さてはて晩御飯の献立(メニュー)は何にしようかと考えつつ、冷蔵庫の中身を確認して何にも無い事に気付いて。ついでに、念の為と覗いた冷凍庫内にもまともな食材が残っていない事を把握して。今朝配達された新聞に挟まれていた近所のスーパーの広告を見て、とりま買い出しに出掛ける事を決意して家を出た。
 自炊は得意ではないが……というか、正直にぶっちゃけたらマジ無理というくらいの駄目駄目レベルに大の苦手で、作れたとしても本当に最低限の程度だが。しかし、今の世の中大変便利になったもので、兎に角、店にさえ行けばお一人様分の食事というものは容易に揃えられるもので。料理が不得意な一人暮らしの人間にも優しくなったものだ。まぁ、自分の場合、料理だけに限らず、家事全般において駄目な駄目人間であるが。そんな細かい事は、今はさて置くとして。
 特売の文字が踊る広告チラシを手に、近所のしがないスーパーの出入口たる自動ドアを潜(くぐ)る。店内へ入るなり、買い物カゴを手に予め家を出て来る前に用意した買う物リストを記したメモへ目を遣りながら、目的の物が並んでいるであろう場所を目指して陳列スペースを順に巡って行く。なるべく無駄遣いはしないよう、必要最低限の物のみを購入する事を意識して、陳列する商品を物色しては必要な物をカゴへと入れていく。
(えーっと、今日は白菜と豚肉が安いんだっけか……。なら、今晩の献立はミルフィーユ鍋かな。立春過ぎた癖に、ちっとも温(ぬく)くならんくて寒いし。鍋の素なら……んっと、確かまだ豆乳鍋の素のストックがあったよなぁ〜。うん、という事は、今夜は鍋で決まりっつー訳だ。いやぁー、鍋って取り敢えず具材突っ込んでグツグツ煮込んどけば良いだけだから楽だよね〜っ。鍋一つあれば、其れだけでがっつりメインになるし、別個汁物作らなくて済むから本当楽! まぁ、別に汁物くらいインスタントとかでどうとでもなるんだけどさ……。せめて味噌汁くらいは作った方が良いよね〜って感覚に陥るんだよね……。幾ら、料理下手で無精で適当に済ましがちと言えども)
 とか何とかと心の中だけで一人ごちりつつ、一通りの物をカゴに突っ込み終えた事を確認して。最後に、何とはなしにとお菓子コーナーの陳列棚を見てから帰る事にする。
 そうして、甘い匂い漂うチョコレート製品が中心と陳列するスペース前を横切ったところで、不意に視界に映ったポップアップの文字に、其れまでただ淡々と商品ラベルを流れ見るだけでいた足が止まった。正しくは、ポップアップに飾られた日付と文言に視線が集中するように意識が引き寄せられ、その場へ縫い止められたのだった。
 自身の目に飛び込んできた文字を改めてまじまじと見つめて、ポツリ、思った事が何も着飾られる事無くそのまま呟かれる。
「あ……そういや、今日二月の十四日だったっけ……。もうそんな時季だったのかぁー。うわぁー……バレンタインの存在とか、完っ全に忘れてたなぁ〜……っ。つーか、今更んなイベントに沸く程精神若くもなかったわ……学生ん頃はそりゃ何かとはしゃいでた気もしなくも無いけど、大人となった今じゃそう騒ぐ程のテンションのモチベも無いしなぁー。端的に言って枯れたわぁ〜……社会に忙殺されて、気付けば月日だけが過ぎ去って行くばかりの感情置いてきぼりだわさぁ〜…………はぁ。其れにしても……そっか、今日バレンタインデーだったか……完全に頭からすっぽ抜けてたわ……どないしょ……。つって、今更どうこうするとか焦る事も無いんだけども」
 でも……、と思う事が一つあった。其れは、近所に住む、いつも何かとお世話になっているヒーローの存在である。
 日頃世話になりっぱなしという事もあるし、単なる義理でも世話になってる礼としてでも、せめて彼相手ぐらいには用意してやる心持ちぐらいは持っていた方が良い気がしてきた。例え、用意するのがコテッコテの市販物だったとしても、何も無いより幾分かマシだろう。決して、バレンタインという特有の空気に飲まれて、イベントにかこつけて下心をチラつかせるという訳では、断じて無い。
