合宿でのひととき

 強豪校にとって夏休みは地獄の特訓月間のようなものだった。朝から夕方まで走り回り練習に追い込んだ身体を、週に一度の休みで穴埋めする。夏休みという黄金期のほとんどを部活が占領するのは、並大抵の精神力じゃすぐに限界がきてしまう。そんな日々を生き抜く彼らのなんと強靭なこと。

「じゃあそろそろ宿舎に移動するで」

 長期休暇と言えば、合宿である。荷物を抱えた部員を背後に、大名行列のように黒須先生が先導する。練習終わりの私語にあふれた部員を率いて。

「あーー今回のトコは風呂でかいとええなぁサム」
「せやなぁ。なーんも考えず足伸ばして浴槽を牛耳るやつがどっかにおるからなぁ」
「邪魔なやっちゃなぁ! 誰やねんソイツ!」
「誰ってそんなんツムしかおらんし」
「はあ!? 俺がいつそんなんしてん!」
「春休みん時!それして北さんに怒られとったやろ!」
「いやいや春休みて!まだ一年の頃やん!そんな過去のこと覚えてへんわ!わざわざ引っ張り出してくる治クンはねちっこいなぁ!」
「ああ!?お前が──」
「お前ら、周りの迷惑やからその辺にしとき」
「「ウス」」

 稲荷崎名物・双子騒動が勃発しては、一言で喧嘩を沈める北さん。この光景も日常になってきた今日この頃である。
 ──それにしても大人の私よりよほど大人な北さんに、前世の記憶を持ってしても頭が上がらない。人生5周くらいしてるでしょこの貫禄は。
 そんなことを胸の内でぼやく篠原の背後に、じわりと影が迫る。喧嘩の腰を折られた侑が、活き活き爛々と死角に忍び込んだ。バトル漫画なら篠原はとっくに絶命しているだろう。

 両手をそろりそろりと肩に近づけて、ついに勢いよく掴んで篠原の顔を覗き込む。

「わ!!」
「ひゃい!」

 全身が震え上がり変な声が漏れる篠原は、次いで至近距離にある宮侑の御尊顔に息を呑んだ。突然イケメンが目と鼻の先に現れるのは心臓に悪すぎる。すぅっと抜け出そうになる魂を抑え込むのに必死だった。

「ひゃい……ひゃいって……くくっ……」

 一方、侑は篠原の驚き方にご満悦のようだ。もうおかしくておかしくてたまらないと声を噛み締めて静かに抱腹絶倒している。そんな姿を横目に、篠原はイケメンの過剰摂取による火照りを冷ましていた。

 一方笑いすぎて腹がよじれる侑であっても、彼女の耳がほんのり赤くなっているのを確かに見逃さなかった。照れると距離をとって平静を装うも、両耳だけはダイレクトに熱が伝わってしまうようで。
 ──可愛ぇなあ。
 その様子を見つめる宮侑の双眸にもひっそりと熱が溶け込む。

「ちょおなんやねんその声! 驚き方おもろすぎやろ!」
「きゅ、急にびっくりしたから……どないしたん?」
「え? どないもせんけど?」
「え?」
「いやなんとなくおどかしただけやん」
「もう心臓壊れるからやめてください……」
「どーーしよっかなぁ。やめて言われたらやりたなるわぁ」
「えぇ〜〜」
「神様仏様侑様どうかお願いしますって言うたら考えんこともないで?」
「小学生か!」

 思わず腹からツッコミこえが出てしまった。近くにいるアランから「お、ええツッコミもっとるやん!」とエネルギッシュな笑みを向けられる。
 生粋のツッコミ伝道師・尾白アランによるありがたいお言葉だ。

「なんや二人急に仲良ぉなったな」
「そうですね。侑くんが仲良くしてくれるので」
「篠原をマネに呼び込んだんは俺やし、そりゃ仲良ぉしたらんとな」

 篠原を勧誘する時は疑念が渦巻いてたというのに、今やなつき度最大マックスでちょっかいをかけ参じるほどだ。やり口の精神年齢こそ低いが、気があるのだろうと周囲が察するには十分だった。
 しかし、面倒事には口を挟むべからず。何よりスポーツ一辺倒の男子高校生にとって、恋バナはあまり興味のそそらない話題でもある。言外する者は誰一人いなかった。
 バレーボールが絡めば二人は途端に仕事モードに入るから、自由時間の戯れを気にする必要もない。
 そんな禁断の扉など知ったことかと言わんばかりに、ついぞアランが踏み込んだ。

「それにしても篠原は侑とおると楽しそうやなあ」
「実際楽しいよ」
「せやろせやろ!」
「たまに心臓壊されそうになるけど」
「何言うとんねん! そんなんで壊れへんわ!」

 さっき驚かされた仕返しおれいを添えて、篠原はアランに微笑みかける。
 それでも、侑といて楽しいのは紛れもない本心。楽しいからこそ、こんな軽口を叩けるのだ。

「篠原は侑とおると性格変わるなぁ」
「え?」
「あぁ、別に悪い意味やないで? ほら、いつもは落ち着いてて大人っぽいっちゅーか。そんなはしゃいでるとこ、あんま見いひんからなぁ」

