あの場所は幻で

土方歳三|Fate/Grand Order

夢の途中で、これは夢だと気付くことがある。逆に、夢と現が絡まって、わからなくなってしまうことも多いのだけれど。今回は前者だった。戦場に、黒い和装の男が立っている。彼は悪鬼のような形相で敵に斬りかかりながら、吠えた。
「おああああああ!ここが!新、選、組だあああああ!!!」
猛々しくも決死な咆哮。私は頓に切なくなる。夢だとわかっているのに、如何にかしてやりたくてフラりと一歩踏み出した。そして…

「あ、起きた!…いやぁ、よく寝てましたね〜」
目を開けると、視界一杯に可憐な少女の顔があった。薄桃色の毛先が私の鼻先で揺れている。秋晴れの昼下がり。縁側に差し込む陽光があまりにも心地良かったので、沖田さんと二人、庭の紅葉を見ながら日向ぼっこをしていたことは覚えている。どうやらそのまま寝てしまっていたらしい。
「何やってんだ、お前ら…」
いつの間にか宿に戻っていたらしい土方さんが顔を出す。呆れた風だが、そこには気安さがあった。
「日向ぼっこですよ、土方さんも一緒に如何ですか?」
にこにこした沖田さんに誘われて、土方さんも満更でもなさそうに縁側に腰を下ろす。鬼の副長の介入に、私は慌てて体を起こした。私の立場は隊士ではなく、彼等の身の回りの世話をする女中のようなものだが、それでも土方さんの前では緊張するものである。
「土方さん、お土産はないんですか?」
「ある訳ねぇだろ」
「ふふふ…」
二人の兄妹のようなやり取りに、試衛館時代を思い出して、ついつい笑ってしまう。私たちは目下、隊士を募る為、江戸に来ている。近藤さんを筆頭に新撰組の大半は京都に残っているため、気心の知れた面子で、出張というよりは慰安旅行といった風だ。特に、池田屋事件の折に喀血して以来、長く体調が思わしくない状態が続いている沖田さんにとっては気分転換による療養も兼ねている。放っておくとすぐに刀を握りたがる彼女の監視と看病を一手に引き受けている私も、お役目の方ではてんで役に立たないので、隊士の増員の為に動いているのは、実質土方さんくらいなものである。
治安組織である新撰組がこんな具合なのには、ちゃんと理由がある。我々の現状を端的に言い表せば、待機中ということになろうか。
将軍である徳川慶喜が大政を朝廷に返上しようとしているのではないかという噂は、前将軍が暗殺された直後から真しやかに囁かれていた。ここにきて、いよいよその噂が信憑性を帯びてきた。そうなれば戦は避けられぬだろうというのが近藤さんの見立てである。あの人がそこまで言うからには、確かな筋の情報があるのだろう。武士の天下が終わる。その前に、新撰組は来る戦役に備える必要があった。政権が移るといっても漠然としすぎていて、その先我々の立場がどうなるかは、想像すらつかない状態である。好転しないことだけは確実だった。前時代の遺物として、葬り去られてしまうことも有り得る。だからこそ、不測の事態に備えるべく、各々が奔走しているのだった。

京に残った本隊は緊張感を持って事の成り行きを見守っているのだろうが、遠く東に下った我々別働隊は暢気なものである。土方さんはこの時期に戦力を掻き集めることの必要性を誰よりも理解しているらしく、この役割にも不満はなさそうだった。むしろ明るく振る舞っている沖田さんのほうが、この状況に焦りを募らせているように見えた。そこには病で思うように体が動かなくなっていくことへの苛立ちもあっただろう。
「また朝帰りですか?」
諜報役も担っているのだろう、土方さんの帰りは江戸に来てから遅い。ただ、生来の女好きを考えると、酒場に出入りするのは仕事の為だけではないだろう。案外江戸にも以前から懇ろな女がいるのかもしれない。
「…フッ、お前がそう言うなら、早めに戻るとするか」
私はただ出掛けようとする土方さんに、「夕餉は必要ないですね」と嫌味っぽく尋ねただけのつもりだったが、何故か含みのある返しをされてしまった。朝餉も要らないようなら、沢庵を切らずに済むのだが…。
「はぁ…」
とりあえず夕飯は土方さんの分も用意しておこう。生返事をする私の頤に、大きな手が掛けられた。
「そんな顔するな、今夜は可愛がってやる」
私が反応を返す前に、素早く唇を奪って去っていく。残された私は驚きのあまり声も出せず、その背中を見送った。

土方さんの突然の不意打ちの接吻に惚けていた私を見つけた沖田さんは、事情を把握すると。怪訝そうに首を傾げた。
「え、二人って恋仲じゃなかったんですか?」
今度はこちらが胡乱な顔になる番だった。しかし、土方さんとどんな関係だったか思い出そうとすると、古い知り合いであること以外は不明瞭である。強引に情人だったと言われれば、納得させられてしまいそうだ。
「そんなことより近藤さんからの便りですよ!」
「ああ、そういえば届いてましたね」
「土方さんってば、沖田さんに見せてくれないんです〜」
信じられないという風に沖田さんは大袈裟に頬を膨らませた。この場での責任者は土方さんだから、局長とのやり取りを彼が行うことは自然なこととはいえ、一番隊の隊長である沖田さんにまで明かさないのは奇妙なことに思えた。例え、彼女の病床を副長のほうが本人より重く捉えていたとしても。加えて、連日続いた朝帰り。私たちは隊士の補充のために江戸に来ているはずなのに、新しい隊員の候補にすら会わせて貰っていない。これについては時流や悪い噂の影響で志願者がいないのだろうと決めてかかっていたが、果たして一人の人材の宛もなく、近藤さんが土方さんを派遣するだろうか。
「ま、別にいいんですけどね。大方、女人絡みのトラブルとか下世話なこととか赤裸々に書いてあるんで、沖田さんには見せられないんでしょう」
私はあまりに深刻な顔をしていたのだろう。気を取り直させるように、沖田さんが殊更冗談めかして明るく言った。

