修学旅行 当日
修学旅行の旅程を打ち合わせたり、自由行動の日はどこで昼食をとるか話し合ったり、旅のしおりにくまなく目を通したり。同じ班の友人とも話し合い、ドライヤー、ヘアアイロン、メイク用ミラーをそれぞれ貸し合うことで手荷物を減らす意向を見せたり。準備するのも楽しいひとときだった。
そうしてついに修学旅行当日。
待ち合わせ場所の新千歳空港ははちゃめちゃに大きい施設だった。飲食店や土産屋が並ぶのは分かる。でも空港に温泉や映画館や郵便局が並ぶのはちょっとよく分からない。地元のショッピングモールよりも広い景色だ。
植え込みのある広場の一角に我が校が陣取り、クラスごとに点呼を取った。班のみんなと談笑しながら施設を見渡していると、視界の端に宮侑が走った。じぃっとこちらを見る宮侑が確かにいた。
いや、私の向こう側にある景色を見ていたのかもしれない。そう言い聞かせ気にしないよう努めた。
生徒が全員到着したのを確認してから、バスを経由して牧場施設へ向かった。ずっとこの車窓を眺めていたら視力が上がるかもしれない。そう思わせるくらい、ずっとのどかな新緑が続いていた。
牧場に着いたらまずは昼食のバーベキュー。高校生同士で肉を焼いた事がない私は、正直大興奮である。運ばれてくる肉やもやしを鉄板に乗せながら、楽しさに思わず笑顔が溢れる。
ふと友達のタレがなくなってしまい、備え付けの瓶も空っぽだったので店員を探した時。宮侑と視線がかち合った。二回瞬きを落として、「お互い楽しもうね」の気持ちを込めて軽く手を振った。
それから一時間バスに揺られて、宿泊先のホテルにチェックイン。友達と部屋に腰を落ち着けて、荷物を開きながらおしゃべりタイム。食事の時間が迫るまでのんきに笑顔を向けていた。
ディナーはみんな大好きバイキング。内心ガッツポーズを決めつつ、選りすぐりのおかずをプレートに並べて席につく。班のみんなでおしゃべりに花を咲かせつつ食事を味わう。もう今日だけで一ヶ月分くらい喋ったんじゃないかってくらい声を出し笑い合った。
たぶん自分でも驚くくらい、高校生で一番今が生き生きしているかもしれない。それくらい、高校唯一の修学旅行を心から存分に楽しんでいた。
「篠原ってそんな風に笑うんだ」
ふと隣のテーブルから声がかかる。
角名くんだ。
お互いソファ席の端っこに隣り合って座っている。班は違うといえど気軽に話しかける距離だった。
「えっなにそれ。どんな笑い方?」
「今一番幸せですって笑い方してたよ」
角名くんにそう言われて、少しの羞恥心が胸に落ちる。なんだか私一人で浮かれてるみたいだ。表情筋を捏ねるようにほっぺをぐりぐりと両手でマッサージする。
「いつもは縁側に座るおばあちゃんみたいな笑い方じゃん」
「おばあちゃん……」
「写真撮ったから後で送っとく」
「いつのまに撮ったの? 変な顔してない?」
「そこは大丈夫。侑に見せびらかそうと思って」
「なんで侑くん?」
「そりゃほら」
そう角名くんの視線を追うように左前方へ顔を上げれば、また宮侑と見つめ合う形になった。
いや、うん。空港の頃からなんとなく思ってはいたんだけど。宮侑は私のこと見過ぎじゃない?
なんとなく気まずさを忘れるためにも手を振ると、宮侑は手を振り返して皿の上へと視線を戻した。
「今日ずっと篠原のこと見てるよね」
「うん。もしかしてなんか変なとこある? 髪の毛跳ねたりしてる?」
「いや、そういうのじゃないと思うよ」
「そっか……」
この後お風呂を終えたら会う約束をしているのだが、どうもこの様子のおかしい宮侑に胸の奥がざわざわしてしまう。
脳裏に「私のこと好きなんじゃないか?」と疑問がよぎる。っていや、違う違う。そう思い込むのは危険だ。私は部活に励むため恋愛しないって決めたじゃないか。愛香ちゃんの一件があったバレー部にとっても、恋愛は禁忌のような存在だろう。
「言っとくけど恋愛禁止って言い張ってるの侑だけだから」
なぜそれを今言っておくんだ角名倫太郎!
心でも読めるのだろうかってくらいどんぴしゃりなタイミングの発言に私は舌を巻いた。
とはいえ宮侑が禁止と言い張っているのなら、尚更このモヤモヤは紐解かないほうがいいだろう。
これはいわゆるシュレディンガーの猫。蓋を開けるまで宮侑の考えや気持ちは分からないのだ。
なら、ずっと閉じておこう。宮侑の思わせぶりな態度で胸キュンするな。恋しそうになるな、私!
