この本丸は時々不可思議なことが起こる。
審神者にはモノに宿るオモイを呼び起こす力があるのだが、通常それは付喪神が宿る刀剣のみに作用するものだ。
しかし、ここでは稀に違うものまでにそれが及ぶことがある。前回は燭台切光忠愛用の和包丁が人形(ひとがた)になった。その包丁は、審神者が料理が好きだという燭台切に贈ったもので、彼はとても大切にしていた。
元来、付喪神とは長く時を経た道具に憑くものだが、本丸の特殊な環境や付喪神である燭台切に大切にされたことが因となったのだろう。
人形(ひとがた)をとった和包丁は、短い間ではあったが持ち主の燭台切と交流し、一緒に懐石料理を皆に振る舞ったのだった。

今回、人形(ひとがた)をとったのは、執務室の飾り棚に置かれていた紫水晶で作られた兎の置物だ。それは審神者が着任時に、今は亡き祖母から祝いにもらったものだった。

「お慕い申しております、薬研藤四郎様」
藤色の小袖に山吹色の帯を合わせた、長い髪の、薬研によく似た女の子が顕現した。彼女は薬研を見るなり、紫水晶の玉を両手で差し出しながら、華が綻ぶような笑みを浮かべてそう想いを告げた。
奇しくもその日は如月の14日、女性から男性へ気持ちを伝えるバレンタインデーだったのである。
「えぇぇぇー!」
「!?」
「……」
驚きのあまり大声を上げたのは審神者で、衝撃に碧眼を大きく見開いたまま硬直したのは山姥切国広、突然の告白で藤色の双眼を丸くさせて女の子を凝視しているのは薬研だった。
―そして、執務室の前をタイミングよく通りかかったある刀剣男士は、始めこそ衝撃に立ちつくしていたが、やがて輝かしい表情で、そっとその場を離れていった。彼の通り過ぎた廊下には桜の花弁の道が残されていた。

ずっとずっとこの日を待ちわびていました。
主様が審神者として本丸に着任され、初鍛刀として顕現なさった薬研藤四郎様。
儚いお姿からは想像できないくらい、男前で頼もしいお方。山姥切様と共に主様を陰日向支え、執務にあたられているのを、棚の上から拝見いたしておりました。
気づけば、貴方様に惹かれており、お話をしたいと強く思うようになりました。ほんのひとときでいい、刀剣男士の方々のように人形(ひとがた)をとれたならば、と願っておりました。
本当に嬉しかったのです。人の身を得られたことが。なので、思わず長い間秘めた想いを口にしたことは
どうかご容赦下さいませ。

水晶兎が顕現されて一月(ひとつき)がたった。薬研とよく似た儚い外見と裏腹に、中々活動的な女の子だった。
薬研が朝に弱いと聞けば、毎朝起こしにいった。
薬の材料が足りないなと薬研が呟くと、図鑑片手に裏山へ取りに行った。
『殿方を振り向かせるのなら、先ずは胃袋からです』
と一期一振から聞くと、厨へ走り、燭台切と歌仙兼定に料理指南を願い出た。
「これをお持ちください。皆様ご武運を!」
と出陣や遠征の時にはお弁当を、おやつの時には和菓子や洋菓子を作った。(勿論、想い人の薬研には皆より少し多目に渡していた)
「…ねぇ、一期さんが嫁をしごく姑に見えるんだけど…」
「…奇遇だな。俺にもそう見える」
一期の指南を嬉々として受ける少女を、審神者と山姥切がなんともいえない表情で見守っていた。
「ねぇ、切国」
「何だ?」
ちらりと黒い瞳が見上げる。それを受けて碧の双眸が見下ろしてきた。
「私が想像していたのとなんか違うんだけど…」
「…写しの俺にいわれても困るんだが…」
「もっと、こう、初々しい何かとか、甘酸っぱい何かとか…」
「…あんたが何いっているのか理解できない」
もどかしそうに身振り手振りで話す審神者に、困惑した表情で応じる山姥切。
「若者の恋とは!あんな所帯染みたものではなかったはず!」
「…兎は知らんが、薬研はあれでも数百年はたっている付喪神だからな」
「いつ、祝言挙げたんだろう…。知らなかったよ。主さみしい…」
山姥切の言葉はスルーされた。審神者はどんよりと暗雲を背負い、ぶつぶつ呟いた。
「俺っちはいつの間に所帯持ったんだい?たーいしょ?」
背後から声をかけられて、審神者と山姥切は同時に肩をはねあげて振り向いた。
「や、薬研!?」
「!?」
紫の瞳を悪戯っぽく輝かせながらこちらを見ていた。その手には紙袋が握られていた。
「今、帰ったぜ。助言ありがとな、大将。おかげでよい物が買えた」
薬研は紙袋を掲げながら礼をいった。満足げな表情を浮かべているのを見た審神者は、お役にたててなりよりと嬉しそうに目を細めた。
一振り話のみえない山姥切は小首を傾げていた。

