――背中には硬い壁。
目の前には、真剣な眼差しの輝さん。
その輝さん越しに見えるのは、煌々と輝く月。
どうして、こんなことになったんだっけ――
☆★☆
今日は、輝さん1人に入った仕事に立ち会っていた。
遅くまでかかったものの、仕事の出来はばっちりだ。
アイドルの仕事に慣れてきたのも大きいけど、やっぱり社会人経験があると違うんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、私は輝さんを見ていた。
最後のチェックまでに少し間が開いたので、休憩を挟むことになった。
その間に、私用のスマホを開くと、憂鬱なメッセージが入っていた。
…今は、返信できる状態じゃない。
『今仕事中だから、また改めて連絡します』と返信を打って、私はそのまま電源を切った。
今は考えたくない。
仕事に集中しよう。
そう思って気合を入れるべく、自らの頬を叩くと、ちょうど輝さんがやってきた。
「うおっ、なにやってんだ!?」
「ご、ごめんなさい。仕事に集中するための気合入れです」
「な、なるほど…?でもちょっと強すぎだろ、赤くなってるぞ」
そう言って、輝さんは苦笑しながら私の頬をつついた。
…さすがにやりすぎたみたい。
「…なあ、あと少しで終わるみたいだし、終わったら飲みに行こうぜ!」
「いいですね、行きます!」
本当は考えなきゃいけないことがあるんだけど、それから逃げたくて。
私は輝さんの誘いに即答したのだった。
そして仕事は無事に終わり、関係者のみなさんに挨拶をして、現場を後にした。
建物を出ると、空にはまんまるのお月様が出ていた。
…満ち足りた月が、少し恨めしい。
なんて、八つ当たりにもほどがあるけど。
「プロデューサー、どっか行きたいところあるか?」
「いえ、輝さんにお任せします!輝さんのオススメのお店は、どこもいいところばっかりですし」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど…責任重大だな。うーん、今からこの辺りで飲むとなると…」
輝さんはしばし悩んだ後、目当てのお店に電話して空きを確認し、そのままタクシーを拾った。
…手際いいなぁ。
輝さんが連れてきてくれたお店は、静かなバー。
電話した時に個室も抑えていたらしく、スムーズに席に通された。
高層ビルの上階にあるお店だから、部屋から見える夜景も綺麗だ。
通された個室に、輝さんと隣り合って座る。
カップルシートのような気もするけど…まぁ2人で個室ならこうなるよね…
…と、謎の言い訳を自分にする。
最近はDRAMATIC STARSも有名になってきたから、飲みに行くのにも気を遣う。
メンバーと飲みに行くときは、個室のお店が絶対条件だ。
頼んだお酒が来ると、私と輝さんはそっと乾杯をして、お互いを労った。
「今日もお疲れ様でした」
「プロデューサーも、お疲れさん」
頼んだカクテルを喉に滑らせると、じんわりと熱くなってくる。
美味しい…さすが輝さんのオススメのお店だ。
輝さんはお酒に弱い割に、いいお店を知っている。
…相手をもてなす気遣いとかから来るのかな。
そんなことを考えると、余計な顔が浮かんできた。あーやだやだ、そのことは考えたくない。
そう思って、私は残りのカクテルを一気にあおった。
「今日はペース早くないか?」
「明日はオフですし、今日は飲んじゃおっかなって!」
「…そっか、じゃあ次なに頼む?」
私がお酒にそこそこ強いことは、輝さんも知っている。
けれど、あくまで“そこそこ”であり…飲み進めていくうちに、私の理性は緩くなって。
輝さんに「なんかあったのか」なんて聞かれたものだから、ついぽろっと…
「…彼氏に浮気されちゃいまして」
…なんて、言ってしまったのだった。
一度言ってしまったらもう止まらない。
言っちゃえ言っちゃえ!と緩んだ口が動く。
「浮気相手が、若くてふわっとした可愛い子みたいで。なんかもう、いっかなーってなっちゃって。まだちゃんと別れてないんですけど、てか何をもって別れるんですかねぇ〜?」