そうして悶々としたバイキングの時間も終えて、風呂に入った。一クラスずつ交代で入浴するため、一組の私たちは先発である。時間も限られているので駆け抜けるようにクレンジングからトリートメントまでを終え、十秒温もって風呂を出た。タオルで軽く水気を拭き取り、部屋でドライヤーを借りて髪を乾かし、ヘアオイルを馴染ませる。
二組で風呂の順番が一足遅い宮侑から、風呂を終えた連絡が入った。とりあえずフロントで待ち合わせをし、
ひと足先にフロントへ着いた私は、四角いソファに身を沈めて侑くんを待つ。
──会いたい。
そう言った宮侑の、熱のこもった瞳が今も私を蝕んでいる。気にしすぎだと言い聞かせて、楽しい修学旅行に脳のリソースを割いても、また宮侑の表情が浮かび上がる。先回りして北海道の景色を視界に染めてみては、私をじっと見る宮侑に水を差されて堂々めぐり。
今日の私はどうかしてる。
宮侑に心までかき乱されている。このまま部活に影響が出てはいけないし、やはり二人きりで会うのは今日で最後にしよう。
そう決意表明を固め顔を挙げると、エレベーターから降りた宮侑が視野に入る。どれだけ遠くても、まるでスポットライトが当たるような存在感がある。高身長でタッパのでかいイケメンは、周囲の生徒から視線を集めながら、こちらに向かって歩みを進める。
「修学旅行一日目、お疲れ様」
「おん……」
向かいの椅子にどかっと座って、
「今日よく目ぇ合うけど、どないしたん?」
「べっ別に? なんも見てへんけど?」
「私ずっとモヤモヤしてたんやから。教えてよ」
ここまで言われると言い逃れはできないと観念したらしい。宮侑はぐっと顔に力を入れて視線を逸らす。私たちの間に挟まれたテーブルの木目をよっぽど数えたいらしい。
「なんやその、篠原今日めっちゃ笑うやん」
「うん」
「いつもと笑い方ちゃうって言うか……今日が一番楽しいわぁ〜って顔しとるからつい」
「それ角名くんにも言われたんやけど、そんなにいつもと違う?」
「全然ちゃうわ。いつもはエエコチャンで今日ははっちゃけてるって感じやな」
「はっちゃけてる……確かにそうかも」
宮侑の分析に、私の高揚感は腑に落ちた。
いつも学校の中では、高校生相手には、一歩引いて見守るような距離感だった。一軍の陽キャの笑い声も、オタク同士で語り合う空間も、角名くんときゃいきゃい話す女子も。同じ年齢というだけで寄せ集まった学校の中で、同じクラスに振り分けられた一期一会な顔ぶれに、眩しくも親しみのある空間に。いつも私は受動的で、高校生の若さを浴びながら微笑んでいた。
でも今日は修学旅行。この先もう二度と訪れない学校主体の大イベント。私が松葉杖の時いろんなクラスメートが手を差し伸べてくれた、彼らと共に過ごす北海道。
歴史に触れて見聞を広めたり、集団生活を学ぶことが学校側の主目的だろう。しかし私からすれば慰安旅行のようなものだ。
だから目いっぱい楽しみたいと、能動的になったのだ。学校の外を出た開放感もあるのだろう。
年頃の高校生らしくはしゃいでしまったのだ。
「この修学旅行がホントに楽しくてさ」
──篠原は侑とおると楽しそうやなあ。
以前アランくんからもらった一言を、ふと思い返す。
──ほら、いつもは落ち着いてて大人っぽいっちゅーか。そんなはしゃいでるとこ、あんま見いひんからなぁ。
大人要素が抜けきらない私の前世の
「いつもはっちゃけてるとこ、あんま見せへんやん」
「そうかな? 侑くんとおる時よくはっちゃけてるけど」
「えっ俺とおる時はっちゃけてんの?」
「うん。この間アランくんにも言われたし……私もそう思うよ」
やけに視線が合うのも、恋愛など程遠いような健全な理由だし。宮侑は存外普通だった。なんだ、変に意識していた自分が恥ずかしい。変に踏み込んで信頼を失う所だった、危ない危ない。そうほっと胸を撫で下ろす。
私の言葉に宮侑は目をまるくして、そしてニヤリといじらしく笑った。
「修学旅行で俺と
瞬きを二回落とす。宮侑の言葉を咀嚼するのにそれくらいの時間は必要だった。
やがて、確かにと自分の中で納得に変わり、つまりはっちゃける材料が揃った今の状況は、すっごく楽しい空間なのではと新たな知見を得る。
「侑くん天才やん」
「イケメン天才セッター侑くんって呼んでもええで?」
「イケメン天才セッター侑くん!バレー永遠に応援してます!」
「それほどでもあるわぁ。折角やし明日も会おうや」
「いや明日はレクリエーションあるし時間ないよ」
「急に突き放すやん! 明後日は?」
「最終日やし荷物の片付けとかあるしなぁ」
「ちょい早めに帰ってくるしそんな時間かかるもんやないやろ」
「いやいや。女子は荷物多いんだよ」
化粧品、スキンケア、ヘアケア。
自分の身だしなみを整えるのにどれほどのケア用品が必要なことか。班の友達とゆっくり部屋トークをする時間も合わせると、予定を埋めるのは忍びない。
宮侑の誘いを反故にするのは申し訳ないが、仕方ないだろう。そもそも私の精神衛生上、彼と二人きりで会うのはこれきりと決めているのだ。はっちゃけたい気持ちは山々だが、時間があったとしても理由をつけて断るだろう。
それもこれも、彼のバレーボールに恋愛というノイズが混じらないように。
「全然会えへんやん」
「だから今はっちゃけようよ。とりあえず飲み物買いに行かへん?」
初めての飛行機はどうだった。
お土産は何買うの。
自由行動はどこでランチするの。
風呂敷を広げたい話題がたくさんあるのだ。最後の二人時間を楽しもうよ。
宮侑はそのジト目の中に、微笑む私を映す。やがてこのまま拗ねててもしゃあない、なんて言いたげにやれやれ顔をして立ち上がった。
「ええで。ちょうど水買おう思っててん」
篠原の誘いにのったる、そう言いたげな表情や態度から溢れ出る雄みに、不覚にも少しときめきそうになる。いや、たぶんもうときめいている。
チクショー、もう二人で会わないからな。そう私の気持ちに区切りをつけて、二人で自販機へ向かった。