とある日。
鋭心が自室で台本を読んでいると、遠くから足音が聞こえてきた。
その足音は、鋭心の自室の前で止まり…そのまま、無遠慮に扉を開けた。
「えーしんっっ!!どういうことよっっ!!?」
「……なまえ、ノックくらいしたらどうだ」
可愛らしい頬を膨らませて息巻いてるのは、鋭心の従妹のなまえだった。
足音が聞こえてきた時から誰が来るのかは想像がついていたので、鋭心は顔色ひとつ変えることなく、なまえに返した。
「私に断りもなしに、なんでしれっとアイドルデビューしてるのよー!芸能界に入るときはうちの事務所でって約束してたじゃない!なによ、315プロダクションって!全然聞いたことないしっ!」
「なまえに許可を得る必要はないし、そんな約束はしていない。なまえが勝手に言ってただけだろう」
なまえは幼い頃から、大手プロダクションに所属して芸能活動をしている女優であり、アイドルである。
売れっ子女優でアイドルのなまえは、ここ最近は主演映画の海外ロケに行っていたため、鋭心の芸能界入りをようやく知ったらしかった。
大した反応をしてくれない鋭心に、なまえはムキー!とさらに柳眉を逆立てた。
「それに何よユニットデビューって!しかもセンターじゃないんでしょ!?なんでよ!!鋭心ならソロでやっていけるでしょ!!」
なまえの怒りの方向が、変わってきた。
どうやらなまえは『鋭心が過小評価されている』と思って怒っているらしい。
「……確かにユニットとしてデビューする形でスカウトされたが、俺は全て納得した上で315プロダクションからデビューすることを決めた。それに315プロダクションは、小さいがいい事務所だ。なまえに心配されることは何もない」
「でもでもっ……!!」
なおも食い下がろうとしたなまえだったが、鋭心のきっぱりとした態度に、口を尖らせつつも、言葉を続けることができなくなってしまった。
……ちなみに、なまえが鋭心に口喧嘩で勝てたことは一度たりともない。
「むぅぅ……全然納得いってないんだけどっ!……ちょっとは相談してくれるとか、世間の発表より先に教えてくれるとか、してくれてもよかったじゃない……」
最初にやってきた時の勢いはどこへやら。
なまえはすっかり拗ねて、鋭心のベッドで体育座りをして膝に顔を埋めて、しょぼくれてしまった。
「……それは、すまなかった。なまえは仕事で忙しいと思っていたからな」
「…………待ち時間にLINKくらい見れるもん」
言い訳をしながら、鋭心はむーっと膨れるなまえの隣に座った。
なまえは、仕事の時には、我儘を言ったりしないらしいが……
家族や親戚、特に年の近い鋭心には、こうして我儘を言って困らせることが多々あった。
「今度から何かあれば、なまえに相談する」
「……守秘義務は守りなさいよね」
「そこは気にするのか」
「当たり前でしょっ!私が何年芸能界いると思ってるの!えーしんから見たら、大先輩なんだからねっ!!」
「……ふっ、それはそうだな。不束な後輩だが、よろしく頼む」
そう言って、鋭心はなまえをなだめるように頭を撫でた。
「……そんなので簡単に許すほど、私は単純じゃないです〜〜!」
……とは言いつつも、鋭心の手を払いのけることもしないなまえ。
変わらないなまえのいつものパターンに、鋭心は心の中で笑ってスマホを開いた。
「そうか。では……前になまえが行きたいと言っていたカフェに付き合おう」
「っ!ほんとっ!?」
がばっと体育座りの状態から顔を上げると、なまえも自分のスマホを開き、スケジュールを確認した。
「次のオフは、来週の土曜日の…午後はまるっと空いてるんだけど!」
「……俺も空いている。その日に行こう」
「やった!」
今日やってきてからずっと不満そうだった表情が、花がほころぶような笑顔に変わる。
鋭心は、再び心の中でそっと笑った。
待ち合わせの時間と場所を決め終わると……なまえが「あっ!」と声を上げた。
「今度はなんだ?」
「あと1つ約束!!これは絶対だから!!」
「……内容によっては、了承しかねる」
「了承しなさいよ!……あのね、最初に恋愛シーンを演じるときは、絶対相手は私じゃないと許さないんだから!私を指名しなさいよね!」
何を言い出すんだ、と鋭心が目を丸くしていると、なまえは真っ赤になって再び声を荒げた。
「なっ、なによー!!」
「いや……常識的に考えて、新人アイドルがなまえのような人気アイドルを指名する権利はないだろう」
「私がいいって言ってるんだからいいのー!事務所にも話通しておくから!絶対なんだからね!!」
びしっ!と言い切るなまえに、鋭心は頭を抱えた。
「……善処はする」
「善処じゃなくてーっ…………あっ。そっか、私から頼めばいいんじゃん!」
「おい」
「大丈夫、タイミングはちゃんと狙うから。もう少し我慢する!七光りはお互い今更だし、話題作りになるからいいでしょ!だから鋭心はそれまで恋愛シーンNG出しといて」
はあ、とため息をつく鋭心とは裏腹に、なまえは楽しそうだ。
そして、にっと笑って、なまえは言ってのけた。
「……だから、早く私と共演できるくらいになってみせてよ」
「それは、言われずとも努力してみせる」
いたずらっぽく、でも芸能界での立場の差を見せつけるように鋭心に発破をかけるなまえ。
鋭心が迷いなく言葉を返すとなまえは満足そうに笑った。
「それじゃ、今日は帰るね!また今度の土曜日ねー!!」
なまえはそう言うと、来た時と同じく、嵐のように去って行った。
「……本当に、騒がしいやつだ」
よくあることではあるが、と鋭心は独り言ちながら、気分を変えるためにTVをつけた。
すると、画面に現れたのはなまえの出演する映画のCMだった。
原作は大きな賞も受賞しているいわゆる『感動の名作』と言われるような作品だ。
画面の中のなまえが静かに涙を流すシーンが、視聴者の目を引く。
……先ほどまでここに居たなまえは、TVの中のなまえと同じ人物なのか?と思いつつも…
鋭心は、改めてなまえとの差を思い知るのだった。
自分の目指す場所は、遥か先だが…まずは。
なまえとの約束を果たせるレベルを…なまえと肩を並べられるアイドルを目指すのもいいのかもしれない、と鋭心は決意を新たにするのだった――