私のクラスにいる衛宮士郎は、ドが付くほどのお人好しだ。「穂群原のブラウニー」、「偽用務員」、「ばかスパナ」なんて二つ名がつくくらい、他人からの頼まれ事をけして断らない。例えば、誰かから「頼みがある」と言われれば、その内容を知る前に「いいよ」と答えてしまう、そんな男なのだ。普段から、生徒会長にくっついて、壊れかけたストーブを修理したり、立て付けの悪くなっていた扉の点検、各部活動の備品の修理や補充などなど、彼が入学してから行ってきた数々の「人助け」は枚挙に暇がない。誰かに苛められて、無理やりやらせられているわけではない。その行為のどれもが、彼自身が選びとって行ってきたものだ。いったい、なにがそこまで衛宮士郎を掻き立てているのか、ただのクラスメイトである私はしらない。特別、知りたいとも思わないけれど、それでも彼の在り方に疑問を抱いてしまう。矛盾している。それは、自分でも、よくわかっていた。
 衛宮士郎は、どこにでもいる普通の男子高生だ。それは間違いない。ものすごく頭が良いわけでも、ものすごくイケメンというわけでもなく。昔所属していたという弓道部では活躍していたと聞いたことがあるが、それに執着していたわけでもなく、今は辞めてしまったらしい。私の目に映る衛宮士郎という少年は、どこまでも普通の少年なのだ。それなのに、当然のように、断ることなく頼まれた事を引き受ける彼の人助けは、どこか歪に見えてしまう。だから、きっと、今もこうして、日直の仕事を私のペアの代わりに請け負った彼の後ろ姿に、魚の小骨みたいな疑問を、抱いてしまうのだろう。

「ミョウジ、終わったか?」

 黒板を綺麗に消し終えた衛宮が問いかける。そこで、まだ埋め終わっていない日誌の存在を思い出した。机の上に広げたそれは、広げた時からちっとも変わっていない。右手に持ったシャープペンシルも、その役目を果たしてはいない。

「ごめん、もう少しかかる」

 貴方のことを考えてたからまだ終わってません、なんて当然言えるはずもなく。謝罪と共に、わたしはようやくペンを動かし始めた。

「了解。なら俺は花瓶の水、替えてくるよ」

 そういって、衛宮は大学とかの進路資料が入った棚の上にある、誰が生けてくれているのかもわからない花が差し込まれた陶器の花瓶を手に取ると、教室を出ていった。それを見送ってふ、と息を吐く。律儀な男だ。花瓶の水を替えるのは、日直の仕事ではないし、それに、どうせあとはこの日誌を埋めるだけなのだから、自分の分の仕事が終わったのだから、帰ってしまっても構わないというのに。衛宮には、日直の仕事は二人でこなすもので、自分だけが先に帰るという思考が抑ないのだろう。らしい、と言ってしまえば、それまでなのだけど。
 カリカリカリ。今日の授業の内容や、欠席者などを記入していく。残るは、今日の出来事という、何を書けばいいのかよくわからない空欄のみだ。他の先生がどうかは知らないけれど、藤村先生はここの欄をきちんと埋めないと怒る。そうして、もう一日、日直の仕事をさせてくるから、みんなこの欄もきっちりと埋める。なんでも藤村先生は、この欄をみて、一言返すのがとても好きなのだそうだ。さて、何を書こう。そう思案している間に、衛宮が教室に戻ってきた。衛宮は花瓶を元の場所に戻すと、私の机の前の席に座って、身体をこちらに向けて日誌を覗きこんだ。

「ミョウジ、字うまいな」
「そうでもないと思うけど」
「そうか?……あとは今日の出来事だけか?」
「うん」
「藤ねぇ、ここ書かないと五月蝿いもんな……」

 藤ねぇ、と藤村先生を呼ぶ衛宮の声は、とても親しみのこめられた、そんな響きだった。以前、授業中に、衛宮が藤村先生をそう呼んで、藤村先生の癇癪が爆発して授業にならなかったときのことを思い出す。あの時の藤村先生は、なんていうか、手の付けられない虎のようだった。

「衛宮」
「ん、なんだ?」
「あんまり見られてると、その、書きにくい」
「! わ、悪い……」
「謝らなくてもいいけど……。
……あと、ここ書くだけだし、衛宮先に帰りなよ」

 西日が、窓を通して教室に射し込む。冬将軍も間近に迫った今日この頃、日も随分と短くなった。一年の終わりも、もうすぐ訪れようとしていた。

「いや、終わるまで待ってる」
「別にいいのに……。そもそも、衛宮日直じゃなかったんだし、気にしなくていいよ」
「オレは待ちたいから、待っているんだ。ミョウジこそ、気にしなくていいんだよ」

 ━━本当に、このお人好しはどうしようもない。けして折れない、真っ直ぐな釘のようだ。彼の言葉は真っ直ぐだ。その心根と同じくらいに。

『衛宮君が仕事を手伝ってくれたので、たすかりました。』

 それだけ殴り書いて、日誌を閉じた。あとは職員室に提出するだけだ。もし、また日直の仕事が回ってきたら、今度は本来のペアである男子に全て押し付けてやる。そう、心に誓った。

「お、終わったのか? なら、帰るか。ミョウジの家って何処だ?」
「へ? え、新都の方だけど……」
「ん。じゃあ、はやくそれ出してこよう。日も傾いてきたしな」
「……一緒に帰るの?」
「? ああ、最近は暗くなるのもはやいし、女の子一人じゃ、危ないだろ」

 さも当たり前のように、恥ずかしげもなく、衛宮はそう口にした。そうだ、この男にとっては、それは当然のことなんだ。なのに、ああ、もう、やられた。完全に理解の範疇を越えられた。キャパオーバー。向こうは全く意識していったことではないのに、なんで、こう、私の心臓は高鳴っているんだ。
 ずるい。心の中で悪態をつく。教室の扉を抜けた衛宮士郎をみる。たぶん、きっと、彼は、自分の幸せのためには動かない。なのに、その優しさを惜し気もなく振り撒くのだ。そんなの、ずるい以外、なんて言えばいいのかわからない。
 ずるい。今度は小さく口に出した。先をいく衛宮には、きっと届かない。それでいい、そうでなくてはいけない。
 そうして私は、その背中を追いかけた。これ以上、あのお人好しを待たせるわけにはいかないから。



title … 夜半さまより


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