人魚ちゃんは恋に舞い上がる



人魚はたいていの物語で、幸せになれない。
その中でも、人魚の話で一番有名だと思われる童話の「人魚姫」は、だいっきらい。
「人魚はどんなに頑張っても無駄」だって言われてるとしか、思えなくて。
人魚姫が恋をしてあんな結末を迎えること…それは一種のトラウマのようなもので、私はずっと、恋を遠ざけてきた。

――なのに。
あの日の出来事は、私をあっという間に恋という渦に吸い込んで。
私に、先生への恋心をあっさりと自覚させてしまった。

とは言っても、恋愛経験ゼロの私は、何をしたらいいかわからなくて…
とりあえず今までと同じように、週1回クリス先生の授業に出て、たまにお茶をする関係を続けていた。
変わったのは、クリス先生に会えるときには、頑張っておしゃれをするようになったことと、クリス先生が好きな海のことにもっと興味を持つようになったこと。
特定の曜日に、気合を入れておしゃれするようになった私に気付いたお母さんは、なんだか嬉しそうだった。


◇◇◇


新しい年に変わってから、しばらく経った冬のある日。
大学はテスト期間に入ってしまうため、授業が聞けなくて寂しいな…なんて思っていた時にちょうど、クリス先生がお茶に誘ってくれた。

指定されたお店に入ると、すぐにクリス先生は私に気付き、ぱっと立ち上がって大きく手を振ってくれた。
少し恥ずかしいけれど…それ以上に、嬉しい瞬間だ。

頼んだ紅茶の暖かさにほっとしていると、クリス先生が話を切り出した。

「みょうじさんは、水族館には行かれますか?」
「あんまり行かないです、機会がなくて…」

実は…小さいころに、自分があの窮屈な水槽に入れられて、魚と同じように展示されたら、なんて想像をしてしまって以来、行ってない。
そんなこと、水族館が好きなクリス先生には言わないけど。

「もしよろしければ、今度一緒に行きませんか?色々と見ていただきたいものがあるのです!」
「は、はい、ぜひ!!!」

食い気味に返事をしてしまったけれど、クリス先生は笑ってくれた。
クリス先生と出かけられるなら、水族館だってなんだって大歓迎だ。
現金だなと自分でも思うけど…恋はなにものをも凌駕するのかもしれない!…なんて!

先生と予定をあわせてみると、奇しくもなんとその日はバレンタイン当日…!
クリス先生は、何も気にしていなそうだけど…
これは張り切らざるを得ないじゃないですか!

そして私があれこれ準備をしている間に、その日はあっという間にやってきた。


◇◇◇


髪も服も、普段クリス先生と会う時よりも、3割増しで気合を入れてきた。
今日は特別な日だし、なにより、惚れた欲目は抜きにしても、クリス先生はかっこいい。
隣にいるのに、恥ずかしくないようにしたい。
…もちろん、クリス先生に少しでも可愛いって思ってもらえたら、嬉しいし。

そうして、気合を入れすぎた結果…
待ち合わせ時間の30分も前に着いてしまったけれど、無事クリス先生と待ち合わせできた。

ドキドキしながら顔を見たら「今日のみょうじさんはコウテイペンギンのヒナのようで、とても可愛らしいですね!」と言われた。
…ど、どういう意味だろう。グレーの厚いコートに、黒いブーツだからかな…?
でもきっと、クリス先生は褒めてくれてるんだろう。うん。

「見たい展示などはありますか?」
「あの、展示じゃないんですけど…イルカのショーを生で見たことないので、見てみたいです」

子供っぽいって思われないだろうか。
でも、どうせ来たんだから、めいっぱい楽しみたいもんね!

「わかりました!それでは今日は、ショーをメインにしましょうか」
「あ、ありがとうございます!」

そういうと先生は、ショーの時間をさらさらと書きだして、より効率よく見れるようなプランをまとめてくれた。
さすがクリス先生だ…!
…あとあと、私の考え過ぎだったら恥ずかしいけど「今日“は”」って言ってくれたよね!?
次があるって期待していいのかな!?
今からそんなこと考えて、気が早すぎかな!?

