※葛之葉一族の設定捏造あり。
許嫁が修羅のようだと、一族から突然連絡が入った。
…どういうことなのか全くわからないが、とにかく一度顔を合わせた方がよさそうだ。
そう判断した雨彦は、ちょうど次の日がオフだったこともあり、仕事を早めに切り上げて、地元に戻った。
許嫁であるなまえの家にまっすぐ向かうと、ちょうど仕事から帰ってきたらしいなまえと鉢合わせた。
芯までは達していないものの、なまえの表面を覆う“汚れ”。
そして、鈍い色をした瞳。
一目見て、なまえの様子がおかしいことがわかるほどだ。
そのなまえは、雨彦に気付くと驚きで目を見張り…泣きそうに表情を歪めたかと思うと、雨彦から逃げるように家に飛び込んで行った。
「おい…!」
葛之葉の一族の女らしく、気の強いところがあり、いつも凛とした姿でいたなまえの、あんな姿を見たことがなかった。
今にも汚れに飲みこまれてしまいそうな、脆さを感じるなんて、初めての事だ。
急いで後を追おうとすると、仕事に同行していたらしいなまえの父親が声をかけてきた。
「…雨彦くん」
「あ…ああ、申し訳ありません。ご挨拶が遅れました」
「いや…なまえの様子を見に来てくれたんだね。ありがとう」
「なまえは、いったい…」
「……私から、言える事ではないんだ。あの子から…あの子の叫びを、聞いてやってほしい」
「………はい」
苦しそうな表情を浮かべたなまえの父親に案内され、雨彦はなまえの部屋までやってきた。
…以前は、母屋に部屋があったはずだが、今は離れを使っているらしい。
この離れも、少し淀んで見える。
案内してくれたなまえの父親は「なまえをよろしく頼みます」と雨彦に頭を下げ、母屋に戻って行った。
とにかく、話をしてみない事には状況がわからない。
深呼吸をしてから「入るぞ」と一言告げ、雨彦が部屋に入ると、暗い殺風景な部屋の片隅でなまえは座り込んでいた。
その様子に一瞬動揺をしたものの、平静を装いながら雨彦は膝をついて、なまえの汚れを払ってやった。
なまえは俯いて、されるがままでいた。
ようやく汚れを払い終えて「久しぶりだな」と声をかけると、なまえは少しだけ光を戻した瞳で、雨彦を見上げた。
「…もう、雨彦兄さんにバレちゃったんだ」
許嫁ではあるものの、幼い頃からの付き合いで、10近く年が離れているため、なまえは雨彦のことを「雨彦兄さん」と呼んでいた。
そして呼び方を変えるタイミングも無いまま、今まで来ていた。
「バレる…何がだ?」
「…どこまで聞いてるの?」
「お前さんの様子が、おかしいとしか聞いていないが」
「それだけで…帰ってきてくれたんだ。ごめんね、手間を取らせて…」
「いや、それは構わないが…何かあったのか?」
雨彦はできるだけ柔らかく問いかけたつもりだったが、なまえはその言葉にぐっと身を寄せた。
「雨彦兄さんに、関係ないことだったら…よかったんだけど…すごく、すごく、迷惑、かけちゃう…」
「迷惑?…お前さんにかけられる迷惑なんて、可愛いもんだけどな」
表情を歪めるなまえを落ち着かせようと、出来るだけ言葉を選んで返す。
しかし、なまえはふるふると首を振った。
そして胸元でぎゅっと手を握りしめ、絞り出すように、話し始めた。
「………ちょっと…身体がおかしいな、って思うことがあって。穢れのせいじゃなさそうだったから…病院に、行ったんだけど……そうしたら、色々な検査をされて…」
胸元にあったなまえの手が、お腹へと下がる。
「私………子供を、産むのが……とっても難しい身体、なんだって。妊娠ができたら、奇跡だって」
その告白に、雨彦は細い目を大きく見開いた。
雨彦の反応に、なまえは自嘲気味に笑う。
「知ってた?もう、私と雨彦兄さんの婚約を解消して、妹とし直すって話まで、出てるんだよ」
「そんな勝手な…」
「一族の血を残せない人間に、価値なんてないのかな。私、居場所がなくなっちゃう。雨彦兄さんも、私の許嫁じゃ、なくなっちゃう。私、もういらない人間なのかな?仕事は頑張るよ。誰よりいっぱい、働いてみせるよ。だけど、それだけじゃあダメなのかなあ…」
壊れたように言葉を続けるなまえを、雨彦は力任せに抱き寄せた。
「どうしようどうしよう。婚約解消されちゃったら、こうやって、雨彦兄さんを頼るのも、いけないのかな」
なおも言葉を続けるなまえの小さな背を、雨彦はなだめる様に撫でた。
今は、なまえの内側に溜まった汚れを少しでも吐き出させたい。
そう思った雨彦は、ぐちゃぐちゃなまま吐き出されるなまえの言葉を、ただ受け入れた。
