つのりゆく雑念


 その日は多分、俺の人生で最も運気が落ちていたんだと思う。朝食のサラダには俺の大嫌いなトマトが嫌がらせかと言うほど投入されていたし、ふとテレビでやっていた星座占いを見ればおとめ座が最下位だったし、そんな時に限って体育で苦手なバスケをさせられるし、下校時にはまた雨が降ってるし。そして、何より……。

「おい、これ落としたぞ」
「ああ、ありがとうござ……っ」

 時雨先輩の家の前は俺の通学路でもある。そこで、土曜日に時雨先輩と一緒にいたあの金髪青年と遭遇した。何とも不運な偶然だった。
 近くで見た金髪青年はやっぱりすごく目つきが悪かった。細くつり上がった目がそうしているわけではないだろうに睨みつけているようにしか見えない。
 それから、強烈な印象に残る鮮やかな金髪。雨が降っているというのになぜか傘もさしていないせいで綺麗な金髪がくすんで、ぐっしょりと濡れてしまっている。

「おい、何見てんだ、さっさと受け取れ」
「あ、はい、すみません……」

 鞄につけていた紫陽花のストラップ(弟達から去年の誕生日プレゼントに貰った)を受け取る。どうやら紐が千切れてしまっていたらしい。
 帰ってから新しい紐に付け替えようかと思っていたら、不意に左腕をグイッと引き寄せられた。その反動で手に持っていた傘が離れて、途端に土砂降りの雨にさらされる。驚きで顔を上げると、すぐ目の前にはあの目つきの悪い瞳があった。

「お前、もしかしてシオンクン?」
「な、名前は紫苑ですけど……」

 というか、何でくん付け?いや、そもそも何で俺の名前を知ってるんだ。

「へえ、お前が……思ってたより幼い顔してんだな」
「……俺のこと、時雨先輩から聞いたんですか」
「そーそー。ん?なんでお前がそのこと知ってんの?」
「………っ」

 しまった、今のは完全に失言だ。何て言い訳をすれば……。

「俺と時雨の関係、知ってんの?」
「……知りません」
「ならどこで俺のことを知った?」

 細い目が今度こそ本当に俺を睨んでいる。
 もう隠し通せない。言うしかない。俺の心は金髪青年の迫力にすっかり怖じ気づいてしまっていた。

「この間、たまたま時雨先輩と一緒にいるところを見かけたので」
「たまたま、ね?」
「たまたま……なんです」
「ふーん?ま、そういうことにしといてやるよ」

 信用はされていないようだが、取り敢えず引き下がってくれたので安心した。
 捕まれていた左腕を解放され、地面に転げ落ちてしまった傘を慌てて拾う。今更傘をさしたところで制服も髪も既に雨でびしょびしょだけど、今から急いで帰れば風邪をひくことはないだろう。
 このままここにいるのも気まずいので帰ろうとしたところで、不意に「お前、時雨の何なの?」と金髪青年が声を掛けてきた。

「はい?何って……」
「時雨の体質のこと、本人から聞いてんの?」
「体質……?」
「あー、そっかそっか、聞いてねえんだ。そんならもういいや、さっさと帰れ、風邪ひくぞ」
「な、何だよそれ!……あんたこそ、時雨先輩の何だっていうんだよ」

 まるで興味の失せたおもちゃのような扱いに、何だかカチンときてしまった。
 けれどそんな俺の反発的な態度が気に食わなかったのか、金髪青年がギロリと此方を睨みつけてきた。

「は?何でお前に教えなきゃなんないわけ」
「それは……この間、見たんです」
「見たって、何を」
「時雨先輩があなたにお金を渡してるところ……ただの友達なら、時雨先輩がお金を渡す理由なんてないじゃないですか」
「ふーん、それで心配だったわけだ。俺が時雨から無理やりお金を奪ったんじゃないかって?」
「……そうなんですか?」
「ばっかじゃねーの、んなことするかよ」
「じゃあ何だったんですかあれは」

 俺の問い掛けに金髪青年はしばらく無言のままジッと俺を見据えて、不意にふっと口元を緩ませた。

「俺がちょっと金に困ってるって言ったらくれたんだよ、時雨が」
「……時雨先輩が、自分から?」
「そーそー、困ってるならあげるよ〜なんて、あいついっつもちょろいんだよなあ」

 愉快そうに笑いながら吐き捨てたその言葉達に言い様のない黒い気持ちが溜まっていく。目の前の金髪が黒く淀んでいく。

「時雨先輩のこと、利用したんですか」
「だったらなに?」

 その瞬間、ぷちんっと何かが切れたような音がした。
 ああ、何だか最近の俺はおかしい。きっと、時雨先輩と関わるようになってからだ。自分のことなのに制御が効かなくて、どんどんいろんな雑念が増えていく。
 けれど今は、目の前のこいつが、心から許せない。

「やめて下さい……」
「は?」
「時雨先輩は、きっとあなたのこと友達だと思ってます、大事な友達だって。だからお金も、あなたにあげたんだと思います」
「だからなに」
「あの人はきっと誰よりも人との繋がりに飢えてるんです!だから時雨先輩を傷つけるのは、やめて下さい……」

 声が震える。頭の中がカッと熱くなったように感覚がだんだん麻痺してきた。

「時雨先輩のこと友達だと思ってるなら、もっとちゃんと、誠実に付き合ってあげて下さい。お願いします……」

 何で俺がこんな奴に頭を下げてるんだ。でも体が勝手に動き出す。考えることよりも先に、動いてしまう。自分のことでもないのに息が苦しくてたまらない。こんなの全部、時雨先輩のせいだ。