――あの日から1週間後。
クリス先生から、再び連絡が来た。
現実を見たくなくて…でも、ずっと無視していることもできなくて。
なんとか、メッセージを開いた。
今日来ていたのは…落ち着いてきたから、お土産を渡したい、と言う内容だった。
あの女性に関する話題じゃないことに少しほっとしながら、意を決してメッセージを遡ると、前に来ていたのは、帰ってきたことの報告。
そして、またしばらくはレポートをまとめたりで忙しい、ということだった。
それが落ち着いた、という連絡を、今日くれたらしい。
…お土産、わざわざ買ってきてくれたんだ。
少し前なら、喜びで舞い上がっただろうし、今だって、嬉しくないわけじゃない。
だけど、クリス先生に会って、私は前みたいに笑えるだろうか。
顔を見ただけで、泣いてしまいそうで怖い。
迷いに迷って…でも、やっぱり先生に会いたくて。
会って、確かめればきっと、ちゃんと…想いも断ち切れるだろうから。
私は意を決して、クリス先生に返信を送ったのだった――
◇◇◇
そして数日後。
クリス先生と約束した日がやってきた。
久しぶりにクリス先生に会えて嬉しい気持ちと、この恋にピリオドを打つという辛さ。
それらがごちゃまぜになって、正直立っているのが不思議なくらい、ぐらぐらしている。
足が重い……けど、行かなくちゃ。
待ち合わせは、クリス先生と初めて会った海辺だ。
いつもはカフェとかが多いのに、なんでだろう…?
…でも、人目が少ないところの方が、今日はありがたいかもしれない。
泣かないように、頑張るけど…全然、自信ないし…
そんな風にごちゃごちゃと考えながら歩いていたら、少し遅くなってしまった。
…あ…。
待ち合わせ場所にはクリス先生が既に居て…綺麗な亜麻色の髪が、海風にたなびいている。
それだけで泣きそうになってしまって…一度立ち止まって、大きく深呼吸して、呼吸を整えた。
…覚悟を決めて、クリス先生に近づく。
すると、砂を鳴らす足音で気付いたのか、クリス先生が振り向いた。
「なまえさん!お久しぶりです!」
「…おひさし、ぶりです」
いつもの、クリス先生だ。
私が…大好きな笑顔。
軽く挨拶を交わすと、クリス先生は近くのベンチにエスコートしてくれた。
「…あまり、顔色がよくありませんね。大丈夫ですか?すみません、無理をさせてしまったようでしたら、また後日でも…」
「大丈夫、です!…私も、クリス先生に会いたかったので」
口数が少ない私を気遣ってくれるクリス先生の優しさに泣きそうになって、無理やりに笑顔を作る。
悪いのは体調じゃなくて、気持ちの問題だし、会いたかったのも、嘘じゃない。
会うのは怖かったけど、会いたかった。
この優しい声を、ずっと聴きたかった。
「…そうですか。そう言っていただけて嬉しいですが…もし辛くなったら、すぐにおっしゃってくださいね」
その言葉に、奥歯を噛んでコクリと頷いて返す。
喋ると、色々なものが零れてしまいそうだったから。
「…今日は、なまえさんと、そしてこの海に聞いてほしい話があります」
「っ…」
そんな、いきなり、どうしよう、あの女性と結婚する……とかだったら…!
一瞬にして、私の想像は悪い方に働く。
けれど、クリス先生は立ち上がり、よく通る大きな声でこう言った。
「私は大学を辞め、アイドルになって海の魅力を広めようと思います!」
「………え?」
先生から出てきた言葉は、私が考えていたものと、全くかすりもしなくて。
……どう、いう…こと………??
ポカンとしていた私に、クリス先生は経緯を教えてくれた。
アイドルの水族館ライブの話を聞き、アイドルになれば海の素晴らしさを伝えられると思い、オーディションを受け、315プロという事務所に受かった…と。
会わなかった1か月くらいのうちに、クリス先生の人生は怒涛の変化を迎えていたらしい。
経緯はどうあれ…クリス先生はかっこいいし、綺麗だし、アイドルのオーディションに受かったのも納得がいく。
好きな芸能人が好きだと公言しているものは、ファンも好きになってくれると思うし。
でも、勿体ない気もする…大学の助教って、簡単に戻れるものなんだろうか。
アイドルになる理由から考えても、先生は研究を辞めたりはしないだろうけど…今まで通りには行かないだろうし。
何より、私は――
「…大学、辞めちゃうんですね。授業聞けなくなっちゃうの、残念です」
素直な気持ちを、クリス先生に告げた。
この感情は、まっすぐに伝えられるものだったから。
すると、クリス先生はにこっと笑って言った。
「ありがとうございます。なまえさんにお伝えしたいことはまだまだありますから、なまえさんさえよろしければ、ぜひ別の機会を設けさせてください」
……そんなの、ダメじゃないの?