審神者と少し話した後、薬研は水晶兎の部屋へやって来た。

―弥生の14日はホワイトデーといってね、先月の14日のバレンタインデーと対になっているものなんだ。
日本ではバレンタインは女性から男性へ想いを伝える日。ホワイトデーは男性がその返事をする日。
兎ちゃんが薬研に告白した日は丁度バレンタインデーだったから、返事をするなら折角だからホワイトデーにしてみたら?

兎への返事をいつにするか迷っていた時に、主から提案されたことがふと脳裏に浮かんだ。
一月(ひとつき)前に水晶から顕現した少女。
初見に告白された時は驚いたものだ。
甲斐甲斐しく世話をやかれたのは、いつもと逆なためなんともむずがゆいものだった。それがいつしか心地よいものになり、可愛らしい笑顔を独占したくなってきた。
妹のように本丸の奴等に可愛がられるのは少々妬ける。だが、他の奴等よりほんのちょっとだけ贔屓されているのを知って、優越感を感じるためあまり気にしないようにはしている。
兄弟たちには薬研ばかりずるいといわれても、この立ち位置は譲る気はないし、分ける気もない。
薬研は兎に向く自分の感情が何かは自覚している。だが、兎に伝えるつもりはない。
―すまないな。他の奴等に譲る気はない。だが、兎の想いには応えられない。歴史修正主義者との戦いが激化している今、恋とかにうつつをぬかす訳にはいかないんだ。
どこか矛盾を孕んだこの想いを、薬研は水晶兎に話した。
黙して薬研の話を聞いた水晶兎は、居ずまいを正してまっすぐに薬研を見据えた。
「私も付喪神の端くれ。待つのは苦ではありません。なれば、待てといわれればいつまでもお待ちします」
兎の瞳には揺るぎない意志が透けて見える。薬研に似た容貌で、儚くか弱そうな外見と裏腹に、強靭な精神力を持っていた。
持ち込んだ紙袋から小さな桐箱を取りだし、蓋を開けた。そこには紫水晶の指輪があった。
主に相談して決めた贈り物。兎から貰った水晶の玉と同じ石を使って作られた物を探し出して買ってきた。
兎の左手をとり、薬指にそれをはめる。
「…歴史修正主義者との決着が完全についたその時には、今度こそ俺っちからいわせてくれ。『俺と祝言挙げてくれ』ってな。それまで待っていてくれ。これはその約束だ」
兎を抱き寄せその耳元にそっと囁いた。こつと額を合わせる。菖蒲色の目から涙が零れた。
「何時までもお待ち申し上げております、薬研様」
それが、最後の言葉だった。人形(ひとがた)を解いた彼女は元の水晶に戻った。
それを拾い上げた薬研は、執務室へ足を運び、水晶を譲り受けたい旨を審神者に申し出た。
審神者はじっと薬研の手のひらにある、水晶兎を見つめた。小さな丸い双眼と視線があった気がした。
「いいよ、大切にしてあげてね」
とそれを承諾し、水晶を指先でつるりと撫でた。
薬研は己の両手にのるそれを愛おしそうに見つめながらしっかりと頷いた。
「兎をあまり待たせる訳にはいかないから、遡行軍をさっさと殲滅させて平和な世にしような、たーいしょ!」


