雨音の中、小さな傘の下で



「お待たせして申し訳ありません!」
「お仕事お疲れ様でした、九郎さん。わたしも今来たところですから、気にしないでください」

そう言う九郎さんは、走ってきてくれたらしく、髪が珍しく乱れていた。
それをそっと指摘すると、九郎さんは少し頬を染めて「教えて下さってありがとうございます。なまえさんも、学校お疲れ様でした」と、優しく微笑んでくれた。


わたしは今目の前にいる、茶道家で、アイドルの、清澄九郎さんとお付き合いをさせてもらっている。
九郎さんは、生まれ持った様々なものもさることながら、己を厳しく律し、努力を重ねることが出来る、すごい人だ。
おまけに見た目も麗しくて…天は二物も三物も与えるんだな、と思う。

それゆえに、平々凡々なわたしのどこが良いのか、本当に不思議でならない。
…怖くて、聞けないけれど。
もちろん、私は九郎さんのことが大好きだけれど…告白してくれたのだって、九郎さんからだし…
本当に、謎だ。


今日は、九郎さんのお仕事と、わたしの授業の終わりに待ち合わせて、新しく出来たという日本茶カフェに行く予定だ。
忙しい九郎さんと予定を合わせられたのはよかったのだけれど…あいにく、雲行きが怪しい。
カフェは、最寄り駅から少し遠いところらしいけれど、大丈夫かな…


***


――カフェでお茶を楽しんで、色々な話をして、充実した時間を過ごしたものの…
カフェから出てしばらくすると、雨がぽつりぽつりと振り出してきた。
折り畳み傘は持っています!と、開いてみたものの…やっぱり、二人でこの傘は小さすぎた。
ちなみに九郎さんは、ロケ先から直接来てくれたそうで、いつも使っている番傘は持ってきていなかった。

そんな小さな傘を持ってくれている九郎さんの肩が濡れてしまっているのが見えたわたしは、九郎さんのことを見上げて言った。

「九郎さん、もっとちゃんと傘に入ってください。このままじゃ九郎さんが濡れてしまって、傘の意味が…」
「私は大丈夫ですから…女性が体を冷やすのはいけません」

そうは言ったものの、九郎さんは小さくくしゅん、とくしゃみをした。
その衝撃で、傘に溜まった雨粒が弾ける。
九郎さんは、ばつの悪そうな顔をしていたけれど…わたしはそれ可愛いな、と思ってしまう。
可愛いと思われることはあまり嬉しくないようなので、そんな素振りは見せないように私は返した。

「こう見えてわたし、丈夫なんですよ。九郎さんが風邪をひいてしまったら、お仕事に差し支えるでしょうし…それとも、わたしとくっつくのは、嫌でしょうか…?」

前半に関しては、事実だと思うけれど…後半、少し狡い言い方をしてしまった。
でも、これならきっと九郎さんは…

「め、滅相もないです!」
「それじゃあ、こうさせてください」

九郎さんが予想通りの返しをしてくれたので、わたしはそっと九郎さんに身を寄せ…我ながら、大胆だとは思うけれど、そのまま腕を組んだ。
九郎さんは体を硬くこわばらせたが、わたしは気付かないふりをして、ぎゅっと九郎さんの腕にくっついた。



外にいる時の雨は、煩わしく感じることが多いけれど…今のわたしにとっては、恵みの雨だったのかもしれないな、なんて思ってしまう。
だって、九郎さんとお付き合いをし始めてもうすぐ3ヶ月が経とうとしているのに、キスはまだしも、手を繋いだことだってないんだもの。
名前で呼んでくれるようになったのだって、ごくごく最近のことだ。

誠実な九郎さんの性格ゆえということは、わかってはいるけれど…少し、寂しい。
だから、不可抗力とは言え、九郎さんとこんなにくっつくことができたのだから、わたしは嬉しかった。

それに、同じ傘に入っているから、歩調もぴったり合わせて歩いている。
普段から、九郎さんはわたしに合わせて歩いてくれているけれど…今は完全に一緒だ。
そんなことすら、嬉しくて、愛おしい。


九郎さんの体はまだ硬かったけれど…そのまま駅に向かって歩きを進めていると、九郎さんがわたしの様子に不思議そうに首を傾げた。

「どうかされましたか?」
「え?」
「とても楽しそうにされているので…何か、良いことがあったのでしょうか?」
「それは…今この状況が、楽しいし、幸せなんです」
「この状況…ですか?」

わたしはそこで、思っていたことを素直に九郎さんに伝えた。
…さすがに、手を出してもらえないことに関しては、口には出せなかったけれど。

わたしが気持ちを伝えると、九郎さんは頬を赤く染めた。
…こんな時でも、綺麗だな、なんて思ってしまう。
九郎さんは、女のわたしですら見とれてしまうほど綺麗で、美しい人だと思う。
だから、そんな人が彼氏だなんて、未だに不思議でならないのだ。

「わ、私も…その。なまえさんと、このように、触れ合えるのは…嬉しい…です」

…そんな人が、耳まで赤くして、こんな言葉をくれる。
わたしまで、顔が熱くなってしまう。
…どうしてかはわからないけれど…九郎さんは、わたしを好いてくれている。
そのことは紛れもない事実だと、実感する。

どうしよう、胸の鼓動が、組んだ腕から伝わってしまうかもしれない。
でも…伝わってほしい、とも思う。
わたしも、九郎さんが大好きだって、気持ちが。


雨音の中に作り出された、2人だけの小さな空間だからこそ、九郎さんのこんな言葉を聞くことが出来たのかもしれない。
わたしはこの恵みの雨と、小さな自分の傘に感謝をしながら、九郎さんと微笑みを交わし、同じ歩調で歩き続けるのだった――




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