歌舞伎の名門と呼ばれる家に生まれた私。
けれど、女の私は、歌舞伎をさせてはもらえなかった。
それならばと逆に、と女にしか立てない舞台を目指したものの、私の身体的な成長はかなり早い段階で止まってしまい…
それを補うほどの才能もなかった私は、そこも諦めざるを得なかった。
打ちひしがれて自暴自棄になり、けれど家名の大きさから何をする勇気もなく、ひたすらくすぶっていた時に、私はアイドルにスカウトされた。
そして今、私は駆け出しのアイドルとして、日々を生きている――
***
今日は舞台の顔合わせだ。
共演者の中に懐かしい名前を見つけてからずっと、この日を楽しみにしてきた。
「お久しぶりです、翔真さん」
「あら、なまえちゃん久しぶり〜!元気だった?お父様たちもお変わりはない?」
「はい、みんな元気に過ごしています」
懐かしい人とは、この方、華村翔真さんだった。
以前は歌舞伎役者として、私の父や兄たちと舞台を共にしていて、私より少し先にアイドルになっていた。
私の憧れの人で、今回の舞台の主役でもある。
…なお私は、ぎりぎり名前がついているような立ち位置の役だ。
再会のあいさつをして、すぐに全体での顔合わせをし、その日はそのまま飲み会になったけれど、主役の翔真さんに話しかけることは出来ずじまいで…
稽古がはじまってからも、メインキャストだけの稽古や取材などがあり、翔真さんと直接話すことは、ほとんどできなかった。
そんな慌ただしい稽古期間のとある日。
この日もメインスタッフやキャストが取材を受けるということで、全体稽古が早めに終わった。
稽古場は開いていたので、一人で練習をしていると、翔真さんがひょっこりと戻ってきた。
「なまえちゃん、やっぱりまだ居たんだね」
「翔真さん。取材は終わったんですか?」
「もちろん、バッチリよ♪」
「そのまま飲みに行かれる予定だったのでは?」
「そうね、他の人たちは行ったわよ」
「翔真さんはいいんですか?」
「少しだけ顔は出してきたんだけど…どうしてもひっかかるところがあってサ。戻ってきちゃった」
「そうなんですね」
翔真さんが努力家なのは昔から知っているので、別段驚くことではないが…
けれど改めて、翔真さんのすごさを見せつけられた気がした。
私と翔真さんの役は、舞台上でもほとんど絡まないので、各々で稽古をした。
合間合間にちらりと翔真さんを見ると、ずっと前から知っていた真摯な姿が、変わらずにそこにあった。
これじゃ、自分の稽古にならない…そう思いつつもなんとか稽古を続けると、あっという間に時間は経った。
もうすぐ稽古場が閉まる時間だ。
稽古に夢中な翔真さんは気付いていないようなので、キリのよさそうなところを見計らって声をかけた。
「翔真さん、もうすぐここ閉まる時間ですよ」
「…あらやだ、もうそんな時間?」
翔真さんは張りつめていたものを解いて、ふぅと息をついた。
そんな些細な仕草さえ、私よりはるかに艶やかで、華がある。
…この舞台のうちに、少しでも翔真さんからいいところを盗みたい。
せめて、ひと欠片くらいは。
「そうだ、なまえちゃんはご飯まだでしょう?軽く飲みに行かない?」
「はい、ぜひ」
私の思惑を知ってか知らずか、翔真さんがご飯に誘ってくれた。
そうして、翔真さんに連れられて、おしゃれな居酒屋にやってきた。
個室に案内され、席についてふと翔真さんを見ると、視線があって微笑まれた。
本当に…色っぽいなぁ。爪の垢を煎じて飲ませていただきたい。
そして。
2人きりで会話するのは久しぶりで、ご飯を食べてお酒を飲みながら、近況報告などをしあっているうちに、いい感じに酔いもまわってきて…
軽く、なんて言っていたけど、話はつきなくて…
気付けばうっかり「ずっと翔真さんに言いたかったことがあって。自分勝手な懺悔なんですけど、聞いてくれますか?」なんて、口を滑らせてしまった。
翔真さんも「いいわよォ?」なんて優しく答えてくれるから。
私の口からは、するすると言葉が溢れた。
「私、羨ましかったんです。翔真さんだけじゃなくて…私が立てない舞台にいる人たち、みんなが羨ましかった。だから、翔真さんがアイドルになる、って言った時に…正直、恨めしくてたまらなかった。私が出来ない事を出来てるのに、って」
突然な、そしてあまりに自分勝手な話すぎて、私は視線を上げることはできない。
けれど、酔いのせいか、口は止まらなかった。
「でも、色々あって…自分もアイドルになってみて、わかったんです。舞台の真ん中に立ちたい、って言う、翔真さんの気持ち」
翔真さんが静かに聞いてくれるから。
止まらない。止められない。
私はどこまで喋ってしまう気なんだろう。自分でもよくわからなくなってきた。
「告白ついでに、もう1つ言ってしまうと…私のお婿さんになれば、その問題は解決するんじゃないかなとも思っていたんです。そしたら、私がこの家に生まれてきた意味もあった、って思えるかなって…実際のところ、直系の兄がいる以上、その価値すら、私にはなかったんですけれど」