彼女がいるのに、そんなこと軽々しく言っていいの?
アイドルの話でどこかにいっていた気持ちが、あっという間に戻ってきてしまった。
泣かないように、ぎゅっと拳を握る。
今、ここで、結論を出してしまえ、私――!
「………彼女さんには、言ったんですか?」
「彼女?…一体、誰のことでしょうか?」
「っ……空港で、抱き合ってた…女性のこと、です…」
「空港…?もしや、先日帰国した際の…?」
こくこく、と私は頷いた。
これ以上は、声が出なかった。
「ふむ…何か誤解があるようですが…あの時の女性は、私の母ですよ」
「えっ…」
「私はお付き合いをしている方はいませんし…私と似た髪の色をしていませんでしたか?」
…そういえば、そう……かも……あ、れ………
クリス先生は「母は、スキンシップが過剰な
え?あれ?じゃあ、ここ最近ずっとぐるぐる考えていたのは………
私の…勘違い……?
「…なまえさんは、あの時、迎えに来てくださっていたんですね」
クリス先生はそう言って、フリーズしていた私の手をそっと握った。
きゅうっと喉の奥が痛くなって…私は、私は……
「ふっ…ふぇ…うぇぇーん…!!!!」
ついに、泣き出してしまった。
泣くなんてレベルじゃない、大号泣だ。
「なまえさん!?」
「わぁ〜〜〜〜ん…ごっ、ごめんなさいぃぃぃ…勝手に、勘違いしてっ…返事、できなくなってっ…」
勝手に勘違いして、一人で落ち込んで…何してんだろう、私。
恥ずかしさと申し訳なさと、情けなさと…安堵と。
情緒がめちゃくちゃで、ぼろぼろと涙が止まらない。
まるで子供のように、泣きながら言い訳めいた言葉を紡ぐ。
そんな私を、クリス先生は驚きながらも、見捨てるようなことはしなかった。
優しく抱き留めて、背中をさすってくれる。
あったかくて、冷たくなっていた心が解されていくようだ。
そんな優しさにまた泣きたくなって、私の口から、ずっと言いたかった言葉がするりと出ていった。
「私っ…わたしぃ…クリス先生のことがっ…好きっ…なんですぅぅ…」
「…はい。私もですよ。私も、なまえさんのことが好きです」
……………えっ。
驚きで、涙が引っ込む。
そして気付けば抱きしめられていたはずが、クリス先生と向き合っていた。
先生は優しい目をしていて…ハンカチで私の涙を拭いてくれた。
「不安にさせてしまって、申し訳ありません。それに、私から言うべき言葉を言わせてしまいました…でも、とても嬉しいです」
そう言って、クリス先生は私の頭を撫でて――おでこに、優しくキスを、された…!
止まっていた涙がぶわっと再び溢れると、クリス先生が「すっ、すみません、許可もとらず…!」と慌てたように言う。
私は、思い切り首をブンブンと振って否定した。
「違っ…んです…これはうれし涙でっ…」
なんとかそう伝えると、クリス先生はほっとしたように表情を緩めた。
そして「泣きすぎると、目が腫れてしまいますよ」と目元にキスをくれた。
「…海の味ですね」
ふふっと、綺麗な顔で笑うクリス先生。
…さすが、だ。
「…お恥ずかしいところを、お見せしてすみません」
「いえいえ。とても嬉しかったですよ」
うう…穴があったら入りたい。
しばらく経って、ようやく落ち着いた私は、居たたまれなさに身を小さくしていた。
反対に、クリス先生は上機嫌だ。
「…そうでした。こちらをなまえさんに」
思い出したようにそう言って、クリス先生は私に可愛らしい箱をくれた。
「開けてみてもいいですか?」
「ええ、もちろん」
そっと箱を開くと…中には、海の色をした石のネックレスが入っていた。
「可愛い…!」
「遅くなってしまいましたが、ホワイトデーのお返しにと思いまして」
「ありがとうございます、嬉しいです!」
「よかった。今つけて差し上げてもいいですか?」
「えっ、は、はい」
付けやすいように、髪をよけると、クリス先生は正面からネックレスをつけてくれた。
ち、ち、近い…ドキドキする…!
「はい、つけられましたよ…ふふ、やはり、なまえさんにとても似合います」
にこ、と笑われる。
う、嬉しいけど、ドキドキして死んじゃいそう…
顔が熱いよぅっ…!
「あ、ありがとうございますっ…大事に、します…!」
本当は、クリス先生の目を見て言えればよかったんだけど…
私は顔を伏せて、なんとかお礼の言葉を伝えた。
クリス先生は、そんな私の頭をまた撫でた。