 内心で適当な言い訳を述べ上げた上で、数秒か数十秒かの葛藤をして、結局は目の前の謳い文句に踊らされる形で一つの商品を手に取り、素早くカゴの中へinした。たった今、自分はお菓子会社の陰謀にまんまと引っ掛かったのである。別に悔しくなんかないけれど。ついでのおまけに、自分用のオヤツ兼ご褒美にと隣に並んでいた味違いのパッケージを一つ追加して、レジへと向かう。
 さぁ、目的は達成した。後は、自宅へ帰宅したのちに手早く晩御飯の準備に取り掛かるのみだ。その後の時間は、まぁ適当にゆるっとのんびり溜まってるアニメでも消化する時間に充てるとしよう。そうしよう。
 ……でも、やっぱりその前に一つ、忘れてはならないと。明らかに贈答用に気合いを入れて包装されたチョコレートの入った小振りの紙袋を携えて、某知り合いのヒーローの元を訪ねるべく、家への帰り道とは異なるルートを進んだ。
 そして、その道中で見付けた、コンビニ帰りと思しき彼のキラリと光る眩しい後頭部に、気持ち早足で歩み寄り、声をかける。
「——よっ、正義のヒーロー! 今日もラブ&ピース精神で頑張ってる?」
「おっ? おー、誰かと思えば、名前じゃん。どしたぁ?」
「買い物帰りに偶々後ろ姿見掛けたから、ちょっと声かけてみただけ〜。サイタマは、コンビニ帰り?」
「うん、そう。●ャンプ立ち読みついでに何か小腹満たせそうなツマミ買ってきた」
「おーっ。ちなみに何買ったの?」
「ベタにスルメイカとかチータラとか、そんなんかな。名前は? 何買ったん?」
「今日は白菜と豚肉安かったから、お家帰ったらお鍋を作る予定です……! ちなみ、何の鍋作るかって言うと、豆乳鍋の素を使ってのミルフィーユ鍋なのです!」
「うわ、超うまそう……! そっか、鍋か〜。もうすぐ春っつっても、まだまだ寒いもんなぁー。俺も今夜は鍋かおでん辺りにでもするかぁ〜……っ」
 気さくに話しかければ、いつも通りのゆるりとした空気で振り向いた彼からフラットな調子で返事が返ってくる。
 近所に住んでいる、とても頼りになる、実は物凄くチートに強いヒーローである男。其れが、普段何かと世話になっていて感謝しか無い相手であり、実は密かにちょっぴり下心を抱いている相手だ。名前は、サイタマ。頭はツルツルピカピカとしていて寂しげで、通常運転モードだと気の抜けた何とも間抜けな表情を浮かべているように見えるかもしれないが。こう見えて物凄く格好良いヒーローなのだ。
 だのに、世間は彼の魅力に一切気付く事も無く、他のイケメンばかりに意識を向けている。まぁ、変に彼が人気者になるのも、色んな意味で敵が増えるので、彼には悪いが、出来ればこのまま変わらず知る人ぞ知る人で居て欲しい。
 そんなこんな、頭の中だけで一人思考の渦に沈みかけていると、ふと徐に何かを思い出した風に声を上げた彼が歩むスピードを落とす。
「あれ……っ、そういやお前ん家の方向ってコッチじゃなかったよな……?」
「あー、まぁ……うん。其れは、そうなんだけど、さ……」
「うん……? 何、何か俺に用でもあった?」
 頭の中では色々と考えていた筈なのだけれども、そのどれも口を突いて出て行く事は無く……。代わりに、予想以上にぶっきらぼうで無愛想な口調の言葉が滑り落ちていった。
「……その、今日……二月十四日のバレンタインデーだったからさ。いつも何かとお世話になってる御礼に、コレを……渡しに」
 突き出したあからさまな装飾の紙袋に、一瞬呆気に取られた彼が、次第に別の意味の驚きを露わに慄(おのの)く。余程思ってもみない事だったのか、盛大に聞き返す言葉が飛んできた。
「えっ……俺に? くれんの? バレンタインのチョコを?? 俺に?? ……マジで!?」
「マジです…………ッ。あ゙ーっでも、お菓子売り場見る直前まですっかり忘れてたので……! 適当に選んだ市販の物なんで……っ、たぶん、食べ慣れてる味だろうとは思うけど……まぁ、そのっ……あんま期待せず取り敢えず食べて! 要らなかったら、お弟子さんのジェノス君にでもあげるなりゴミ箱へボッシュートするなり何なりしてくれて構わないんで……っ!」
