ひゅう、と冷たい北風が足元をすり抜ける。すり抜けた風が、黒く重たい冬用のスカートをふわりと押し上げた。靴下にも、スカートにも覆われていない肌色が、その冷たさに悲鳴を上げる。
 ぶるりと身体を震わしながら、そろそろタイツの出番だろうかとタンスの奥に仕舞った黒いそれを思い浮かべた。穴が空いていないか、確認してみないと履きたくても履けやしない。
 冬はもう、すぐ傍までやって来ていた。我が家でもとうとう寒さに耐えきれず、人をダメにすることで名高いこたつを設置してしまったし、学校の古い石油ストーブもこの間、ようやく点火と相成ったのだ。こうなってくると、ますます外に居るのがつらくなる。それは、何もわたしだけの話ではなくて、家族の健康を支える偉大なる母上も例外ではない。その為、専業主婦の母とは違い、学校の登下校でどうやったって外の世界にいくことを余儀なくされるわたしに、食材調達の任務が任されるのは必然的だった。我が家のヒエラルキートップに君臨する母の命を聞かないわけにはいかないのだ。
 自宅近くの商店街であるマウント深山で買い集めた食材たちを両手に、緩やかな坂道を息を乱しながら登っていく。いくら緩やかといっても、坂道だ。運動部でもなく、むしろ運動不足を普段から咎められているわたしみたいな人間には、重たい食材を持って歩くのは、結構きつい。一旦荷物を置いてから、道路端によって座り込んで休息を取る。帰宅ラッシュにはまだ少し早いこの時間帯の深山町は、まさに閑静な住宅街で、人の気配自体、感じられない。だから、こんな風に地面に座り込んだって、咎める人もいない。

「ナマエ?」

 そう、思っていたのだけど。

「アーチャーさん」

 お日さまを背にして、こちらを見下ろすアーチャーさんの目は、こんなところで何をしているんだという問いを含んでいた。「休憩ちゅー、です」と答えれば、「買い物帰りか」と返ってくる。それに頷いて、アーチャーさんもですね、と彼の片腕で抱えられた袋をみてまた返した。
 アーチャーさんは丘の上にある遠坂さんちで、なんでも執事めいたことをやっているお人らしい。なんでそんな人と知り合いなのか、というと、古い友人である士郎くんの家でたこ焼きパーティーをしたときに、足りなくなった食材を凛ちゃんに頼まれて持ってきてくれたのがアーチャーさんだったからだ。セイバーちゃんといいライダーさんといい、士郎くんの周りには、不思議なお名前の外国人が多いなぁ。それはともかく、アーチャーさんが焼いてくれたたこ焼きは、士郎くんがつくったたこ焼きと同じくらい美味しかった。

「随分買い込んでいるな」
「えへへ、お恥ずかしい。
最近寒いので、お母さん買い物いきたがらないんですよ」

 買い物の回数が減れば、自然と一度に買う量は増えてくる。こんなこと、誰かに話したなんてお母さんに知られたら、きっと怒られちゃうに違いない。世間体というものは、とても大切なのだ。でも、アーチャーさんはおしゃべり大好きな近所のご婦人方ではないので、きっと大丈夫だろう。
 ひゅう。また一際強く風が吹く。日もすっかり短くなった今日この頃、いつまでも座ったままではいられないので、よっこらせと、重たい腰を持ち上げた。ぱんぱんとスカートについた土埃を叩いて落とす。それから、地面に置き去りにした買い物袋に手を伸ばした。……伸ばしたのだけれど。わたしの右手が持ち手を掴むより早く、アーチャーさんの左手が、それを持ち上げていた。

「……アーチャーさん、」
「どうした? 帰るのだろう?」

 帰る。帰るのだけど。こう、スマートに行動されると、こういうことに慣れていないわたしは、どうしていいのかわからない。きっと、わたしは今間抜けな顔をしている。
 ぐ、とアーチャーさんの左手に手を伸ばしてみるけれど、ひょいとかわされてわたしの手の届かないところまで連れていかれてしまう。アーチャーさんはとっても身長が高いから、わたしでは、とてもじゃないが追い付けない。じろりと顔を見上げれば、やれやれと困った顔をしたアーチャーさんと目が合った。

「どうせ通り道だ。気にしなくていい」

 そう言って、アーチャーさんはわたしに背を向けて一人で先に行ってしまう。あれ、アーチャーさんにうちの場所、教えたっけな。確かに彼がいった通り、我が家は遠坂邸に続く坂の途中にあるのだけれど。なんて疑問に思いつつ、彼の逞しい背中を追いかけた。あっという間にその距離は縮まって、アーチャーさんの隣を歩くことになる。ちらりと横目で窺うけれど、アーチャーさんは、自分の荷物とわたしの荷物を持っているというのに、ちっとも疲れた様子を見せない。さっきまで、ひーひーいってた自分が馬鹿みたいだ。……わたしも身体、鍛えてみようかな。なんて。彼の服の上からでもわかる筋肉をみて思った。

「アーチャーさんも、商店街でお買い物だったんですか?」
「ああ。夕食の買い出しにな」

 その言葉で、この間のたこ焼きパーティーの時の事を思い出した。それまで、わたしは士郎くんの料理が世界で一番美味しいと思っていたのだけど、アーチャーさんの作ってくれたたこ焼きも、勝るとも劣らず、とっても美味しかった。アーチャーさんの抱えた買い物袋にいったいどんな食材が入っているかは分からないけれど、彼ほど料理上手な人に調理してもらえる食材たちは、きっと幸せだろう。そして、彼の料理を食べられる人間は、それ以上に幸せだ。それを熱く伝えれば、「ふむ。そう言ってもらえると、私としても嬉しい」と返ってくる。どうにも信じてもらえていないような口振りだったので、「本当に、本当にそう思ってますよ」と念を押せば、くすくす笑いと共に、「なら、今度うちに食べにくるといい」というなんとも魅力的なお誘いが降ってきた。

「え! いいんですか!」
「ああ。凛には私から話を通しておこう」

 そんな風に他愛もない話を繰り返しながら、緩やかな坂道を登っていく。学校の事、友達の事、家族の事。アーチャーさんは、どんな話にも嫌がらずに聞いてくれるので、わたしのおしゃべりな口は休むことを知らなかった。楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまうもので、いつの間にか、わたしの家まであと数メートルという距離まで近づいていた。
 「ありがとうございました」といって、荷物を受け取った。結局、最後までアーチャーさんは、荷物を運んでくれた。おかげでわたしは、ちっとも苦労することなく、おつかいの任を果たしたのである。おまけに今度ご飯をごちそうしてもらう約束まで取り付けて、アーチャーさんには本当に感謝してもしきれない。今度会ったらお礼をしよう。美味しい紅茶に、美味しいブルーベリーの乗ったケーキがあるお店で、お茶をごちそうするのもいいかもしれない。去り行く後ろ姿を眺めながら、そんなことを思案した。


title ... さよならの惑星


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