100人目の友達

※V3ネタバレあり
※思い出しライト時空





 わたしは息苦しさに目を覚ました。
 黒にほど近い木目の床が、視界の右に垂直に広がっている。背後から橙色の微かな明かりに照らされているが、光の届く微かな範囲の外は闇に沈んでいて何も見えない。
 苦しいのは口を開くことができないせいだ。粘着テープのようなものでふさがれているらしい。不自由なのは口ばかりではなく、腕も、足も、何かで縛られているようで動かすことができない。
 混乱が、じわじわと恐怖に変わっていく。ここは、どこ? わたしは――

「オハヨウ、苗字さん」

 背後からかけられた肌が粟立つほどに甘い声に、喉の奥でくぐもった悲鳴が漏れた。
 こつ、こつと響く靴音が、床に付けられた右耳から全身を不愉快に震わせた。微かな光源が、足音に合わせてゆらめきながら近づいてくる。獲物の怯えを楽しむようにゆっくりとわたしの足元を周って、その人物は正面の少し離れた場所で止まった。
 眼球だけを動かして、見覚えのある靴を、カーキ色の制服を、蝋燭を持つ包帯に包まれた手を、長い髪を、ああ、この人を知っている、口を覆う黒いマスクを、視界に入れた。

 ――超高校級の民俗学者、真宮寺是清。

 同じ学園の、クラスメイトではないけれど、同級生だ。不気味に微笑む目だけが覗く顔を見て、思い出した。
 放課後に声をかけられて、奇怪な見た目に少し驚いたけど、わたしの才能と研究に関心を示してくれて、わたしも民俗学に少し興味があったから、話しながら学園を離れたところで――ぷつり、と記憶が途切れている。
 知人だからといって恐怖心が和らぐことはなく、むしろその表情に煽られて増していく。こんなに正気を失った人の顔を見たのは、きっと初めてだ。

「怖がらせてごめんネ。でも、こういう儀式は順番が大事なんだヨ」

 よく見れば、わたしと彼の間には白い粉で線や記号が書かれている。わたしを中心に弧を描いているようだ。オカルトめいたその模様に、民俗学者らしい、と他人事のように思った。

「一目見た時から思っていたんだ。君は姉さんにぴったりだ」

 恍惚とした表情を浮かべて天井を仰ぎながら、彼は特徴的なマスクをするりと首元へ引き下げた。
 真っ赤な、口紅がひかれた唇が、微笑んでいた。

『ええ、そうね是清。背格好も姿も私にそっくりだわ』

 彼の口から、彼の声で、誰かが喋った。

「喜んでくれてうれしいヨ、姉さん」

 マスクを口元に引き上げて、真宮寺はうっとりと呟いた。そして、わたしと視線を合わせると、整った目元を緩ませて幸せそうに微笑んだ。

「姉さんは僕と一緒にいるんだ。降霊術が成功して、一つになれたんだヨ。でも――あの頃みたいに、もう一度姉さんを抱きしめたいんだ」

 何を言っているかはわからないが、何を言っているかをわからなければ、殺されてしまう。恐怖に震える本能にそう告げられて、必死に彼の言葉を拾う。

「だから、姉さんの魂を一時的に、僕から君に移すことにしたんだ。この蝋燭を吹き消せば……」

 ふっと微かな息の音とともに、儚い火が消えた。
 真っ暗な闇の中を、頭蓋骨を叩くような音を立てて、彼がやってくる。身体を抱き起され、引き攣るような痛みとともに、乾いた口に乾いた空気が流れ込んだ。解放された言葉は、激しい悪寒に封じられている。
 降霊術? 魂? 何にもわからない。何も理解できない。けれど、逆らってはいけない。

「これで、君は姉さんだヨ。そうだよね、姉さん? ほら、僕の名前を呼んで」

 名前を、呼ばなければ。

「これきよ」

 力強く、けれど優しく抱きすくめられて、手足を拘束された体はなすすべもなく男に重心を委ねた。

「ああ、姉さん! うれしいよ、成功しなければ友達になってもらおうと思っていたけど……ああ、姉さんはずっと一緒にいてくれたけど、姉さんの温かさが恋しくて恋しくて仕方がなかったんだ……」

 暗闇の中で狂人の逆鱗に触れないように、わたしは必死に悲鳴を押し殺した。乞われたときだけ名前を呼べば、口紅の味がする生ぬるい唇を重ねた。
 いつしか気を失っていたわたしが目を覚ますと、蝋燭の仄かな明かりを片手に、真宮寺がわたしをじっと見下ろしていた。相変わらず、手足の自由はない。

「いつかは姉さんの友達になって欲しいけど……君は100人目にしよう。それまでは僕のために、姉さんに身体を貸してね」

 マスクから除く金色の目が、優しそうに微笑む。肯定しようが、否定しようが、彼の耳には届いていないのだろう。

「ああ、姉さん、すぐに苗字さんを友達にさせてあげられない僕の我儘を許して欲しイ……」
『いいのよ是清。またあなたの体温を感じられる方が、友達よりもずっと嬉しいわ』


2016-01-16
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