治くんととおにぎり

 六月五日。
 湿度のこもった風が教室に運ばれる。二時間目の授業を終えて、三時間目の教科書を机に並べる。
 松葉杖生活を始めて約三週間が過ぎた。予後もいいことから医者の許可もとれて、数日前から二足歩行の生活に復帰した。松葉杖が無いことであらゆるストレスから解放される。中間テストも明けて清々しい心地のまま、カバンから巾着袋を手繰り寄せる。

「篠原」
「あっ宮くん」

 マネージャーとして接点が増え、バレー部の面々ともラフに声をかける間柄になった。中でも同じクラスである宮治くんは、たびたび私に声をかけるようになった。松葉杖の私を気遣ってくれていたのだろう。本当にありがたい。
 宮治くんは「治でええで」と言いつつ、空いてる前の席を拝借した。なら遠慮なく治くんと呼ばせてもらおう。それにしても、彼の表情はとてもホクホクしている。石窯から出てきたばかりのサツマイモみたいなホクホク感で、その視線は机に置いた巾着に向けられる。みなまで言うな、私が巾着の口をさっとひらけば、三角おにぎりが三つ顔を出した。

「こちらがお目当ての物でございます」
「おおー!」

 ここらが年貢の貢ぎ時。わざとらしく仰々しい口ぶりで告げるも、治くんはそんなことより目前のおにぎりと言わんばかりに目を輝かせる。

「足まだ回復してへんのに大丈夫やったん?」
「おにぎりは座って握れるから大丈夫だよ。遠慮せず食べて」
「ほんまこれを楽しみにしててん、ありがとうございます」
「急に敬語なるやん」
「まあな。今日は具何したん?」
「食べてからのお楽しみ。お二つどうぞ」
「うわーどれしよ。めっちゃ悩むわ」

 松葉杖が取れた翌日のこと。三時間目の休み時間に治くんが声をかけた。
 
 ───あのおにぎり、どうしてももっかい食べたいねん。

 私のおにぎりが治くんの中で注目を集めるとは思いもしなかった。純粋にそれほど美味しかったのか、それとも洗脳が解ける過程と重なって美味しさを引き立てたのか。
 どうやら治くんの胃袋を鷲掴みにしてしまったようだ。入念に準備したとは言え出来立てでもない冷めたおにぎり二つで、ここまで絶賛してくれるとは思わなかった。少し気恥ずかしい。とはいえおにぎりに興味を示してもらえるのは、彼の将来を知る身としては素直に嬉しい。

 足が落ち着いてからでええから、と申し訳なさそうに頼む治くんが微笑ましくて、さっそく今日握ってみたのだ。ご飯に具を仕込んで握る過程なら椅子に座りながらでもできるのだ。調味料やラップをテーブルの上に準備する必要があるとはいえ、そこまで手間な作業でもなかった。
 治くんにおにぎりを作ってあげたい。そんな気持ちを優先させたかった。

「この混ぜおにぎり塩昆布やろ。絶対うまいやつやん」
「そうそう。塩昆布とネギとゴマを混ぜております」
「塩昆布は最強やからなぁ。もう一個こっちにしよ」
「治くんは何の具材が一番好きなん?」
「え、何やろ……その質問ムズない?」

 一度おにぎりを机に置いて、しっかりと両手を合わせる。治くんも私に倣い、ウッキウキのいただきますがおにぎりに降り注ぐ。
 包みを開いて、勢いよくがぶりと喰らいついた。小さい口で可愛らしく食べない、本気の一口。塩気のあるご飯と、甘酸っぱい蜂蜜漬けの梅干しが踊り出す。美味しい。我ながら絶品である。

「ああーーめっちゃうまい」
「お口にあったようで何より」

 沈黙の咀嚼タイムが訪れる。まあ食事中やし、無理に会話を広げることもないだろう。今は目の前のおにぎりをひたすら味わう時間のようだ。全集中、おにぎりの呼吸を巡らせろ。
 対する治くんは大きな一口でおにぎりを含んでは、削り取られた部分をぼんやり眺めている。
 
「俺さ、今までメシ作ったことないんやけどな。ちょっと興味あんねん」

 ええーー!!と叫びたくなる気持ちを何とか堪え、水筒のお茶で紛らわした。そういや寮暮らしだから自由にキッチンを使える環境がないのだろう。
 宮治のハウトゥーおにぎりが実現されるんですか? 試食できるんですか? ハイキュー!ファンには見逃せないイベントの種が蒔かれてしまったな。
 落ち着け……今ここでコロンビアポーズをとっては治くんに「なんやこいつ」って目で見られてしまう。平常心を保つんだ……。