ふふ、と自嘲気味に笑う。
あぁ、ついに言ってしまった。
私みたいなのじゃ、翔真さんに釣り合わないことはわかっているけれど…こんな私でも、家名くらいは、翔真さんにあげられるんじゃないか、と幼心に思っていたのだ。
…それを翔真さんがよしとはしないことも、わかっていたけれど。
「一方的にごめんなさい。でもずっと、言いたくて…勝手に恨んでごめんなさい。それから、アイドルという道を示してくれてありがとうございました」
そう、これが一番言いたかった、大事なこと。
翔真さんが先にアイドルになっていなかったら、私はきっと、今でもまだ家に縛られて、ぐずぐずとくすぶっていただけだろうから。
「――言わなきゃわからないのに、ほんと真面目で素直ね、なまえちゃんは」
そこでようやく、翔真さんは、苦笑いをしながら口を開いた。
「翔真さんは気付いてたんじゃないですか?」
「そんなことないわよォ。あの頃は自分のころで手一杯だったしサ」
「…そうなんですか?」
「そうよォ。だからね、なまえちゃんもそんなに気にしなさんな。それに今のなまえちゃん、すっごく輝いてるから、許してあげちゃうわ」
カラカラと笑い飛ばしてくれる翔真さん。
その言葉が嬉しくて…自分な勝手なことをしておいて、甘えすぎだな、私は。
一呼吸おいて、翔真さんはグラスに指を滑らせ、ゆったりと私を見た。
「せっかくの機会だから…アタシの告白も聞いてくれる?」
「はい、もちろん。私でお役に立てるなら」
あんな自分勝手な話を聞いてもらったのだ。
ふわふわとする頭を精一杯目覚めさせて、居ずまいを正す。
「アタシね、なまえちゃんのこと好きよ」
「あ、ありがとうございます。光栄です」
私が話した時とは違って、翔真さんはまっすぐに視線をあわせて、そう言ってくれた。
翔真さんにそんな風に言ってもらえる価値が、私にあるのかは謎だけれど…とても嬉しい。
「…イマイチ伝わってない気がするわ…そういうのじゃなくてね?」
「え?す、すみません」
どうやら反応を間違ってしまったらしい。
まだ頭が働いていないのかな。いけない、せっかく翔真さんが話してくれるんだから。
そう思って自分の頬をぺちんと叩くと、翔真さんが苦笑いした。
「こらこら、顔はアイドルの命でしょ」
「す、すみません」
「ふふ、なまえちゃんたら、さっきっから謝ってばっかりねえ」
「すみま…う…」
申し訳ない。どうしたらいいんだろう。
私が困っていると、翔真さんは手をこちらに伸ばしてきて、しなやかな指で私の指を絡め取った。
え、と視線を上げると、翔真さんの芝居中のような、熱い視線から逃れられなくなった。
「そんなところも好きだけどね」
「っ!?しょ、翔真さ…!?」
手遊びのように軽やかなのに、手遊びなんて言えない妖艶さで手を撫でられ、にっこりと微笑まれた。
ざわりと背に感じたことのない何かが走る。
心臓が、五月蝿い。
自分の心臓の音と、翔真さんの声しか聞こえない…!
「ね、アタシ、ずーっと、なまえちゃんのこと好きだったのよ。あ、もちろんなまえちゃんがみょうじ家の人間だから、っていうのは一切関係ないからね。そこは誤解しないでおいて欲しいわ」
「え…」
「まあそういうわけだから…形はどうであれ、なまえちゃんがアタシのこと見ててくれるのは嬉しいよ。さっきも稽古場で熱い視線くれちゃってサ」
「っ!」
バ、バレていた…!
ますます顔が熱くなる。言葉が出ない。どうしたらいいの。
「理由はちょっと受け入れがたいけど『私のお婿さんに』だなんて、可愛いことも言ってくれちゃうし、ねえ?…ここまで来たら、自意識過剰ってこともなさそうだ。なまえちゃんも、アタシのこと好きでいてくれてるってことよね?」
翔真さんの色気にあてられて、くらくらして、もう何がなんだかわからない。
でも気づけば、翔真さんの言葉に、こくこくと頷いていた。
すると、翔真さんは一際艶やかに微笑んで…その瞬間、こんなに綺麗な人がこんな風に笑ってくれるのなら、みょうじ家の娘“みょうじなまえ”じゃなく、“なまえ”という人間にも生まれてきた意味があったのかもしれない、と思えた。
「…その反応が見られたら、今は十分だわ。お互い駆け出しアイドルだもの…この気持ちは、2人だけの秘め事にしましょうね?」
「は、い」
「まずは、舞台を成功させましょ」
場面転換があったかのようにくるりと、翔真さんは艶やかな表情から一変、明るく笑った。
あのままだったらどうなっていたのだろう、という気持ちもあるけれど…きっと私の心臓は破裂してしまっていただろうから。
そんな想いはそっと置いておいた。
「アタシたちの恋はゆっくり、ひそやかに、ね」
そう笑うと、翔真さんは再び私の小指をとり、絡ませて…私と翔真さんは指切りを交わした――