「最初のショーまではあと30分ほどですから…スタジアムに向かいながら、展示を見ていきましょう」
「は、はい!」

ま、舞い上がってる場合じゃなかった!
ちゃんとクリス先生に着いていかなきゃ!

それから、展示をクリス先生の解説を聞きながら見ていると、あっという間にショーの時間になった。

「あまり前に行くと、水がかかってしまうかもしれませんから、この辺りにしましょう」
「わかりました、ありがとうございます!」

私の体質を考えた心遣いも嬉しい。
どうしよう、ふわふわしすぎて、どうにかなりそうだ…!


◇◇◇


大迫力のショーを見た興奮のままに展示を見て回って、しばらくの間は、ふわふわとしていてとても楽しかったんだけど…
私の体は正直だった。

…ちょっと、疲れてきちゃった。
楽しいけど、どうしても立ったり歩いてる時間が長いから、足が重くなってきた。

私の人間としての2本の足は貧弱で、歩き回れる時間が短い。
水族館なんだから、いっそ水槽に浸かりながらまわれた方が楽なんだけどなー…なんて思うくらいだ。

クリス先生には、だいぶ前に質問されて、あまり長く歩いたりできないことは言ってある。
ここで無理をすると、余計に迷惑かけちゃいそうだから…素直に言おう。

「クリス先生、ごめんなさい。足が疲れてきちゃって…少し休憩してもいいですか?」
「ああ…すみません、気付かずに。少し先の大水槽の前にベンチがありますから、そこに座りましょう」

クリス先生にエスコートされて、大きな水槽の前のベンチに座ると、横にクリス先生も座ってくれた。
混んでいるから、詰めて座ったことで、少し触れている腕。
そこから熱くなっていくようで、ドキドキする。

そのドキドキを悟られないように、私は水槽に目を向けた。

「大きな水槽ですね」
「はい、この水族館で一番大きい水槽です。日本でも有数の大きさなんですよ」
「へぇ…!」

視覚に集中すると、本当に海の中にいるような気持ちになる。
私は、海の中でも何もつけない状態でこんな光景を見ることができるけど、普通の人は水族館に来ないと見れないのかもしれない。
そう考えると少しは、人魚も悪くないよね、と思える。

さっきまで饒舌だったクリス先生も、黙って一緒に水槽を見ていた。
隣にいるクリス先生と目の前の水槽以外が、シャットアウトされる。
…不思議な感覚だ。



どのくらい経ったのかわからないけれど、えさやりの時間で周りが騒がしくなって、現実に引き戻された。
そのままえさやりを眺め、終わる頃には足の疲労も回復したので、続きを回ることになった。

「ここからは、クラゲのコーナーですよ」
「クラゲは、こうやって水槽越しに見れた方が安心ですよね。海で見かけたら、近づかないようにしてるから、こんな細かいところまで見れませんし」
「そうですね、このカツオノエボシやハブクラゲ、アンドンクラゲなどは死亡例もありますから、絶対に近づかないようにしてくださいね。あちらのミズクラゲも、毒は弱く、刺されている感覚はほとんどないのですが、2回以上刺されてしまうと、アナフィラキシー反応を起こす危険性がありますから」
「はーい、先生」

クリス先生に解説をしてもらいながら、展示もショーもあますことなく水族館を見て回ると、閉館時間が近づいてきた。

「あの、お土産を見たいです!」
「はい、一緒に行きましょう」

家と友達にはお菓子と…自分用にも、今日の思い出になんか欲しいな。
ショップを見て回っていると、カメの甲羅がメロンパンになってるストラップを見つけた。
か、かわいい…!
自分用のお土産、これにしよう!
色が黄色と緑、2つあるんだ…うーん、どっちにしよう。

「みょうじさん、いいものは見つかりましたか?」
「あ、えと、これ買おうかなと思ってて。色で悩んでるんですけど…」
「ほう、これは愛らしいカメですね。メロンパンとのコラボレーションですか…なるほど、こういった切り口で海を広める方法もあるのですね…」

クリス先生も割と気に入ってくれたみたい?
…あ、いいこと思いついた!
けど、引かれちゃうかな?
重いかな…ううん、せっかくなんだから、言ってみよう!

