キルタンサスの舟

 あの人の眠る海には、先客がいた。
 キャナリの愛した赤、キルタンサスの花が、ザウデ不落宮に臨む水面を彩っている。わたしの持ってきた花束よりも数多の、小さな花の舟は、二人の少女が乗ったボートから船出を迎えていた。

 岸辺に流れ着いた花を拾って顔を上げると、少女の片方がこちらに気付いたらしく、同舟の少女の肩を叩いた。赤毛の少女はこちらを振り向いて、花を流していた手を止める。
 辛うじて顔の判別できる程度の距離にいたボートが、ゆっくりとこちらへ向かってくる間、わたしは彼女たちにかける言葉を考え続けた。

 彼女たちと顔を合わせたのは、ザウデの中の広間でユーリ達と共に闘って以来だ。以前に一人で彼女たちに会ったのは、あの人と最期に闘うよりも前だった。
 少し離れたところに着いたボートから、無言で二つの足音が近付いてくる。お互いの顔が確認できるくらいの距離を保って、彼女たちは立ち止まった。

「ファースト」

 わたしの名前を呼んだ赤毛の少女は、じっとこちらを睥睨している。緑の髪の少女は怒ったような、困惑したような表情でこちらを見つつ、ちらちらと傍らの少女を伺っていた。

「ゴーシュ、ドロワット」

 赤毛の少女、ゴーシュは、眉根を寄せながら口を開いた。

「何をしにきた! この裏切り者!」
「……花を、供えにきたの」
「今更……っ!」
「ゴーシュちゃん、落ち着いてよぉ」

 制止するドロワットの腕を振り払って、ゴーシュはわたしとの距離を詰める。

「イエガー様は、ずっと、お前のことを気にかけていたのに……っ」
「ゴーシュちゃん!?」

 飛び掛ってくるゴーシュの姿と、悲鳴に似たドロワットの高い声。
 体ごとぶつかってきたゴーシュを避けずに、受身も取らないまま、背中から地面に転がった。持っていた花束が、傍らに落ちる。ゴーシュは腹部の上に跨り、わたしの胸倉を掴んだ。

「どうして、一緒に来なかった? どうして、イエガー様を助けなかった!?」
「ゴーシュ……」

 首への圧迫感よりも、襟を掴んだ手が震えていることが苦しかった。
 小さい頃からゴーシュはとても繊細で、真面目だった。周りを心配させないようにじっと感情を溜め込んでしまう、傷つきやすい子だった。
 今、傷つけてしまったのは、紛れもないわたしだ。

「言い訳くらいしたらどうだ!」

 強い言葉とは裏腹に、ゴーシュの紫がかった赤い瞳が揺れる。波間に揺蕩うキルタンサスの花のように、所在なさげに、寂しげに揺れる。

 ゴーシュの向こうに見える、底抜けに青い空に、星喰みのいない。

 これで、良かったんだ。
 だからきっと、あの人は一人で闘ったんだ。

「償うよ」

 わたしは無力だったから。
 あの人に、もう一度生きて欲しいと、この世界で生き続けて欲しいと、言うことができなかったから。
 だから、

「イエガーの……イエガーさんの命、ちゃんと背負うよ」

 あの人の守ってくれた二人を、守りたい。

 小さく息を吸ったゴーシュの唇が、きゅっと結ばれた。
 ぽたり、と落ちてきた生温い雫が、私の頬を伝った。

「ファーストの、馬鹿!」

 腹部にあった重みと温もりが消え、視界にはただ青天だけが残る。
 上半身を起こすとそこにはもうゴーシュの姿はなく、ドロワットが腰に両手を置いて後ろを向き、芝居がかった仕草でため息を吐いていた。

「もぉ、ゴーシュちゃんってば……」
「ドロワットは、怒ってないの?」
「怒ってるに決まってるのよ!」

 ドロワットはわたしの頭を手刀で軽く叩くと、そのまま隣にしゃがんだ。

「でも、言いたいことは、全部ゴーシュちゃんが言っちゃったのだわん」
「そっか」
「ホントは、」

 そこで言葉を区切って、ドロワットは視線を水平線からわたしへと動かした。

「ホントはゴーシュちゃんもわかってりゅんだからね〜。もちろん、あたしも」

 ドロワットには、わたしやゴーシュや、あの人や、周りの人に合わせて、道化てみせる優しさがあった。小さい頃から、ずっと。
 ふと、救児院にいく以前のことを思い出して、わたしは口を閉ざした。

 波の音だけがしじまに響き渡る。

「あ〜あ、ずっと一緒にいたかったにょー」

 伸びをしたままの勢いで、ドロワットは仰向けに横たわった。ドロワットの目に映るのも、星喰みのいない空。

「イエガー様と、キャナリ姐と、ゴーシュちゃんと、ファーストちゃんと、あたしで。ずっと、ずーっと」
「そう、だね」

 ドロワットの声が微かに震えるのを聞いて、わたしも空を見上げた。

「一緒に、いたいね」

 ゴーシュの気持ちが落ち着いたら、三人で話がしたい。今までのこと、これからのこと、全部を話したい。できればまた、一緒に過ごしたい。
 きっと、昔みたいにはいられないけれど。

「ファーストちゃんも、泣いていいんだぬん」
「……もう、泣いたよ」
「そっか、良かったぁ」

 勢い良く上半身を起こして、ドロワットは立ち上がった。座ったままのわたしの頭に抱きついて、いひ、と悪戯っぽく笑う。

「あたしも、ゴーシュちゃんも……イエガー様も、ファーストちゃんのことずっと大好きだからね」

 耳元で囁かれたドロワットの声に答える暇もなく、ドロワットはそのまま駆けていってしまった。肩を寄せ合って涙を流す二人を、わたしはまだ、慰められないらしい。
 キルタンサスの花束を拾い上げて、花をまとめていたリボンを解いた。

「わたしも、大好きだよ」
 
 全ての花を、海の方へ放り投げた。ちょうど吹いた風にさらわれた花は、遠い水面に着水して、やがては彼の元へと沈んでいった。


2011-08-26
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