国に集中したいから部活に出させてくれって、課題は必死にやったってさ」
「………」
「だから切原は10分前から夏休み。名字の夏休みは先生と一緒で数時間後だから」
「それずるくないですか」
「名字だって、3日目にちゃんと出してれば今頃夏休みだったんだからな?」
「……」
「もう早く家に帰ってゆっくりしたいよ〜。明日から新婚旅行だから絶対今日終わらせてくれよな〜〜」
「おい先生」
「とりあえず。ホラ、頑張れ」


みっちゃんがわたしの机の上にプリントとシャーペンと消しゴムを乗せた。切原に貸した筆記用具。MONO消しがMOになるほど小さくなっていて、マジ信じらんないと声が漏れた。

それから、2回目のウェストミンスターの鐘が鳴るまでは何故かとても早かった。人間の集中力は最高15分までしか持たないというのに、よく頑張った方だと思う。これぞ、休みを愛する者の力。開放感の波がやって来て、思わず、わーーー!!!自由だーーー!!!と叫びたくなる。共に戦場を乗り越えたクラスメイトとお別れの挨拶をして、最後にプリントを提出しに行くのはわたしだった。


「ん、お疲れ」
「はぁ〜〜〜終わった〜!そして始まる〜!」
「お疲れお疲れ。とりあえず、景気付けに自販機のジュースでも買って一杯すれば」
「え?」
「よい夏休みを、名字」


含み笑いをしながら手を振る先生。なんとなく意味を理解したわたしは、「みっちゃんも!」と返事をして廊下へと駆け出した。向かう場所はもう決まっていた。






自販機近くのベンチに走る。そこでわたしが捉えたのは、癖っ毛もじゃもじゃでは無く、櫛がサッと通りそうなサラサラストレートだった。
「柳先輩?」と声をかけると、糸目がわたしを見ているような気がした。


「名字、だったな」
「え、あ、どうも」
「補習は終わったのか?」
「き、今日……というか、さっき」
「そうか。お疲れ様」
「どうも……」
「赤也に昼休憩は此処にいるように言われたのだが、何か知っているか?」
「……」
「その顔は知らないと言っているな」


視線が合わないのに、何故彼はわたしの表情が読めるんだろう。口元に手を当ててゆっくり笑った彼は、わたしをまた別の場所に誘導する。






「切原、mercy」
「……」
「マーシー!」
「……じひなんていらねーよ」


校舎裏の人気がないベンチに毛玉が項垂れていた。ユニフォーム姿の彼の背中は汗に濡れている。「意味、覚えてるんだ」と返すと、「昨日柳さんに課題手伝ってもらったから」と返事がきた。でも残念。その単語の意味は慈悲だけどわたしが伝えたい意味は慈悲じゃ無い。


「というか、人に借りた消しゴムあんなに使い込む奴が居ますか?」
「頑張った結晶だし」
「自分のでやってよ。自分ので」
「さーせん」
「……」
「………で?アンタは…柳さんに告白した?ダメだった?成功?柳名前になんの?」
「切原ホントそこらへんデリカシーないよね。実際わたしが柳先輩に告白してたらどうすんの」
「は?告白してねぇの?こんなに俺がセッティングしてやってんのに?!アンタアホかよ」
「告白のセッティング?柳先輩がわたしのこと嫌ってるって言ったの切原じゃん!」
「あれは、そこを直せばいいじゃんっていうアドバイス!わかれよ!」


かばりと体を起こした彼と目が合う。その瞳は異常なほど赤かった。
そんな、この間会話したばっかりなのにいきなり告白するかよバカ。せめて好意を伝えるくらいしかわたしには出来ません。

もう別の世界だからなんて距離を置くのはやめた。くん付けとか、もうやめた。



「自分でもよくわからないんだけど、」
「は?」
「わたしには、切原とのひらがなとカタカナの会話が楽みたい」



反応が返ってくるまで、その時間はたっぷり10秒間。「バカにしてんの?」という切原の顔を少し覗き込むと、やや嬉しそうな顔をしていた。なんだよその表情、ずるいんですけど。

その頭にさっき自販機で買ったコーラを乗せると切原が怒った。でもそれは、わたしの「頑張って、」という言葉で笑顔に変わる。


「名字、今日夜空いてる?」
「え?空いてる、けど」
「お祭り!行こう!俺、部活ゼッタイ時間通り終わらせてくる!ろくじじゅっぷんに西友の入り口集合!決まりだから!」
「え、ちょ、ちょっと待って。また真田先輩に怒られるよ?」
「いや、誰が何言っても行くから!来いよ!」


ピュー!とコーラ片手にコート方面に向かう切原は風のようで、バカみたいだった。いや、まさにバカだった。
そして、わたしたちは仲直りする。小さくなる彼の背中を見て、わたしは彼に恋する決意を抱いた。









クラスメイトより5日遅くなってしまった今日は、わたし達が待ち望んだ終業日。
今の今からいよいよ夏休みが始まる。


「名字ー!!!!」


バタバタ走りながら彼がこちらへと向かって来るのが見えた。勉強も頑張ったし、部活も頑張ったからほめてほめて!と言わんばかりの彼を見て、これは可愛がりたくなりますわと柳先輩が笑顔になる理由を理解した。


明日から簡単に会えなくなるのか。
あーぁ、夏休み早く終わんないかな……って、いやいやいや!この休みだけは絶対に死守するから!堪能してやるんだから!もう3ヶ月以上待ち望んでたんだから!

でも、たとえ一瞬でさえそんな全世界の人類から非難されそうな願い事を流れ星に祈りそうになるなんて。

恋とは本当に恐ろしいものです。