後日談
「ゆ、結納、ですか?」
突然の一期一振の申し出に、審神者は戸惑った声で復唱した。
力強く頷いた一期は、金眼を爛々と輝かせいった。
「本当は、祝言を挙げるつもりでしたが。こうなった以上は、せめて結納だけでも…!」
ぐいぐい迫る一期の隣には、にこにこ笑みを浮かべる薬研が座っている。ずいと、水晶の兎をつき出してきた。
「さぁ、兎を顕現して下され!」
いつもならば一期を止めてくる薬研だが、今日はその気配がない。
審神者と山姥切は訝しげな視線を向けると、にいっと愉しげに笑みを深めた。
「そういうことだから頼んだぜ、たーいしょ、切国の旦那?」
「まさか!薬研が!のるとは!」
「な、なんだ、と!?」
がっくりと項垂れる一人と一振りを面白そうに見ながら、からから豪快に笑う薬研の声が執務室に響いた。


***
初めての海水浴に、気分が高揚しているのか、桜の花弁があちこちで舞っては消えていく。
「いぇーい!海だぁー」
「やっほー!」
雄叫びをあげながら海へ走っていく奴等もいれば、
「はっはっは、よきかな、よきかな」
「ちゃんと日焼け対策しなくちゃ」
パラソルの下で涼んだり、日焼け止めクリームを塗る奴等もいる。
「よいせっと。ありがと、伽羅ちゃん」
「…このくらいどうってことない」
両手に持った大きな荷物をおろすと、大倶利伽羅はすたすたと何処かへ歩いていってしまった。その背中に燭台切光忠が声をかける。
「お昼には戻ってくるんだよー」
「皆、いきなり海へ入っては駄目だよ。ちゃんと準備運動を――っ、厚!博多ぁーっ!」
砂浜に散らばる弟たちを、追いかけ回す一期一振。海へとびこむ厚藤四郎と博多藤四郎を見て悲鳴をあげた。
なかなか混沌とした光景に、両腕いっぱい荷物を抱えた山姥切国広は大きなため息をついた。突然、ぐいと後ろから布を引っ張られる。鮮やかな金色の頭髪が露になり、太陽の光を浴びてきらきら輝やいた。
「暑苦しいから、今日ぐらい取りなよ。それに、綺麗なんだから勿体ない」
そういいながら横に並んだのは主で、にやりと意地の悪い笑みを浮かべている。
「綺麗とかいうな!それよりあんた、この為に俺にたくさん持たせたな!?」
「ご名答〜」
主の企みに気づき、ぎろりと睨み付けた。あっはっはとそれを歯牙にもかけない主の朗らかな笑い声が砂浜に響いた。

『現在、情勢は落ち着いている。日頃の労を労い、各本丸三日間の休みを与える。なお、この間の日課は行わなくてもよし。希望日が決まり次第、申請するように』
と、時の政府からの通達がきた。そこで、この本丸の主は刀剣男士たちにアンケートをとり、行き先を決めることにした。結果、海が一番多かったので、夏に休みをとることにしたのだった。

名前は、幾つか用意したテントの一つに荷物をおろし、そのまま自分も座った。
「海に入らないのか?」
そうたずねる山姥切に、後でと答え、近くを通りかかった彼の兄弟刀、堀川国広に声をかけて山姥切を海へ連れ出してもらった。
「切国をよろしくね〜」
「任せてください!行くよ、兄弟!」
「っ、お、おい、そう引っ張るな!」
堀川に腕を引かれてまごつく山姥切に笑いながら手を振って見送る。
「和泉守が早く来ればいいのにねぇ…」
未だに本丸に顕現していない堀川の相棒の打刀。いないもんだから、代わりに山姥切の世話をせっせと焼いている。襤褸布がいつも綺麗なのは彼のおかげだ。
「大将も、鍛刀運がいいんだか悪いんだかよくわからんお人だな」
そう呟いたところへ薬研藤四郎がやって来た。
「ほんとだよね…。一期さんは早かったのに、他の粟田口は一期さんより先に来ていた薬研以外は一年くらい来なかったし…」
遠い目をしてしまった主に、薬研は眉をハの字に下げる。彼の脳裏には今までのことがよみがえっていた。
「…その節はいち兄が色々面倒かけたな」
「こちらこそ私が不甲斐ないばかりに薬研には苦労かけちゃったね」
「いや、身内だからな。なんてことないさ」
一期一振という刀剣は弟たちを大切にする、心優しくて穏やかな性質だ。そして礼儀正しく、忠義にも厚い。
ここの一期も基本的にはそうなのだが、薬研以外粟田口がなかなか顕現しなかったが為に色々拗らせてしまっていた。弟たちが絡むと、大暴走する。ついこないだも、博多が検非遣使に重傷を負わされたことを知った一期は、単騎出陣して奴等を一掃してした。
一人と一振りの間に、海に似つかわしくない、どんよりした空気が漂う。
「……一期さん、何か大変そうだけど、手伝いにいったほうがいいかな?」
西瓜割りをしたり、波打ち際で遊んだりしている弟たちの間を右往左往している一期を見ながら呟いた。
「……放っといていいぜ。振り回される側の気持ちをわかってもらうためにも、な」
ははっと乾いた笑いを漏らしながら、薬研は返事をした。
「…それもそうか。しかし、薬研もいうね…」
「まぁな」
呆れたように薬研を見る名前に、短くそういって肩をすくめてみせた。
「…海、入りに行こうか」
名前が立ち上がって薬研に向けて腕を伸ばす。紫の双眼が少し見開かれたが、すぐにやわらかく細まった。
「そうだな、せっかく来たことだしな」
薬研も腕を伸ばし、その手を握る。ぐっと引かれて立ち上がった。顔を見合せ、二人してにっと笑みを浮かべる。
眼前に広がる青い海へ先を競うように走り出した。