「いや、流石に捨てたりとか、んな勿体無ェ事しねぇって。食べ物は粗末にしちゃいけません。というか、別に俺、そんな名前に感謝されるような事してないと思うぞ? たぶん。本当に貰って良いのか?」
 恐らく、彼は純粋に疑問に思った故からの流れで今の問いを投げ掛けてきたのだろう。其れに対し、改めて説明すると思うと、何だか無性に恥ずかしくなってきて、つい早口になって捲し立ててしまった。
「い、一応っ、サイタマだけに贈る用として、つい今しがた調達してきたところですんで……! と言いつつ、単に買い出し先で思い出したから買い物ついでに買った代物ですけど……っ。でも、もし、本当は手作りの物が良かったって事だったら御免! 私、料理すんの苦手だから、お手製物用意すんのは気が引けて、其れで安直にも市販頼りに…………っ」
「いやいや待て待て、一旦落ち着け! 俺まだ何も言ってないから!! そもそもが、貴重なバレンタインチョコ貰ったってのに、んな文句言ったりしねェーって!! 俺は、純粋に贈る相手間違ってないか心配になって確認しただけ!! 分かったか!?」
「えっと、何か御免……っ?」
 逆に相手を呆れさせてしまった。可愛い気の欠片も無いとは、この事である。今更ながら、女子力底辺並みに低くて御免……っ、と申し訳なく思った。
 若干へこみつつも、平面では取り繕った顔を向ければ、彼は緩く手を振って謝罪に対する言葉を返す。
「いや、良いよ……そんな気にしてないから。……で? 改めて訊くけど、コレ、本当に俺が貰っても良いんだな?」
「え、あ、うんっ……どうぞ、お納めください……。つって、大した物じゃないけども」
 改めて訊かれた事に、不思議には思ったものの素直に頷きを返せば、彼から笑顔で且つ軽快な返事が返ってきた。
「ん。じゃっ、有難く貰っとくな。サンキュー! 用は其れだけ?」
「あっ、うん。其れだけ。……じゃっ、じゃあまた……っ。次会う時までお達者で!」
「何だ、その別れ台詞。ま、良いけど。また何かあったら何時(いつ)でも呼べよー。じゃなぁ〜っ」


 ——お互いそれぞれに家路へ着く為に別れた後。
 サイタマは、玄関のドアを閉めた直後、靴も脱がずのそのままにその場へ突っ立ち、先程までの遣り取りをぼんやり振り返っていた。
 そして、その際に彼女より受け取った物を、改めてまじまじと見つめながらボソリと呟いた。
「バレンタインのチョコ貰えたのとか、何時(いつ)振りだろ……。つか、名前、よっぽど慣れない事してる感あったんだろうなぁー。何か、滅茶苦茶照れた風に恥ずかしがっちゃって、彼奴もなかなかに可愛いらしいとこあんじゃんねぇー……なぁんて。 あと……身長差から、どうしてもコッチ見上げる形になんのは仕方ない事だっつーのは理解してんだけど……あーも顔真っ赤にした状態で上目遣いに、しかも若干潤んだ目で見つめられるとかさぁ〜…………もしかして俺に気があるかもーとか、その気になっちまうだろぉ〜〜〜っ! まぁ……彼奴の事だから、全部無自覚だったんだろうけどさァ!? 分かってはいる……! 分かってはいるんだけど、俺の中の甘酸っぱい精神が何か、こうっ……あ゙ーッッッ!! …………取り敢えず、来月のホワイトデーのお返し何にするか考えとかなきゃだなぁ……っ」
 一頻り玄関先で悶え転がった後、靴も脱がずのままだった事を思い出したかのように適当に脱ぎ捨て、ついでに手に提げていたコンビニ袋も乱雑に近くへ捨て置き。打って変わって、彼女から貰った紙袋は丁重な手付きでテーブルへと下ろして、一先ず外出先から帰ってのいの一番の嗽(うがい)手洗いをしに流し場へと向かう。
 そうして、漸く腰を落ち着ける状況に至ると、徐に紙袋の中から例の甘い香りのする箱を取り出し、包装紙を剥いで中身を開封する。早速、一粒のチョコレートを口に含むとカカオの甘ったるい味が口内を占めた。其れに、彼は常では見せぬ表情を浮かべ、一人密かに呟くのであった。
「うん……思ったよりも滅茶苦茶甘ったりぃーな、コレ。……でも、今まで食べたチョコん中で一番美味ェわ」