夏の不意打ち



今日は久しぶりの休日だった。
けれど、家に引きこもって、午前中に溜まってた家事を片付け、午後は企画書を作っていたら、あっという間に時間は過ぎていき…気付けば、外はすっかり暗くなっていた。

…夕飯どうしよう。
残り物は昼に食べきっちゃったから、食べるものがほとんどないや…
近所のスーパーは、もう閉まってる時間だ。
失敗したな、外は暑いからって買い物を後回しにして、そのまま企画書に夢中になっちゃった…
しょうがない、コンビニに行くかー!

もう暗いし、コンビニはすぐそこだし、この格好のままでいいよね。
すっぴんにTシャツと短パンでコンビニ…私的にはセーフ!セーフです!
洗濯物増やしたくないし!

ぱぱっと、小さなバッグに必要なものを詰め込んで、玄関のドアを開けると、むわっとした空気に包まれる。
うー日が暮れたのに、まだまだあっつい…早く済ませて帰ってこよう。

暑さから解放されたくて、早足でコンビニに向かう。
10分くらいなものだけど、暑いものは暑いんです!

コンビニに着くと、冷気と控えめな店員さんの声が私を迎えてくれた。
はー涼しい…生き返る…

肝心のご飯はーっと…夜遅くなっちゃったから、軽めに見繕って…明日の朝のパンも買っておこう。
飲み物も買っておこうかな、ストック減ってたし…あ、新商品のドリンクだって。
おいしそう、これ買ってみよーっと。

「ッした〜」

会計を済ませ、やる気のない声と冷気に送り出され、私は再び熱気に包まれた。
あーあっついよー…

ふと視線を上げると、こんな暑い中、ジョギングしてる人を見つけた。
その人はこっちに向かって走ってくる。
暑くないのかな、すごいなぁー…って、あれは!

「硲さん!?」
「プロデューサー、奇遇だな」

数メートル前で気付いて駆け寄ると、硲さんもその場で止まってくれた。

「え、もしかして自宅から走ってきたんですか?」
「ああ、その通りだが」
「硲さんのおうちからこの辺って、結構距離ありませんか…?」

私は硲さんの担当プロデューサーなので、彼の家の場所は知っている。
電車だと数駅しか離れていないが、走るにはそこそこの距離があると思う。

「次に出演するライブの会場は広いからな。体力向上のため、普段より3割ほど距離を伸ばしている」
「な、なるほど…でも気をつけてくださいね。熱中症とか、事故とか…」

硲さんはその辺り、抜かりはないと思うけれど、プロデューサーとして、一言言わせておいて欲しい。

「そういう君こそ、問題なのではないか?」
「え」
「女性が1人で、かつ、そのような薄着で午後10時すぎに出かけるのは、問題があるように私は思うが」

…これは、藪の中の蛇をつついたやつですか。

「いや、大丈夫ですよ、うちすぐそこですし」
「そういった小さな油断が、大きな事故に繋がりかねない」
「うぅ…すみません」

怒られてしまった…
確かに遅い時間ではあるけれど、この辺りは人通りも多い。
というか、いつも帰宅時間はもっと遅いので、まだそんなに遅い時間、という意識が私にはない。
…でも、そういう気の緩みがよくないのかもしれないよね。
硲さんの言葉を素直に受け取って、気をつけよう。

「君はもう帰るのか?」
「はい、コンビニから帰るところなので」
「それでは、家まで送って行こう」
「え!?い、いいですよ、すぐそこですもん!硲さんが帰るのが遅くなっちゃう」
「“すぐそこ”なのだろう?それならば、そう時間もかからないはずだ」

う。それはそうなんだけどー…!
…こういう時の硲さんは引いてくれないことを、私は知っていた。
ここで押し問答をするより、おとなしく厚意を受け取った方が、早く済む気がする。

「それじゃ…申し訳ないですが、お言葉に甘えます…」
「ああ」


来た道を、雑談をしながら2人で歩く。
十字路に差し掛かったところで、私は硲さんの少し前に出て、硲さんに向かって振り返った。

「この角を曲がったら、私の住んでるマンションなので、もうここで…」

と、足元にコツンと何かがぶつかった。
なんか蹴っちゃった…と思ったら。

その場にジジジジジジジジジジ!!!!!!という鳴き声と、不愉快な羽音が響き渡った。

「うぎゃーーーーーーーーーっっっっ!!!!!????」

ぞわわわわと全身に鳥肌が立つ。
やだやだやだ!!!
私は飛びあがって、思わず硲さんに抱き着いてしまった。

「プロデューサー、落ち着きなさい。ただのセミだ」
「それが問題なんです!!!!わ、私、虫ダメなんですぅぅぅ…!!」
「ふむ、そうだったのか。だがもう飛んで行ったから、安心したまえ」
「ほ、ほんとですかぁ…?」

私が蹴ってしまったのはセミ。
俗に『セミファイナル』とか『セミ爆弾』とか言うやつだったらしい。
うぅぅっ…蹴ってしまったつま先が気持ち悪い。
…つま先の空いてる靴じゃなかったのが、せめてもの救いだ。
そのくらい虫が嫌いなんだから!!仕方ないじゃないか!!!!!

