でーんでんむーしむしカタツムリ〜
おーまえのあーたまはどこにあるー
つのだせ やりだせ あーたまだせー

しとしとと細い銀糸のような雨が降っている。うっすらと雨に煙る景色の向こう、小さな人影がひとつあった。それは、深緑色にこんもり繁る植え込みの前に佇んでいる。
懐かしい童謡が聞こえてきたので、学校帰りの青峰大輝は思わず足を止めた。
突出し過ぎた才能を開花させて以来、何もかもが色褪せてしまった。胸の奥底には、行先を失ったものがマグマ溜まりのように沸々と煮えたぎっている。
幼い頃から親しんできたバスケ。全力でプレイできないことへの苛立ちはあれども、捨て去る程嫌いにはなれなかった。
消化しきれない感情をもてあましながら日々を過ごしていた。
そんな青峰が耳にしたカタツムリの歌。少し調子外れな歌声に、忘れ去っていた虫取少年がひょっこりと顔を出した。
人影に近づき、その長身を活かして背後から覗きこんだ。目に入ってきたのは、青々と繁る紫陽花の葉の上でのったりと移動している大きなカタツムリだった。
「でかいカタツムリだな」
ポツリともらした声に、子どもはびくりと小さな肩をはねあげ、青峰を振り向いた。その弾みに、スカイブルーのレインコートの帽子が外れる。大きめの茶色の瞳が真ん丸に見開かれた。
青峰はわりぃと詫びながら後ろへ下がった。自分の顔が悪人面という自覚はある。怯えさせてしまったと後悔しながら、目の前の子ども―少女を見下ろしていたが。
当人は涙ぐむことなく、青峰の全身を見るように首を上下させた。
「おにーちゃんは、桐皇学園の人?」
こてりと小首を傾げてたずねてきた。その質問に、かるく目を見張りながら首肯した。今さらながら、フードがとれて雨に濡れている頭の上に傘を向ける。
「よくわかったな。そうだ、俺は桐皇の生徒だ」
そう答えると、少女はにこりと笑ってみせてから、自分の兄も同じところに通っているからすぐわかったのだといった。
「お前はこんな所でなにしてんだ?」
少女も学校帰りの途中なのだろう。レインコートの背中はこんもりと盛り上がっており、赤いランドセルがうっすらと透けて見える。
民家の塀に沿うように植えられた紫陽花の前に、一人でぽつんと立っている少女。雨のせいで人通りは少ない。少々危なくはないか。
「カタツムリを見つけたから、つかまえてお家で飼おうかどうか迷ってたの」
ちらりと視線をカタツムリに流す。
青峰もそれにつられてそちらを見た。そいつはさっきと変わらず、のんびりと葉の上をはっていた。
―暢気で羨ましいヤツ。
どこか惚けた顔に見えてきて、恨めしげに睨んでみたが、それを口にするのは流石に止めといた。
「…なかなかの大物だな」
それを聞いた少女の瞳がぱあっと輝きだす。
「だよね!こんな大きなカタツムリ見たことない!」
興奮しているのかぐいぐい青峰に近より、同意を求めてくる。勢いにたじろぎながらも、少女を受け止める。純粋な、まだ絶望を知らない、澄んだ瞳が真っ直ぐに見上げている。
今の青峰には眩しすぎたが、どこか懐かしい気分にもなった。
バスケが楽しくてしかたなかったあのころ。夢中でボールを追いかけていた。
周りにはカラフルな奴等がいて、隣には彼奴がいて。それがずっと続くのだと思っていた。しかし、それは容易く崩れてしまった。
類いまれのない才能の開花と引き換えに。
―あの時の俺なら、少女に家で飼うことを勧めただろう。だが、思うようにプレイできない息苦しさを知った今の俺は――
「…止めとけ。狭苦しい虫かごに入れとくより、自由に好きな所にいける外にいる方がいい」
見下ろしながらそういった青峰を、きょとりとして見上げていた少女は、瞬きひとつして納得したように頷いた。
「そうだね。狭いところは窮屈だよね。バイバイ、カタツムリさん」
ひらひらと手を振って別れを告げた。
「そろそろ帰るか。家まで送ってやる」
「うん。ありがとー、おにーちゃん」
青峰がそういうと、少女はにこりと笑って礼をいった。レインコートのフードをかぶろうとする手を止めた。さしている青い傘の下へ少女を入れる。
「髪、濡れてっから、蒸れて気持ち悪いだろ。俺は少しぐらい濡れても平気だ」
遠慮する素振りをみせるので、先手をうった。
「ありがとー」
「あー」
でこぼこの二つの影が、一つの傘に仲良くおさまり歩いていく。

でーんでんむーしむしカタツムリ〜

調子外れな二人分の歌声が、灰色の梅雨空へと吸い込まれていった。

―数年後

青峰は街のお巡りさんとなっていた。
彼の人となりと悪人面を知っている友人たちが、一様に驚いて大笑いしたのはまだ記憶に新しい。それに対して青峰がへそを曲げたのはいうまでもなかった。
どんよりとした、灰色の雲が広がる梅雨のある日。
昼休憩になったので、青峰はコンビニへ買い出しに行くことにした。
「ありがとうございましたー」
焼肉弁当をメインにコンビニスナックとパックの牛乳を袋に詰めてもらい、外に出ると、そこそこ強めの雨が降っていた。
「ちっ、降ってきやがったか」
眉間にしわをよせたあと、忌々しそうに舌打ちした。
交番を出るときは降っていなかったため、めんどくさくて傘は持ってきていない。はぁと息をはき、走って戻ろうと足を踏み出そうとした。
「カタツムリのおにーさん、傘に入っていきませんか?」
脇からすいと青い花柄の傘が差し出された。
青峰が誰だとそちらを見ると、懐かしい制服をまとった少女が、笑みを浮かべて立っていた。
青峰は暫し記憶を探っていたが、『カタツムリ』という言葉からあの日のことを思い出した。
「でんでん虫の歌の奴か」
「正解。あの時と逆ですね。さぁ、どうぞ?」
ぐいと傘を押しつけてきた。少女の強引なそれに、青峰は思わず傘を受け取ってしまった。
「交番まで一緒に行きましょ?お巡りさん」
そういうと、少女は青峰の隣に並んだ。
あの時と同じように、でこぼこな二人は、ひとつの傘に入り、童謡を口ずさみながら雨の中を歩いていった。