コンビニで初めて使う機会を慎重に扱い、人数分の写真を用意した。顧問に一報を入れ、制服のまま体育館へ直行した。一秒でも早くみんなを元に戻したいという顧問の焦燥感が文面から伝わってくる。
 体育館へ足を踏み入れると、顧問から緊急招集の笛が高らかに鳴った。アップ中のところすみませんね。こういうのは本来宮侑にとって地雷かもしれないが、顧問の判断かつ現状の打破に繋がるならと前向きの姿勢を見せている。どうやら愛香ちゃんはいないようで、顧問の図らいで今日は帰ったのかもしれない。どう言い含めたか知らないが素晴らしい判断力だ。
 バレー部全員が顧問の前へ集まると、私へ怪訝な視線を寄越す。そりゃマネージャーが遅れてセーラー服で登場しているのだから無理もない。
 写真が全員に行き渡るように配り、「今や」と言いたげな顧問の視線を感じながら、私は鈴を大きく鳴らした。
 隣で練習しているバスケ部から「何やってんの?」って物珍しい視線を浴びる。正直けっこう恥ずい。
 でも私には後ろ盾がいる。
 事の発端である宮侑に始まり、尾白アランくん、大耳くん、宮治くん、角名くん、銀島くん、そして顧問の先生。
 これだけ事情を知る協力者がいるのだからなんとも頼もしい。
 それに、皆が最大値でバレーするためなら私の抱える羞恥心など些細な犠牲だ。
 これでみんな元に戻ってほしい!頼む!
 そんな私の思惑を乗せて、鈴の音は軽やかにみんなの鼓膜を揺らした。
 
 そうして二十秒ほど経つ。
 普通ならとっくに「何やってんねん」と止めに入る者が出そうだが、どうもその気配はない。部員の多くが鈴の音ねに感化されてか口を開けて硬直し、動きを見せようとしない。これは尾白くんの時と反応が近い。効果があるかもしれない。
 そう頃合いだと判断し、ピタリと手を止める。

 状況の整理がうまくできずに呆気にとられる彼らを見て、宮侑の口元は大きく弧を描いた。彼は一度、洗脳から解放される銀島くんようすを見ているのだ。効果があったのだと雄弁に物語るバレー部の様子に、私も思わず笑みが浮か───

「篠原はちゃんと分量通りにドリンク作ってたんか?」

 ───んだのも束の間。北さんの第一声により、私はどきりと表情を強張らせた。北さんの視線が私を捉えており、少し背筋が伸びる。
 
 北さんの言葉を理解するのに、数秒の時間を要した。きっと、私が正論パンチしに行った時の自分の言葉を思い出したのかもしれない。いや、この状況で一言目に出てくるくらいには、北さんの中で大きなしこりを残していたのかもしれない。味が薄かった時のドリンクは、当然だけど全て愛香ちゃんが運んでいた。正常な判断ができていたなら、その違和感にすぐ気づけただろう。
 それにしても木兎さんの発言を0.5秒で理解できる赤葦くんってほんとに凄いな。頭の回転が早すぎる。

「はい。毎回味見してるんで間違いありません」
「そうか。篠原の意見も聞かんと一方的に怒ってもうたな。すまん」
「……本当に。北さんに言われた時、悔しかったです」
「せやな。そんな思いをさせてもた俺の発言が全部悪い。ほんまにすまんかった」

 四十五度のお辞儀で私に頭頂部を見せる北さんに、どこか腑に落ちた。
 ああ、謝罪も“ちゃんと”するんだなあ。
 過去の傷口がそっと閉じていく。
 心がほかほかと温まるのは、北さんの「すまん」を一身に受けただけじゃない。北さんが正常に戻った事を実感して嬉しいのだ。

 北さんは私の横にいる宮侑へ視線を移し、涼しげな声色を向ける。

「あのマネージャーが得点ミスった時やろ。侑がキレてバレー部が変になったん」
「得点ミス?」
「ああ、そういやあったな。ツムがオーバーネット誘ってこっちの得点やったのに、間違えて相手に得点追加してもたやつ」
「あれは侑がやり過ぎや。その意見は今も変わらん」