早く帰ると言っていた割に、土方さんの帰りは日付が変わる直前だった。普段は沖田さんと一緒に寝てしまうことが多いのだが、今宵はじっと待っていた。起きていた私を見て、土方さんは意外そうな顔をしたから、出しなのあはなしをれは戯れだったのだと知れた。
「待たしちまったようだな」
「沖田さんが拗ねてましたよ、近藤さんからの手紙、土方さんが見せてくれないって」
単刀直入に切り出したら、舌打ちされた。
「俺宛だ、アイツに見せる必要なんざねぇ」
吐く息に微かに酒の匂いが混ざっている。
「内容は大政奉還に纏わることですか?」
話を適当に切り上げられても困るから、私は早急に切り札をだした。我々が江戸に滞在すること数週間。将軍が諸藩士に招集をかけているのは秘密でもなんでもない。時を同じくして朝廷側が倒幕を仄めかせていたことも、今では子供でも知っている。
「それがどうした」
土方さんは比較的すんなりと肯定した。凄んでいるようにも見えるが、これは素だろう。私は足りない頭で考えようとする。政局が変わること。それによって新撰組がどうなるのか。しかし、思考がまとまる前に、土方さんに抱き寄せられた。
「土方さん?」
「黙ってろ」
艶っぽい空気に流されそうになる己を必死に律して、土方さんの逞しい腕に爪を立てる。制止したつもりだったが、この程度の抵抗なんて、子猫がじゃれついているようなものだろう。
「兵を挙げるつもりですね?」
糾弾する気でいたのに、肌を暴かれながらでは、凛とした声など出せなかった。これではまるで睦言だ。案の定、土方さんは鼻で笑っただけで、答えなかった。

教科書などでは大きく取り上げられがちだし、実際に歴史的な大問題だろうが、大政奉還自体はすべての出来事のきっかけに過ぎない。朝廷へ政権が返上された後も徳川慶喜は将軍だったし、新撰組も治安組織として機能している。余談ではあるが、坂本龍馬が暗殺されるのはこの翌月のことで、その数日前に土方歳三が隊士を引き連れて京に戻っていたことも、新撰組犯人説を後押しするかたちになった。武士という制度の廃止、それに伴う新撰組の離散を招いたのは後々に追って出される王制復古の大号令の方で、つまり現時点では土方さんが挙兵する理由はない。
だが、それは正しい歴史の話だ。
現時点で先の見通せない状態にあって、土方さんひいては近藤さんが武力行使という手段を取らないとは言いきれない。要人の暗殺、薩長への宣戦、ぐるりと発想を変えて、徳川幕府に刃を向けることもできる。それは理論上はとても愚かな行為だが、感情の上では一番有り得るような気がした。武士の不満で以て武家社会に終止符を打つ。どうせ、ここまで来たら徳川幕府の解体は逃れられぬのだから、せめて、朝敵になることを何よりも恐れた、あの将軍の首を道連れにするのだ。
「…あれ?」
私は何を考えているのだろう。今はまだ、慶応三年の十月上旬。するらしいと噂には聞いていても、大政奉還のその後のことなど、知る由もない筈なのに。
「やっと気付きましたか」
いつの間にか、沖田さんが隣に座っていた。縁側から足を投げ出して揺らす。散った紅葉が風流だ。
「これは夢なんですよ、マスター」
沖田さんは優しく私に呼び掛けた。霧が晴れるように、私は自分が何者か思い出す。
「土方さんの?」
サーヴァントの夢に呼ばれることは稀にある。大政奉還が成されなければ、武士の世が続くかもしれない、なんて。短絡的な私の考えに、沖田さんが小さく首を振る。
「いえいえ、これはマスターの夢ですよ」
よっぽど土方さんに肩入れしているようで、少し妬けますねぇ…なんて。沖田さんのからかうような声が少しずつ遠ざかっていった。


目を開けるよりも先に、血と硝煙の匂いで自らの意識の覚醒を知った。
「気が付いたか…」
土方さんが背負ってくれているらしい。つくづく理性的なバーサーカーである。戦場で急に眠りこけてしまったであろう私は申し訳無いやら恥ずかしいやらで、彼の背中にしがみついて身を縮めた。
「土方さん」
「なんだ?」
「どうやら私、土方さんのことが好きみたいです」
あなたに都合が良くなるように、歴史を改竄する夢を見てしまうくらいに。
「俺に惚れてるってのか?…見る目があるじゃねーか」
私の告白を、土方さんは笑い飛ばした。彼個人というよりは、その背景にある新撰組。その不滅の覚悟。血塗られた誠。ひいては、幕末というあの時代そのものに私が惹かれていることに、彼はきっと気付いているのだ。

作|よみ様