「あの…も、もしよかったら、色違いをお揃いで買いませんか…?」
「ふふ、いいですよ。今日の記念ですね」

クリス先生が快諾してくれて、私はクリス先生とお揃いのキーホルダーをゲットした…!
わー!わー!ありがとう、カメさん…!!


◇◇◇


「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ案内してもらって、ありがとうございました!すっごく楽しかったです!!」

過去の水族館トラウマはどこへやら。
今日はとっても楽しかった!

帰りは、クリス先生が車で家まで送ってくれるという。
申し訳なくて辞退しようとしたけれど「こんな遅くまで付き合わせてしまいましたから」と微笑まれては、断れなかった。

車を走らせるクリス先生は上機嫌だ。
クリス先生も、楽しめたんだったら、いいんだけど…

「そう言ってもらえて何よりです。よければ、今度はまた別の水族館へ行きませんか」
「っ!はい、ぜひお願いします!」

次のお誘いまでもらえてしまった…!
うう、生きててよかったよぅ…大げさかもしれないけど!

そして気づけば、見慣れた風景が窓の外を流れていた。
名残惜しいけれど、もう家に着いてしまう。
…これを、渡さなきゃ!
でも運転中だから、着いてからにしないとダメだよね…どうかお母さんたちが様子を見に来ませんように…!

「みょうじさんのおうちは、こちらでしたよね?」
「は、はい!!ありがとうございました!!今日は、水族館に連れて行ってもらって、帰りはこうして送ってもらっちゃって…!」
「いいえ、こちらこそありがとうございました。みょうじさんは私の話を熱心に聞いて下さるから、私もとても楽しいんですよ」

車を止め、そう言ってにっこりと笑うクリス先生の笑顔が眩しい。
…い、言わなきゃ…!

「そ、それで…あの!」
「はい、なんでしょう?」
「その、今日、バレンタインなので…普段、お世話になってるお礼に、と思って、その…!」

私はしどろもどろになりながら、クリス先生に紙袋を差し出した。

「バレンタイン…あぁ、そういえば、色々な場所でそのような装飾を見たような気がしますね。わざわざありがとうございます」
「お気に召すか、わからないんですけど…」
「みょうじさんのくださるものなら、なんでも嬉しいですよ。今開けてもよろしいですか?」
「は、はい」

クリス先生の言葉に、勘違いしそうになっちゃう…!
うぅ…ドキドキする…!

「こ、これは…!!もしや、みょうじさんの手作りですか!?」
「は、はい、いちおう…クリス先生にあげるんだったら、やっぱり海のモチーフなものがいいかなと思って…」

中身は、海の生き物の形をしたクッキーだ。
ネットで色んな形のクッキー型を探して、それでくり抜いた上に、アイシングで絵をつけたもの。
試行錯誤を繰り返し、なんとか完成した。
…ちなみに、失敗作が山ほどあるので、おやつにはしばらく困らない。

「ありがとうございます!!」
「わ!」
「あなたは本当に、私のよき理解者です!!」

興奮した様子で、クリス先生は私の手を握った。
あ、わわ…クリス先生の手、大きいし、あったかい…
私、緊張してたから…手汗とか、かいてないかな…!?

「けれど、食べてしまうのは、もったいない気もしますね…」
「あはは…たぶん、味も大丈夫だと思うので、食べてもらえると嬉しいです」
「そうですね…1つ1つ、大事に食べさせていただきます!」

こんなに喜んでもらえるなんて…嬉しいなぁ…!
せっかく型も買ったんだし、また作ろうかな。
今度はアイシングなしで、シンプルなものをたくさん作ってみるとかもいいかも…!

私はふわふわと幸せな気持ちに包まれながら、クリス先生の車を降り、先生を見送った。
そして家に入ると、猛ダッシュで自分の部屋に駆け込んだ。
…こんなに緩んだ顔、誰にも見せられない。
私は今日起こったアレコレを思い出しては、バタバタとベッドで悶えていた。
ああ、こんな日がまた過ごせたらいいなぁ…!!




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