人魚ちゃんは恋に沈む



テスト期間が終わり、バレンタインが過ぎ、春休みに入って…クリス先生と出会ってから、なんだか季節があっという間に過ぎていく気がする。
授業がない分、先生と会える頻度は下がってしまったけれど、お茶したり、海に関する催し物を一緒に見に行ったりと、私は穏やかに恋心を育んでいっていた。

そんな中、クリス先生は、研究で2週間日本を離れることになった。
ほぼ海の上にいるらしく、連絡が取り辛くて寂しかったけれど…たまに送ってくれる海の写真と、興奮した様子のメッセージが、なんだかとっても可愛くて、和んでしまった。
「みょうじさんにもお見せしたいです!」なんてメッセージにも、心が浮き立つようだった。
クリス先生にとって、きっとすごく、充実した日々なんだろうなぁ。

先生と会えない2週間は、時間がゆっくり流れている気がして…とても長かったけれど。
いよいよ、今日は先生が帰ってくる日だ。
乗る飛行機の詳細までは聞かなかったけど、クリス先生が行っていた国からの直行便は1日2本しかなく、午前中に着くことは聞いていたから、私は到着時間に目星をつけて、サプライズでお迎えに行くことにした。
…ただ単に、私が少しでも早く、先生に早く会いたかっただけなんだけど。えへへ。


空港に行って、そわそわしながら待っていると、アナウンスが飛行機の到着を告げた。
ええと…この辺りで待ってたら、先生来るかな?
私は、到着出口を見渡せる位置の椅子に座って、その出口をじっと見つめた。

上手く見つけられるといいんだけど…クリス先生、目立つから、きっと大丈夫だよね。
そんなことを考えながら、行き交う人を一生懸命確認する。
うーん、なんだか目が回っちゃいそう。
でも絶対、先生を見つけるんだから!


……あっ!先生!いた!!

ついにクリス先生を見つけて、

「クリスせんせ…!」

と、声をあげて立ち上がったけれど。

…衝撃的なものを、私は捉えてしまった、

私より先に、先生に近づき、そして抱き着く女性。
背を向けていて、私からはよくわからないけれど…着ているものから、クリス先生より恐らく年上で、すらりとした人であることが予想できた。

クリス先生も、その女性のハグを受け入れていて、嬉しそうだ。



――パキン、と、私の中で何かが音を立てて壊れた気がした。



…………そう、だよね。

何を、思いあがっていたんだろう。
私はただの生徒、しかも先生の学校の生徒ですらない。
クリス先生には、あんな素敵な恋人がいるんだ。
それもきっと…普通の、人間の。


ぎゅっと胸が締め付けられる。
苦しくて、つらくて、私は震える足で逃げるようにその場を立ち去った。

――大嫌いな「人魚姫」の物語が、ぐるぐると頭に浮かぶ。
まさか、こんなにも似たシチュエーションに遭遇するなんて。いっそ笑えてくる。
人魚である私の恋は実らない、と世界から言われているようだ。


しばらくして、クリス先生から、連絡が来たのがわかった。
けれど、メッセージに目を通す気にも、返事を返す気にもなれず、私はスマホの電源を切った。
そしてなんとか帰ってきた自分の部屋で、膝を抱えた。

ふわふわと楽しかったバレンタインの日が、遠い遠い過去のよう。
舞い上がっていた、自分が恥ずかしくなる。
クリス先生は、自分の話を聞いてくれる生徒として、海を好きな同志として、そして珍しい存在の人魚の亜人として、私と会ってくれていたのだろう。
それ以上の感情は、なかったんだろう。

あんなにかっこよくて、あの若さで助教っていう、優秀なクリス先生だもの。
美人で、聡明で、大人な彼女がいて当たり前だ。

…クリス先生も、人が悪いな。
言ってくれてれば、よかったのに。
彼女がいるのに、バレンタインに他の女と出かけて、お土産にペアのものを買って、その上手作りのクッキーなんて受け取っちゃダメだよ。
…そんな風に、八つ当たりまでしてしまう。
全部悪いのは、勝手に思い込んでいた自分なのに。

……恋って、こんなに苦しいものだったんだね。

頭の中がぐちゃぐちゃで、胸がぎゅうぎゅうと苦しくて、涙が勝手に溢れて来て。
その日はそのまま、疲れ果てて眠ってしまった。



そうやって、2、3日部屋に閉じこもっていたけれど…
どうしても息苦しくなって、海にやってきた。
海を見ると、クリス先生のことを思い出してしまって、苦しいけれど…私は、海がないと生きてはいけなくて。
やけくそになって、まだ冷たい海へと勢いよく飛びこんだ。

海水の冷たさが、身を刺していくみたい。
けれど、いつものようにみるみるうちに変わっていく身体。
そうすれば、寒さにも鈍くなる。
私は思いっきり泳いで、沖へと出た。


誰もいない静かな場所で、ぷかぷかと海に浮かんで、空を仰ぐ。

――いっそ「人魚姫」のように泡になってしまえたら…なんて思う日が来るなんて。
私が助けたのは、溺れていた子供であってクリス先生ではないし、足と引き換えに声も失ってなければ、魔女も、姉妹だっていないのにね。
嫌いだと言いながら、どこまであの物語に囚われているんだろうと、自嘲してしまう。

目に映る自分の手も、足も、普通の人間ではないことをまざまざと訴えてくる。
…普通の人間だったら、私はクリス先生の隣に居れただろうか。
でもそうだったらきっと、知り合えもしなかっただろう。

「あーあ…」

ポロポロと涙が流れていく。
…真珠のことを『人魚の涙』なんて言うらしいけど。
私の涙は、ただただ海に溶けて行くのだった。




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