それから、クリス先生と色々な話をした。
研究の話、アイドルの話。
かなり恥ずかしかったけど…私が勘違いして、落ち込んでいた時の話も。
そして――私たちが初めて出会った時の話。
「…正直なところ、あの時は子供を助けるのに夢中で…クリス先生のことも、親切なイケメンさんだな、と印象くらいしかなくて…」
言っていて、なんだか申し訳なくなる。
それでも今はこんなに大好きなんだから、人の出会いって不思議だな。
でもあの時は、本当に必死で――
いつものように海に行ったら、砂浜に人だかりができていて。
その日は少し波が高くて…波の向こうで溺れてる子供と、砂浜で半狂乱になっているお母さんらしき人がいた。
周りには何人か人がいたけど、誰も助けに行ける感じじゃなかった。
どこかに電話をしている人はいた気はするけど。
溺れた子供を助けようとして、大人が溺れる事故も多いと聞くから、みんなきっと躊躇していたんだろう、と思う。
一瞬、人の目が気になったけど…でも人魚の私なら、助けられる!とそう思って。
ありったけの力で走って海に飛び込んで、子供を助けた。
その時に、クリス先生も海に入っていて、助けようとしてくれていたから、浅瀬でクリス先生に子供を託して…
少し距離を置いて、事の成り行きを見守った。
私は人魚の姿のままでは陸に上がりづらいし…目立ちたくはなかったから。
そして子供がお母さんのもとに戻り、駆け付けた救急車に乗り込むのを見届けてから、私はその場を離れた。
…そんな感じだったから、あの時、クリス先生とは名乗り合わなかったし、会話もほとんどしていない。
子供を助けることに必死だったから、クリス先生をまじまじと見る余裕もなかったし…
印象には、残っていたけれど。
ちなみに、後日、ニュース記事でその子は無事だったことを知ってほっとした。
同時に、助けてくれた人魚を探している…というのも見たけれど、そこはスルーした。
感謝されたくてしたことではないし…とにかく、人魚として目立ちたくなかったから。
「…人魚の方にお会いしたのは、初めてでした。そして、その美しさに目を奪われたのも。あの時の衝撃は、さながらデメニギスを初めて見た時と…いいえ、それ以上でした。けれど、こんなに愛おしいと思うのは――なまえさんが人魚だからではなく、貴女が貴女だからですよ」
隣に座るクリス先生から、甘い言葉が紡がれる。
私を覗き込むように、長い髪をさらりと揺らし、首を傾けるクリス先生。
「最初に、その美しさと…勇敢さに。そして再会して、言葉を交わすうちに…貴女の純粋さと、何より、私と同じ視線でものを見て、私を理解してくれようとしてくれる姿に、愛しさが募っていきました」
ひゃぁぁあああ………!!!
クリス先生のまっすぐな視線とストレートな言葉に、私は溶けてしまいそうだ。
そんなこと、今まで言われたことないし!!
い、愛しさ、なんて!!
ドキドキしすぎて、変な汗かいてきた!!
めちゃくちゃ変な顔をしてそう!!ダメ、見せられない!!
「あ、ありが、とう、ゴザイマス…」
顔を両手で覆って、それだけ返すと、クリス先生は「そんな風に隠さないで。なまえさんの可愛らしい顔を見せてください」って…!
む、無理ぃぃ〜〜〜っっ!!
クリス先生のど直球な言動は、恋愛初心者の私には刺激が強すぎますぅぅぅぅ!!!!!
私は顔を隠したまま、ぶるぶると首を振った。
元々感情表現がストレートな人だとは思っていたけど…
それが自分に向かって剛速球で投げられると…私の処理能力では、追い付かないんですぅ…!
「…それと、お願いがありまして」
「な、なんでしょうか…?」
「私はもう大学を辞めますし…恋人という関係になるからには『先生』と呼ばれることには、些か抵抗があります」
それは、そう…かも。
でも、ということはその先に続くのは…
「どうか、ただ『クリス』と呼んではいただけませんか」
――ですよね…!!
そう言われても、私の今日の…なんというか、感情の乱高下による、メンタルのキャパは、とっくにもう、限界なんですが…!
……でもでも、そんな目で見られたら…頑張るしか、ないじゃないですか…!
それにクリス先生が意外に頑固なことも、私知ってる…!
「ク、クリスせ…クリス、さん」
「もう一度お願いします」
「…クリスさん」
「もう一度」
「クリスさん!」
「はい、なまえさん。貴女の古論クリスですよ」
とても嬉しそうにクリスせんせ…じゃなくて、クリスさんは、笑っている。
うう、振り回されっぱなしだ…!
そうして私たちは、ずいぶん長い間話し込んでいて…やがて、日が暮れてきた。
夕日が海を赤く染め、その先に闇を連れてくる。
そんな時。
「今度、2人で海に入りませんか」
クリスさんが、優しい声でそう言った。
クリスさんに、海に入ることを誘われたのは、初めてだ。
水族館や海を見たりには、一緒に行ったけれど…クリス先生に海に入ることを誘われたことはなかった。
きっとあのカフェでの出来事から、私が人前で人魚になることを嫌がっていると思ってくれていたのだろう。
そしてそれは事実だ。
だから私も、誘えなかった。
――でも、クリスさんなら。
今のクリスさんと、一緒なら。
「はいっ!一緒に、どこまでも泳いでいきたいです!」
人魚はたいていの物語で、幸せになれない。
…だけど。
私は、今幸せだ。
声も、足も。
何も失ってないし、手にナイフも持っていない。
泡になる不安だってない。
人魚だって、幸せになれるって教えてくれたクリスさんを、私も幸せにすることができたなら…
――ううん、絶対、してみせるんだから!!
だから、ずっとずっと隣にいさせてくださいね、クリスさん!