「でも、我儘言ったら、いけないのも知ってるよ。雨彦兄さんの力は、一族のために必要で。雨彦兄さんの血は、残さなきゃいけないものなの。だから私と結婚したんじゃ、ダメなの」
「…ダメじゃないさ」
「仕事を頑張れば、婚約解消もなくなるかなって思って、頑張ったら、今度はやりすぎだって、怒られて…もう、私どうしたらいいのか、わからないよ…」
『修羅のようだ』というのはここから来ていたらしい。
…居場所を守らんがための、がむしゃらな行為。
それすら咎められて、なまえは追い詰められていたのだ。
「私には、この家しかないのに…一族の中では力が強いって言われてて、天狗になっちゃってたのかな。その罰なのかな」
「そんなことないさ」
なまえは能力が高いことはもちろんだが、努力も怠らず、自分を律してきていた。
そんななまえに、罰なんて落ちるわけがない、と雨彦は宥める。
「嫌だよ、雨彦兄さんの子供を産めなくても、雨彦兄さんの隣に居させてほしい。兄さんのお嫁さんになりたい」
「…俺みたいのと一緒になりたいなんていう酔狂なやつはお前さんだけさ。安心しろ」
ぼろぼろと流れていくなまえの涙をぬぐい、雨彦は続けた。
「婚約は解消させない。大丈夫だ。それに、なにも世界は“葛之葉”の中だけじゃない。“葛之葉”でなくても、生きていくすべはいくらだってある。俺がここから連れ出してやるさ。なに、『アイドル葛之葉雨彦』も最近じゃ、ちょっとしたもんなんだぜ?そっちの稼ぎだけでも、お前さんのことくらい養ってやれるさ」
「“葛之葉”の…外の、世界…」
「ああ」
なまえは幼いころから、一族としての能力が高く、将来を有望視されていた。
それだけに、その世界は狭く、責任感も強かったため、思い詰めてしまったらしい。
『葛之葉の名と血を守るのは女たち』
そのしきたりが、なまえを苦しめていた。
雨彦がアイドルになりたいと相談した時『家を守るのは、女の仕事なんだから、大丈夫だよ。それに、雨彦兄さんの力は、きっともっと大きなものだから、掃除だけなんて、もったいないもん』と背中を押してくれたなまえ。
そんななまえにも、もっと広い世界を知ってもらいたい。
ずっと前から、雨彦はそう思っていたのだ。
「…私がそこに、一緒に行ってもいいの?」
「あたりまえだ。お前さんは、俺の婚約者なんだからな」
「…ありが、とう」
「……むしろ、お前さんは、俺が夫でいいのか?」
「雨彦兄さん以外は考えられないよ…!」
なまえの事は、生まれた時から知っていて、自分の許嫁と決められても、年齢差のせいでずっと現実味がなかった。
なまえのことを人間的に好ましく思っていたとは言え、それが妹分に対するものなのか、異性に対するものなのか、と問われれば、確実に前者だと言いきれただろう。
しかし、なまえにとってはそうではなかったらしい。
こんな風になるまで、思い詰めて、傷ついて。
その気持ちに向きやってやりたいと…なまえを支え、共に歩みたいと、雨彦は初めて、心の底から思った。
「はは、そうか…それじゃあ、頭の固い年寄り連中を黙らせる、とっておきの方法が1つある」
「え?」
「お前さんの覚悟次第、ってことになるが…」
「覚悟なんて!とっくにできてるよ!!」
「…はは。そうだな、嫁になる覚悟、ならできてるかもしれないが」
悪戯っぽく話していた雨彦の目つきが変わり、そっとなまえの顎を持ち上げる。
「その身も、俺のものになる…って覚悟はあるかい?」
「えっ…」
その言葉の意味を図りかねて、なまえが困惑すると、雨彦は、ふっと笑った。
「手を出しちまえば、婚約解消なんて言われないだろうさ。古い考えの連中だからな」
「…いいの?」
「それはこっちのセリフなんだがな」
「私、赤ちゃん産めないんだよ…?」
「そこは俺にとって、大した問題じゃないんでね。それにまあ…奇跡ってのは、起こすためにあるもんだ。可能性は限りなく0に近かったとしても、0だとは言われなかったんだろう?」
「それは…そこまで断言は、されなかった、けど……」
「だったら…孕むまでやってみればいいんじゃないか?」
「っっ!?」
「はは、今のところそれは冗談…のつもりだが。さて、どうする?やめるなら今のうちだぞ」
最後通告だ、と言うような雨彦の言葉と視線に、真っ赤になったなまえは、きょろきょろと視線を泳がせた後…覚悟を決めたように、雨彦にすり寄った。
「…いいんだな?」
恥ずかしさで顔を見ることを出来ないまま、雨彦のその言葉に、なまえはコクリと頷いた――