 北さんの真っ直ぐな瞳から放たれる槍のような一言に、宮侑の表情は大きく曇る。
 自分できっかけを作ったとはいえ、ここまでバレー部をかき乱されたのだ。直情的な彼の性格上、ハイそうですかごめんなさいとはならないだろう。
 
「そんなん得点間違えて入れる方が悪いやないっすか!」
「まだ入部して二日の初心者に間違えたらあかんって強制する事が“やり過ぎ”やねん」
「ゔっ」
「そもそも入部初日から睨んだり暴言吐いてたやろ。マネージャーとしてチームに貢献しようとするやつに、なんでキツく当たんねん」
「それはあの女が色目使うんが嫌で……」
「一生懸命メモにまとめながら仕事してるように俺には見えたけどなぁ」
「さっ最初の頃はまだ本性隠してただけっすよ」
「なら色目使つこうてから言えや。入部して仕事しかしてへんやつに責めることちゃうやろ」
「ゔっ」

 確かに私が入部した初日、愛香ちゃんは一通り仕事の説明をしてくれた。私に任せるまで仕事に関しては懸命に取り組んでいたのだろう。北さんの言葉は腑に落ちるし、宮侑は一言くらい愛香ちゃんに謝罪した方がいいと思う。
 
「俺もこうしてちゃんと伝えなあかんかった。暫く口聞かんで悪かった」

 一体どれほどの罵声を浴びせたんだ、なんて興味はさておき。宮侑の言動がきっかけではあれど、塩対応を続ける免罪符にはならない。
 北さんはそんな自分のあやまちを振り返り、“ちゃんと”謝った。
 この一言には宮侑だけではない。ほとんどの部員……いや顧問の先生までもが北さんを凝視している。弱点がないとまで言われる北さんが、あの宮侑に頭を下げているのだ。バレー部にとってこの光景はよほどの破壊力だろう。
 まんまるの瞳に北さんの誠意を映した宮侑は、音にならない二の句が唇の上で震えているようだった。
 
「確かにマネージャーがバレー部を私物化してもうたけど、その種を蒔いたんは侑や。明日の昼休み、一緒に頭下げに行くで」
「…………っす」

 部下のミスを一緒に頭下げてくれる先輩、あまりにも眩しい人柄に思わず目頭を押さえた。北さんの懐の深さは社会人経験を重ねているとより染みる。私よりよっぽど大人だし、こんな人格者なかなかいない。
 お灸を据えられたとはいえ、愛香ちゃんにバレーをかき乱されたことがよほどご立腹なのだろう。いかにも拗ねてますと言いたげな表情を貫く宮侑に一瞥を投げて、顧問が口を開く。

「元に戻ったとはいえ、部活動に大きな支障をきたしたんは事実や。とりあえず明日また本人と話し合って今後について検討する。しばらくマネージャーは篠原一人になるがよろしく頼むわ」
「あ、いえ。私ももう少ししたら辞めます」
「おう──ってえ!? 篠原も辞めるんか?」

 ───女のマネージャーなんかおらん方がええ。
 
 きっと稲荷崎高校は春高時点でマネージャーがいなかったと思う。女マネである私の存在は、宮侑にとっても原作にとってもノイズになるだろう。あまり展開を乱すのも良くない。ここで潔く身を引いた方が懸命だろう。潮時だ。
 それにしても先生。
 篠原“も”って言ってる時点で愛香ちゃんの処遇バラしてますよ……。

「はい、バレー部が元通りになるよう協力したいと思っていたので」

 銀島くんが驚いたように声を上げるので、思わず言葉が詰まる。あれ、もしかしなくてもこれはまさか、宮侑は私が臨時マネであることを伝えてないのかもしれない。
 あ、そうそう。くらいのノリで告げたら、場がしんと静まり返ってしまった。

「なんで?」

 すごく不思議そうに聞く角名くんに、少し言い淀んだ。純粋に聞き返されると、なんと言ったらいいものか。宮侑が女マネ嫌やって言うから〜とそのまま伝えるのも、辞める理由を全部宮侑に背負わせるようで憚られる。
 
 ───部活が元通りになるまで続けてくれへんか。

 いやでもそういう話だったよね、宮侑クン!と彼へ視線を向けると、キョトンとした顔をしていた。
 いや、今その顔をしたいのは私なんやけど!