 アランの言葉に、ふと篠原は過去を辿る。
 中身は大人、見た目は子供。そんな某探偵もよろしくな状況に陥ると、さまざまなギャップがついて回る。本当は前世の記憶を持ち越してます、なんて言えるわけもないので墓場まで隠し通すつもりだ。
 ならば怪しまれることのないように、ひたすら子供のふりをするしかない。でも、もう子供のようにはしゃげない。子供らしい言葉遣いで会話を広げ、大人が使う難しい言葉は極力避けて、慎重に人間関係を築いていく。余計な発言はせず、みんなの行動を一方後ろで見守る。
 すると“落ち着いてる大人しい子供”という個性として受け止められた。そんな個性と学業の評価が混ざり合って、篠原は優等生になった。
 今の生き方に不便は感じない。もう一度人生をやり直せるアドバンテージに比べれば、ハードルのなんと低いこと。

 しかし侑はそんな事情などお構いなしに、キャラメリゼそとがわの蓋を簡単に叩き割って、内側にある本来の自分を引き寄せる。ついつい素になってしまう求心力が彼にはある。

「それは侑くんが他人ひとを振り回す才能に長けてるからですよ」
「ちょ、才能とか大げさやなぁ〜!」
「いやたぶん褒めてないで」
「ええ!?」
「いえ、実は褒めてますよ」

 褒めてへんの!?って衝撃を受ける侑が面白くて、つい笑いのツボが腹の中を転がる。

「侑くんの言葉はいろんな人を巻き込む力があってさぁ。厄介ごとに直面したり、変な方向に走らされたりするけど、嫌いになれないというか」

 ──分かる!!
 そんな篠原の言葉に、近くを歩く角名と銀島の心が通じ合う。彼らには思い当たる節が多すぎるほどだった。

「嫌いになれへんって、もしかして俺のこと好きなん!?」
「私も絶賛引っ張られてるとこです」
「なるほどなぁ」

 だからこそ、素の篠原をも振り回す侑といるのはより楽しい。

「侑くんのこと好きだよ。友達として」

 恋愛要素はないことを強調するように、バレーと恋愛は混同させないと意識づけるために。友達として、を添える。
 侑くんのへらへらとした様子が一転し、表情が消えた。しかし瞳の奥にはギラギラとした闘争心が宿っている。この顔を篠原はよく知っている。
 バレーボールで煽られた時に見せる顔だ。

「上等や」

 何が?
 そう聞ける雰囲気でもなかったのでそっと飲み込んでおいた。



 ***


 三泊四日お世話になる旅館へ到着し、流れるように食事を終えた。今回の旅館はありがたいことに男女別で浴場があったので、時間を気にする事なくお風呂を堪能することができた。
 持参した保湿セットで顔に潤いを与え、お気に入りのシャンプーとトリートメントでツヤツヤになった髪を乾かす。
 毎日マネージャーとして汗水垂らしているけど、女子としての丹念も抜かりなく。用意を整えて浴場を出ると、ふと廊下に佇むハンドクリームが視界に入る。
 風呂上がりって乾燥しやすいもんね。そう納得しつつ、誰のだろうと首をかしげた。
 ふと視線の先にロビーでくつろぐ先輩方が見えたので聞いてみることに。

「あの、このハンドクリーム違いますか?」

 なんやなんやとハンドクリームを見つめる北さん、アランくん、大耳さん。

「いや、知らんな」
「どこに落ちてたん?」
「お風呂場の前に落ちてました」

 大耳さんとアランくんがかぶりを振った。
 まあそうか。他人ひとが使ってるハンドクリームなんて気に留めないよね。なんて小さく肩を落とす。

「侑が使ってるのと同じやつちゃうか」

 北さんの一言に、そういえばと記憶を手繰り寄せる。
 バレーのコンディションに関わるのだろう、手の乾燥に敏感な宮侑がハンドクリームを塗る現場を何度か見たことがある。銘柄まで知らなかったが、さすが北さん。よく周りを見ている。

「俺帰りに渡しに行こか?」
「いえ。今から帰るしついでにサクッと渡してきます」
「そうか。なら頼むわ」
「ありがとうな」
「悪いなぁ。ありがとう」

 先輩方からの礼に会釈を落とし、踵を返した。
 ハンドクリームの写真をパシャリと撮って宮侑の連絡先に「これ侑くんの?」と送る。

[俺のや]
[届けにいくよ。部屋番号教えて]
[おー頼む。203な!]
[了解]

 そんなやり取りを交わし、203号室の前に立つ。
 部屋の前に着いたことを連絡すると、間も無くしてキィと扉が開いた。

「侑くん。これ、ハンドクリーム」
「……おん」

 ハンドクリームをそそくさと受け取る宮侑。
 どこかぎこちない動きに疑問を抱くも、まあ別に突っ込んで聞くほどのことでもないかと水に流した。

「じゃあまた明日、おやすみ」
「お、おー」

 少しソワソワしたような宮侑に手を振り、自室へ向かった。



「や、やば」

 一方、侑は扉の前ではやる気持ちを抑えきれずにいた。
 長時間のバスによる移動、他校との練習試合を終えて、シャワーを浴びてサッパリし、夕食も腹一杯になるまで胃に収めて、風呂上がりに好きな人と会った。ただそれだけの事。

「勃ってもた……」

 彼とて一男子高校生である。美容院上がりのような華やかな香りを携えて、好きな子が目の前に現れたのだ。風呂上がりのどこか色っぽい姿に頭がくらくらする。はたまた、いつもと違う宿舎が非日常感を演出したのかもしれない。いやいやそれとも、激しい運動を終えて疲労を抱えた身体には刺激が強すぎた。
 そのどれもが当てはまるのだろう。
 篠原と会ったのはほんの一分ほどだというのに、熱を持つ下半身に侑は頭を抱えるのだった。

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