「作ってみる?」

 自然に、ラフに、「あ、それならどう?」くらいの感覚で声をかけるよう努める。
 治くんはそんなこと言われるなんて思ってもなかったのだろう。「作ってみる?」の一言を咀嚼するように手元のおにぎりを見て、やがてゆっくりと顔を上げた。

「ええん? いや、でもどうやって?」
「オフの日にうちへおいでよ。試食係も呼んでおにぎりパーティーしよう」
「乗った」

 手のひらを差し出すと、がっしり掴まれて固い握手を交わす。今この瞬間、熱い友情が育まれた気がする。
 さすがに高校生の男女が家に二人きりというのはマズイと思うので、複数人呼ぶつもりで試食係を指名した。いや、私はマネージャーを頑張る分恋愛をするつもりはないけども、倫理的に不安材料の芽は摘んでおきたい。
 大人として、当然の配慮だ。いや身体は高校生なんやけど。

「足が完治してからやな」
「そうやね、夏休み入るかも」
「その方がおにぎりを昼めしにできてええかもな」
「じっくり作れるしね」

 私の足に気を回してくれる治くん、優しいなぁ。
 確かに放課後に集まることもできるけど、夕飯の時間が近づく中おにぎりを食べるのはタイミングが微妙だ。それに朝から掃除して、おにぎりだけじゃ寂しいから汁物と副菜くらい用意したいし……一日オフの方がおにぎりパーティーは開きやすい環境だ。
 ありがたく彼の気遣いを受け取り、夏休みの開催が決定した。

「試食係は誰にしよ」
「何人くらい呼べるん?」
「炊飯器5合と土鍋2合で……四人くらい?」
「俺ら以外にあと二人か。角名とか?」
「角名くんかぁ。来てくれるかな」
「どうやろな。後で聞いてみるわ」
「うん」

 角名くんが我が家で治くんの握った試作おにぎりを真顔で食べる絵が浮かぶ。そのあまりの破壊力に口元が緩んだ。
 それにしても、ご飯7合で4人分って、もしかして少ないだろうか。私は1合もいらないけど、残り三人は部活に力を入れる男子高校生だ。彼らの食欲に追いつくだろうか。自分から言い出しておいて不安になる。多かった時は冷凍するなり、冷蔵してチャーハンにするなり、いくらでもやりようはある。

「あと一人」
「誰にしよっかな」
「……」
「……」
「アラン君とかニッコニコで食べそう」
「アラン君ええな」

 一足早くおにぎりを食べ終えた治くんが、にかっと歯を見せる。本当に楽しそうだなぁ。食事に関わると治くんの表情は生き生きしてる。
 
 それにしても、宮侑の名前が彼の口から出てこない。呼ぶのに後ろ向きなんだろう。双子とはいえ、ずっと一緒にいたいわけではない。部活も一緒で、部屋も同室。オフの日こそ離れて過ごしたいと思う治くんの考えはもっともだった。
 そもそも治くんにとっておにぎりパーティーは、将来に関わるビッグイベントだ。まだ宮侑に言う時では無いと判断した可能性もある。

 私もそろそろ食べてしまおうと、大きな一口にまとめて転がした。自然と頬が緩む横から、やけに元気な声が鼓膜を殴る。

「いやお前らおにぎりで早弁て!仲良しか!!」
 
 あ、宮侑だ。

「おはよう宮くん」
「ツムの分は無いで」
「はあ!?別にそんなんとちゃうし!英語の教科書持ってくで!」

 足早に治くんの机へ向かって、大雑把に引き出しを漁る宮侑はお構いなしだ。たとえ治くんが「あかん」と言うても聞きゃしないのが見てとれる。
 笑みを浮かべていた治くんの口角はすぐに下がり、澄んだ表情で声の方へと目線をよこす。
 
「こっちは五時間目にあんねん、絶対返せよ」
「おー。ってか篠原はいつまで“宮くん”呼びやねん! もう侑でええやろそこは!」
「いいの?」
「治と区別つかんやろ。名前の一つくらい構わんわ」
「じゃあ侑って呼ぶね」
「そこは“くん”つけんのかい!」
「冗談やで侑くん」
「ま、まあ別に呼び捨てでもええけど?」
「いや侑くんで大丈夫」
「なんやねんお前!こっちがせっかくええ言うんとんねん!素直に呼び捨てで呼べや!」
「ふっふふ……」
「何がおもろいねん!」
「名前の呼び方で逆ギレされるとは思わなかったからつい……侑くんおもろいなぁ」
「もっもうええわ!」

 くすくすと肩を揺らす私に侑くんは唇を尖らせて踵を返した。
 そんな私たちの様子を見て表情を曇らせる治くんに気づくことはなかった。


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