此処に帰ってきたのは何時ぶりだろう…。
ぐるりと周りを見回すと、懐かしさと少しの疎外感を感じる。
真新しいとはいえないけれど、記憶にないものが視界に入り、長い月日が過ぎたのがわかる。幼き日を過ごしたところは随分と様変わりしていた。
アスファルトの照り返しに辟易しながら、足を動かした。
かつては見渡す限り稲の緑が広がっていて、遠く山の稜線が見えていたのに、今では戸建ての家が立ち並び全く見えない。どこか違和感が拭えず、そっと目を逸らした。
美化されていた思い出たちが汚されたような気がしたのだ。
仕方ないとはいえ、変わらずにいて欲しかったというのが本音である。
だからこそ、記憶のままにあったそこに心底安心した。
『久しぶりだねスコッチ』
懐かしさに任せて楠の大木の根元に寝転がって涼をとっていると、数年ぶりに聞く声がした。
二度と聞くことのないはずのそれに、がばりと上半身を起こし振り返った。
「名前!?」
漆黒の長い髪につり目がちな暗紫の瞳。
ブルーグレーのパンツスーツをきっちり着こなしている。
あの時と少しも変わらない名前がそこにいた。
蝉時雨が見つめあう俺たちに降り注いだ。
脳裏に過去がよみがえる。
俺が『スコッチ』というコードネームで潜入していた組織に、ノックだとばれそうになった時、疑惑の矛先をかえてくれたのが同じく潜入していた名前だ。敢えて怪しい行動をとり、巧く奴等を誘導していった。そして、名前の思惑通りの結末を迎えた。
―胸を真っ赤に染め、ぐったりと壁に寄りかかる身体。光を失いつつある暗紫の瞳。
―これで、よかったのよ。彼の、為にも。あとは、頼んだ、わね。
それが彼女の最期の言葉だった。
彼女の遺志を胸に、半年前に漸く組織を壊滅に追い込むことができた。
「やっと、終わった。だから報告にきた」
珍しくお盆を含んだ夏休みがとれた。丁度いいかと何年かぶりに地元へ帰省したのだ。
二人並んで座り、組織の壊滅までの経緯を話した。
相変わらずな降矢と赤井の様子に苦笑をもらす。
『二人とも変わらないね』
「あそこまで反りがあわないのも珍しいのかもな」
顔を見合せ、笑いあった。
久しぶりの再会に、しまいこんで封印したものが溢れてきた。
想いを伝える前に逝ってしまった。しかも、自分の代わりに…。
喪失感と罪悪感は、幾年か経った今でも心の中にまだ燻っている。
再会を嬉しく思うと同時に胸をぐっと締め付けられる気がした。
『なーに暗くなってるのよ!』
明るい名前の声にはっと我にかえった。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、困ったように眉を下げていた。
『折角会えたんだから、湿っぽいのは無し!』
ねっ、と笑みを浮かべていった。
「そうだな」
つられるように口角が上がった。
同郷である名前との話は尽きず、次の日もその次の日も同じ場所で落ち合い、語り合った。
今までの空白を埋めるように…。
楽しげに笑っていた名前の表情がくもりがちになってきたのは、お盆最終日の次の日、西の空に茜色が混じり出した頃だった。
遠く、彼方を見つめる名前は儚げで、今にも消えてしまいそうなぐらい希薄だ。
同じ方向を見やると、ちらちらと小さな灯りが連なって動いていた。
「名前?」
急に胸がざわつき、震えそうになる声を抑え、彼女の名前を呼んだ。
振り向いた顔は申し訳なさそうな、悲しそうな、複雑な表情をしていた。
『ごめんね、もう、お別れみたい…』
暗紫の瞳に涙がうかぶ。
すっかり忘れていた。そうだった名前はもう――。
込み上げる感情をなんとか飲み込み、涙がつたう頬にそっと手をあてた。ひんやりとした感触が手のひらに伝わった。それに重ねられた手は冷たく、彼女がこの世のものではないと、強く思わされた。
『会えて嬉しかったよ』
「俺もだ」
そう返すのでいっぱいいっぱいで。留めておける手段はないのかと、―できるはずもないのに―焦る頭で考えたりもした。そんな俺の内心を知ってか知らないでか、
「じゃあね」
と、短い言葉と笑顔を残して名前は溶けるように消えていった。
別れは実にあっさりしたものだった。
彼女はさばさばした性格で、湿っぽいのを嫌っていたから仕方のないことかもしれない。それでもこれはないだろうと、味気ない別れに苦笑した。
でもまあ、またくればいい話だ。その時は名前の好きなものを買ってきて墓前に供えよう。
「来年は、ゼロと赤井を連れてきてやるよ」
今まで名前がいた場所にそっと呟いた。
しかし、次の年は名前と会うことはなく、同行した二人からは胡乱げな視線をもらってしまった。
その後も何度か帰ったが、二度と名前の姿を見ることはできなかった。
それでもあの楠の大木の下での近況報告は続けた。
姿は見えずとも、名前がすぐ傍できいている気がしたからだ。
蝉時雨が、今年もまた変わらず樹の上から降り注いでいる。