さっきの憂鬱なメッセージはコレの件だった。
別れ話をしたい的な感じのことが書いてあって「はい、さよーなら」でもいいけど、あいつの家に置いてある私物のこともあるしなーとか、妙に冷静になってしまう自分もいて。
でも顔合わせたら、一、二発殴らせろとも思うし。殴ったら私が傷害で捕まりますかね。
どうしたもんですかねーー。
そんなことを自嘲気味に、まとまりもなくぐだぐだと話す。
輝さんにこんなにプライベートなことを話したのは、初めてかもしれない。
「ていうかよくわかりましたねー、頑張って隠してたつもりなんですけど」
「観察眼は鋭いつもりだぜ。弁護士時代に鍛えられた…昔取った杵柄、ってやつなんだろうな。それになにより…プロデューサーのことだしな」
「うわーそんなに私わかりやすいですかねーーやだー」
そう言いながら、バシバシと輝さん叩く。
自分のことながら、相当ウザい酔っ払いだろう。でも、輝さんは静かに聞いてくれた。
なんか…ほんと、申し訳ない。
「ってこんな面白くもない話をだらだらしてすみません〜〜〜でも話したら、スッキリしちゃいましたぁ」
うふふ、と笑って誤魔化す。
…実はぐだぐだと長いこと話してるうちに、酔いが落ちつきはじめてきていて、代わりに圧倒的申し訳なさが押し寄せてきている。
このお店のお代は私が払おう。
そうじゃなきゃ、仕事終わりに酔っ払いにプライベートな愚痴を聞かせられた輝さんが可哀想すぎる。
…そもそも、私の方がいっぱい飲んでるし。
「いやーほんと、すみません、あはは。あれ、輝さんグラス空じゃないですか。次何頼みます?」なんて、無理やり空気を変えようとするも、それは輝さんに阻止された。
「なあ…俺じゃ、ダメか」
「え…なにがです??」
輝さんの言わんとすることが、すぐにはわからなくて。
でも輝さんの真摯な瞳に射抜かれて、酔いが一気に醒めた。
その、言葉は…
「出会った時から、プロデューサーは指輪してただろ。はじめはこういう業界だし、変な男除けのためかなとも思ったけど…ちゃんと彼氏が居たし、順調そうだったから、何も言えなかった」
「え、え…?」
そう言われて思わず、自分のしている指輪に触れる。
…もうとっちゃってもいいはずのものなのに、ついクセでつけっぱなしだったっけ…
そんなことをぼんやり思った。
「…プロデューサーが幸せなら、黙っていようと思ってた。けど…プロデューサーがそんな目に遭ってるなら、俺が奪う。いいだろ?――なまえ」
初めて聞く声音で名前を呼ばれ、ぞくりと体にナニカが走る。
そして気付けば、輝さんに距離を詰められていて、私は思わずあとずさった。
それでも輝さんはさらに近づいてきて、私は壁際に追い詰められる形となった。
…何が起きてるんだろう。
お酒のせいなのか、この状況のせいなのか、頭がぐるぐるして、心臓がばくばくする。
どうしよう、なんでこんなことに。
「て、輝さん…?」
冗談はやめてくださいよ、なんて状況じゃ、なかった。
輝さんの真っ直ぐな視線に耐えきれなくて、ぎゅっと握っていた自分の手に視線を彷徨わせる。
「そ、その…あ…」
返す言葉が出てこない。どうしようどうしよう。
私が困惑していると、輝さんは握っていた私の両手を解き、右手をするりと取った。
それに気を取られ、視線を上げると、私は再び輝さんの視線に絡め取られた。
…目を、離せない。
「これ、外してもいいか」
指輪に触れて、輝さんが尋ねてきた。
ようするに…この金属は、私の未練…なんだろう。
心は離れた、もう終わりだ、なんて思っていたけど、外せなかったそれ。
――この場に流されていいんだろうか。
良いわけないだろう、とプロデューサーの私が言う。
良いじゃん、流されちゃいなよ、と女の私が言う。
…外してしまえば、きっと戻れない。
ただのアイドルとプロデューサーでは、いられなくなる。
………だけど。
「私、は…」
震える声で紡いだ言葉に、輝さんはその瞳を月よりも妖しく光らせた――