涙目になりながら、辺りを伺う。
…も、もういない、みたい。

ふぅと息をついて落ち着くと、硲さんに抱き着いたままだったことに気が付いた。
慌てて硲さんから離れる。ひぇぇ、恥ずかしい…!

「し、失礼しました…!」
「問題ない。しかし、君は虫がそんなにも苦手だったのだな」
「いい年してお恥ずかしいんですけど…ほんと、ダメなんです…」

だって!足がいっぱいとか!飛んでくるとか!怖すぎるじゃないか!
うううと顔を隠すと、硲さんがふっと笑った。

「君にも、可愛らしいところがあるんだな」
「へ!?どこがです!?それ褒めてます!?」
「先ほど抱き着いてきた君は、可愛らしいと思ったが」
「はいい!?」

な、なにを言うんだ、硲さんは…!
さっきも「きゃー」じゃなくて「うぎゃー」と叫んでしまった私ですよ!?

「…ていうか冷静に考えたら『君にも』ってなんですか『にも』って」
「素直な感想を述べたのだが」
「ひどい!」

私にとっては死活問題なんだから!ほんと夏はいやだー…!!
恥ずかしさと暑さと、またいつ襲ってくるかわからない虫の恐怖から逃げ出したくて、私は再び歩き出した。
…さっきのことで警戒して、身を縮めて辺りをきょろきょろ見回しながら歩いていたら、また硲さんに笑われた。くそぅ。

「それほどまでに虫が苦手で、一人暮らしをしていて支障はないのか?」

硲さんが、ふと思いついたように聞いてきた。
はっきりとは言わないが、虫嫌いの…いや、人類の天敵の、黒いアイツのことだろう。
…まぁそれ以外の虫もダメなんですけどね!!

「出来る限りの対策してるので、今のところ、アイツは大丈夫ですけど…こないだ洗濯物にテントウムシがついてた時は、死ぬかと思いました」
「…相当だな」
「えぇまぁ…ダメなものはダメなんです……」

そんな会話をしていたら、マンションに着いた。
あんな情けない姿を見せた上、わざわざ送ってもらって、そのまま帰すのは…
でもこんな時間だし、部屋に上がってもらうのもな…えっとえっと…
あ、そうだ、飲み物買ったんだった!

「送ってもらってありがとうございました。あと情けない姿見せてすみません…これ、さっき目について買ったので、味の保証はできないですけど…よかったら、水分補給にどうぞ」

そう言って、ペットボトルを手渡す。

「いいのか?君が飲むつもりだったんだろう」
「大丈夫です、飲み物は家にもありますし。硲さんが美味しいって言ったら、また買います」

笑って言うと、硲さんもふっと笑った。
別に実験台にするつもりじゃないけど、茶化さないとやっていられないので、許してほしい。

「そうか、ではありがたく受け取ろう」
「気をつけて帰ってくださいね!」
「ああ。それでは、また明日」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみ」

硲さんが見えなくなるまで見送って、私は部屋に戻った。
…はあー情けない姿を晒してしまった…
割と事務所では、耐えてきてたんだけどな…


それから、お風呂に入ってご飯を食べていると、スマホが鳴った。
メッセージアプリを開くと、硲さんからメッセージが届いた。

『ただいま帰宅した。先ほどのドリンクは美味だった。朝私が買って行くから、自分で買わないように』

ふふ、ほんと、硲さんは律義だなぁ。
そう思いながら『それはよかったです。楽しみにしてますね』とメッセージを打つ。
ランニング後のケアとかは、私より硲さんの方が詳しいだろうから、言うことはないし…と続きを考えていると再びメッセージがきた。

『それと、虫が出て困ったときは、私を呼びなさい。真夜中でも駆けつけよう』…だって。

……なにこれ、惚れちゃう。本気にしちゃいますよ?
現実問題、虫が出てきたら1分1秒が惜しい状況なわけだけれど…
それでも、超心強い。

『ありがとうございます。そんな時がきたら、遠慮なく頼りにさせていただきます!!!!!!!!』

ありったけの!をつけて、返信をする。
あとは…いや、遅くなってもいけないから、これで終わりにしておこう。

『それではおやすみなさい!』

そう打ち込むと『任せてくれ。おやすみ』と返事がきたので、私は硲さんの飾らない優しさを噛み締めながら、アプリを閉じた。




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