ひとしきり海を満喫した一行。昼時だと歌仙兼定の声に、わらわらとテントに集まってきた。
燭台切をはじめとする厨番たちが、早朝から張り切って作ったお弁当が広げられた。皆の好物がこれでもかと詰められいる。大食漢揃いなため、少ないと醜い争いが勃発するのである。雅をこよなく愛する歌仙が黙っているはずがなく、物理的に鎮圧したことが過去に何度もあった。
各々が箸と皿を持ち、戦闘体勢は完了。後は主の号令待つのみだ。
この時ばかりは馴れ合うつもりはない大倶利伽羅も、写しだから〜とうじうじする山姥切もそういってはいられない。そんなことしていたら、人気ナンバーワンであり、二人の好物のだし巻き玉子食べ損なうのを、身に染みてわかっているからだ。出陣時並みの気迫に、堀川は苦笑していた。
「おっ、伽羅坊もやるき満々だな。こりゃー俺も負けてられないな!」
鶴丸国永も楽しげに笑いながら箸を構えた。
そんな面々を見渡し、主が声を張り上げた。
「それじゃあ、いただきます!」
「いただきます!!」

さあ戦いの始まりだ。

個性溢れる箸取りを、名前はくすくす笑いながら眺めていた。自分の分はしっかり確保済みだ。
「相変わらず凄いね〜」
「そうだな。いち兄、こいつらはいいから自分も食べろよ。なくなるぞ」
一期は、さっきから弟たちに料理を取り分けてばかりで、自分はほとんど食べていない。薬研はやれやれといわんばかりに肩をすくめて、重箱から幾つか皿に移した。
「薬研、これも」
名前が箸でつかんで渡してきたのは、枝豆の入ったさつま揚げだ。これは一期の好物の一つ。緑の粒を見て、薬研の眉間に皺が寄った。本丸の広大な豆畑を思い出したからだ。
「ありがとうございます、主殿、薬研」
差し出された皿を受け取り、頭を下げて礼をいった。さつま揚げを食べた一期の周りに桜の花弁が舞った。

ぷかぷかぷか――――
フロートに寝転がり、波に揺られる。静かでのんびりしとした時間。視線の先には、堀川の瞳を彷彿とさせる青く澄んだ空が広がっている。
賑やかで忙しない日々からの離脱。そんな日常は嫌いではないが、たまには静かなひとときを過ごしたいとも思う。
「なかなか良いもんだな、こういうのも」
フロートの縁に腕を置き、そこへ顎をのせた薬研がいった。目を閉じて海風をうける。
「そーねー…」
気の抜けた声が名前の口から漏れた。
海岸から離れている為、喧騒は遠く小さい。
本丸に帰れば、遡行軍との戦いが待っている。
「良い気分転換になったかな…」
離れた所で戯れる付喪神たちをちらりと眺めながら独りごちる。
「あんなに楽しんでんだ。なっているさ」
「それなら来た甲斐があったってことかな。薬研は?息抜きできた?」
「ああ、できたぜ。ありがとな、大将」
黒曜の双眸が薬研を捕らえた。満足げな表情を確認した名前は再び空を見上げた。薬研は遥か先の水平線へ紫の瞳を向けた。

空も海もどこまでも青い。