心配



今日は事務所が静かだなぁ。
いつも騒がしい事務所だけど、今はプロデューサーさんも、同じ事務員仲間の山村くんも、アイドルのみんなも出払っていて、バイト事務員である私1人だ。
おかげで、事務仕事が捗る捗る。

今日分は早めに終わりそうだから、明日以降で大丈夫と言われていた分も着手できるかも。
そう考えながら、黙々と作業をしていたら、事務所のドアが開いた。

「うっす」
「おはよータケルくん…って!怪我してるじゃん!」

挨拶の声に顔をあげて、声の主を見ると、その顔には痛々しい擦り傷らしきものがあった。
タケルくんってば…またか!

「別にこのくらい、気にする必要は…」
「ダメだよ!ばい菌入ったらどうするの、しかも顔じゃん!消毒するからそこ座って!」
「…この程度、舐めておけば治る」
「そんなとこ、自分で舐められないでしょ!」
「それは…」
「いいから座って座って!」
「……よろしく頼む」

タケルくんはまだ何か言いたそうだったが、強引にソファに座らせると、抵抗を諦めたようだった。
毎回嫌がられるけど…逃がしませんよ!!

「もー元気なのはいいことだけど、アイドルなんだからさー特に顔は気をつけなきゃダメだよー」
「……」
「それにみんな心配するよ。はい、しみるよー」
「っ」

顔だから、刺激の少ない消毒液使ったけど、痛かったかな。
でもちゃんと消毒しないと、跡が残ったら困るもんね。
消毒をして、ばんそうこうをぺたりと貼ったら完了だ。

「はい、おしまい」
「…サンキュ」

簡単な手当てをするのにもすっかり慣れてきたなぁ、と思いながら、救急箱を片付ける。
あ、そろそろ消毒薬を買っておいた方がいいかも…

「それにしても、どうしたらこんなに怪我するの…男の子ってそういうもの?」
「他人は知らないが。これくらい、よくある」

そうなの??それにしたって、ヤンチャすぎる気がするんだけど…
私には男兄弟がいないからなのか、事務所のメンバーには驚かされることが多い。

「うーん…しょうがないことなのかもしれないけど…もうちょっと気をつけてねー?心配だよー」

この事務所でバイトをはじめてから、なんというか…オカン度、みたいなものが上がった気がする…
やだ、老け込んじゃう…まだ花の女子大生なのに…って、こんなことを考えちゃうのがいけないのか。

……あれ、なんだかタケルくんがきょとんとしている。
え、私、今の声に出してないよね!?

「…心配、してくれるのか?」

あ、よかった、そっちね。
…きょとんとされるようなことかな?

「当たり前だよ」
「そ、そうか」
「…あれ、もしかして照れてる?」
「…照れてない」
「え?え?ほんとにー?」

調子に乗った私はタケルくんとの距離を詰めた。
顔を覗きこもうとすると、逃げられる。やだ、可愛い。

「私が心配したらダメ?」
「そういうわけじゃ…なまえさん、ち、近い…」
「え、そう?…って、うわっ!!!」
「なまえさんっ!?」

ふざけすぎて、ソファからバランスを崩した!!!
顔から床にダイブするーーー!!

「…って、あ、れ?」

痛くない。
事務所の床に、思い切り顔面をぶつけるかと思ったのに。

…代わりに、胸と腰に何やら圧迫感がある。

「大丈夫か!?」
「あ、タケルくんが支えてくれたんだね…ありがとう、助かりました」
「なんともないなら、よかった」
「うん、大丈夫…なので、そろそろ手を離してくれて、大丈夫、です」
「っ!?す、すまない!!」

状況を把握したタケルくんは、ババッ!!と音がしそうな勢いで手を離した。

――そう、圧迫感の正体は、私を支えてくれたタケルくんの手だった。
完全に私が悪いので、胸を触られたからと言って、タケルくんを責めるつもりはもちろんない。

だけど!人に胸を触られたことなんてないし!!
ううう、鼓動がおさまらない!!
ちらりと見たタケルくんの顔も真っ赤だ。

「う、ううん、こちらこそごめんね。調子に乗って、ふざけすぎました」

顔が熱いのを誤魔化すように、私は頭を下げて、タケルくんから距離をとった。
…こんなんじゃタケルくんのこと色々言えないよ。

「で、でもね!心配するのは、ほんとだからね。できるだけ、気をつけてほしいな」
「あ、ああ…気をつける。“心配する”って気持ち、今、わかったから」
「そ、そっか」

私は“心配すること”を、体を張って教える形になったようだ…は、はは。


…さっきまで、快適な静けさだったのに、今は沈黙がつらい。私が悪いんだけど!
変なこと言ってさっきの話を蒸し返すのも嫌だし!
なんて思っていたら、再び事務所のドアが開き、無遠慮な声が響いた。

「んだよ、チビとなまえしかいねーのかよ」
「オマエ、挨拶くらいしろよ」
「うっせーよチビ」
「お、おはよー漣くん」

俺様漣様の登場だ。
すぐにタケルくんと喧嘩を始めるから、普段はこの2人だけにするのは避けるんだけど…
今はちょっと席を外して、気分を変えて来よう。うん。

「休憩いってきまーす…」
「おい、オマエ。なんか食いモンよこせ」
「えっ…じゃあコンビニ行ってくるから、ちょっと待ってて」

そう返事をすると、私はそそくさと事務所を出た。
コンビニ行くくらいがちょうどいいかも。
戻ってきたら、普段通りにふるまわなきゃ…!

とは思うものの、やっぱりさっき助けられた時のことばかりが頭を占める。
弟みたいだなと思ってたけど、私を支えてくれた手は大きかったな、とか…ってああもう!!また顔に熱がぶり返してきちゃうじゃないか!!

私は悶々とした気持ちを発散させるため、コンビニへの道を思いっきり駆け出した――




Main TOPへ

サイトTOPへ