「皆さん元に戻ったしもう大丈夫そうかなって」
「俺ら元に戻すために入部してきたん?」
「うん。でも楽しかったよ」
「じゃあ別に辞めんでええやん。ツムの言う事そんな気にせんでええで。マネおるとその分俺らも助かるし……まあ無理にとは言わんけど」

 しかし隣に座る片割れは、私の行動から色々と悟ったらしい。無理強いをしない辺り、彼はちゃんと人に優しく生きてるよ。ありがとう。宮侑クンはちゃんと爪の垢煎じて飲んどいてな。なーんて、冗談。
 いいよ、これぞ宮侑!って分かってるし、他人への思いやりがバレーボールの情熱に昇華されるんなら、かっこいいバレーを見せてくれるなら、私はそれで十分だ。

「侑、お前強制的にマネやらせたやろ?」

 宮侑の肩がギク、と揺れる。今私は宮侑がなんて考えてるか分かる。「なんでバレんねん」だろう。

「その事に関しては俺らも責任があるから、一方的に侑を責めることはできひん。篠原、バレー部のゴタゴタに巻き込んですまん。協力してくれてほんまに助かった、ありがとう」
「あ、いえ。私も応援してるバレー部のお役に立てて良かったです」

 私がいなければ、宮侑はSOSを出せていなかったら、今頃どうなっていたことか。想像するだけでもゾッとする。
 北さんは少し考えた後、宮侑へ視線を向ける。

「侑は篠原がマネすんの嫌か?」
「まあ女マネがおるんは嫌っすけど──」

 宮侑の回答に、私はどこか腑に落ちた。
 彼は全てバレーボールを軸に考えている。男子の部活に紅一点ができれば、色恋トラブルが起こり得る。実際、愛香ちゃんが入部して既に二人退部しているのだ。部員をかき乱し、プレーに影響を及ぼすのが嫌なんだろう。愛香ちゃんのトラブルは彼に根深い影響を与えている。
 私がマネとしてちゃんと仕事をこなすだろうという信頼感より、男女トラブルを起こすかもしれないというわだかまりが彼の中に残ってしまう。彼にとって女性はノイズのままなのだ。
 色々と連絡を取り合い共同戦線を張ってはいたが、ノイズを取り払うことはできなかった。
 要は私の力不足だろう。

「分かった。一年生に引き継ぎとか終わったら辞めるね。五月中になると思う」

 社会人たるもの、仕事の引き継ぎはしておきたい。せめてマネの仕事をしっかり一年生に伝えてからでないと。簡単に即日退部というわけにはいかない。

 私は宮侑の言葉に即座に了承した。気持ちを引きずらないために、自己防衛と言ってもいい。バレー部から離れることに、私の気持ちはこっそりと沈んでいた。言葉の続きを紡ごうとする、宮侑の機会を奪っていることに気づかないくらい気落ちしていた。そんな自分の感情を表に出さないように気丈に振る舞うので必死だった。
 
 朝練で早朝に起きないといけないし、毎日部活で身体はくたくただし、自由な時間もたくさん奪われる。でも、本当に少しの間だったけど、稲荷崎高校のバレーを一番近くで見て、少しでも部員の支えになれただろうか。一つのことに打ち込むのって、大変だけど時間があっという間に過ぎて、振り返るとかけがえのない青春に満ち溢れている。
 楽しかったなあ。

 でもプロとファンの間には壁が必要だから。
 これからは親近感を持った上で、切磋琢磨する彼らを応援できる。ハイキューの世界に来れて良かったなあ。
 まるでクリーム・ブリュレのような甘くて特別感をもたらすご褒美だったのだ。
 今抱える感情は、この二週間の表面的な忙しさと楽しさだけでいい。
 だからどうか、気づかぬふりをさせて。部員の成長を側で支える充足感、治安が回復した賑やかなバレー部から去る寂しさ、バレーボールに真っ直ぐ喰らいつく男子高校生の眩しさ。記憶を掘り起こすほど、ここにもっといたいと思ってしまうから。
 
 この気持ちが落ち着くまで、未来で「そんなことあったね」と笑えるようになるまで、ドロドロの感情が詰まったプリンにキャラメリゼを乗せて。
 


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