肉は焼いても食われるな


 ゴオッと燃えて弾ける炭火の音と、じゅうじゅうと焼ける肉の音を聞く。目の前にはトングを片手に、肉ではなく、私をまっすぐ見ている同期。
 史上最高に最悪な気分だった。

 同期の二宮はスカした顔のくせして『好きな食べ物・焼肉』という肉将軍なので、ご飯行こうぜってなると焼肉に行くのが私たちのいつものパターンだった。肉を焼くのは決まって二宮で、彼は焼き加減とかひっくり返すタイミングに変なこだわりがあるらしい。余計なことをしないようにしていたら、勝手に皿に完璧な塩梅で焼かれた肉がのせられていくので、これはこれで楽に食事ができるので悪くはない。
 でも、今日は。網の前で何もせずに座っているだけなのが、とんでもなく苦痛だった。

 先日、やらかしてしまった。
 いつものように焼肉をしていたら、いつの間にか二宮はジンジャエールのグラスをシャンディガフに変えていた。私も酔いすぎていて、なぜ、どうして、そうなってしまったのか、あまり記憶がない。
 目を覚ますと、ラブホテルのベッドで仲良く寝ていた。寝ている二宮はいつもの気難しそうな表情が消えていて、セットされていない髪の毛は普段よりも幼く見えて、一瞬誰かわからず叫びそうになった。
 お互い何も身につけておらず、なんだか体の節々は痛いし、なにより胸元につけられたたくさんのキスマークが決定打だった。二宮ってこういうのつけるタイプなんだ……と鏡の前で痛々しい鬱血痕に少しひいた。まだ胸元で良かった。これが首とかだったら、コンシーラーを駆使してもきっと隠しきれない。でも襟ぐりが広い服はしばらく着れなさそうだ。
 シャワーを浴びずに、ベッド周りにとっ散らかっていた服をかき集め、まだ寝ている二宮を横目に枕元に一万円札を置いて、私は一人ラブホテルから逃げ帰った。だって朝から防衛任務があったし。たぶん、これは事故だ。私、悪くない。
 それがつい一週間前のことだ。
 メールも着信も無視した。メールに関しては開いてもいないので、未開封の数を知らせるマークがすごいことになっているが、開封しないように気をつけながら目を逸らす。二宮がよくいるところには寄りつかず、チクられたくないので二宮隊の犬飼くんと辻くんと氷見ちゃんからも逃げた。
 事故だと思って記憶から消そうと努めていたのに、本部の廊下を歩いていたら急に野生の二宮が現れた。私を見る目はあきらかに苛立ちを含んだ戦闘モードで、これはやばいと本能が訴えている。
 逃げようとしたら反対側には道を塞ぐようにしている犬飼くんと氷見ちゃん。辻くんはその後ろでモジモジしている。逃げ道無し。二宮に引摺られるかのように連行されていく私へ、高校生三人組はトラックで運ばれていく牛を見送るかのように手を振っていた。出荷じゃないし。
 私がかわいい後輩たちを無理矢理押しのけることができないことを完全に利用している。
 おのれ二宮、謀ったな!
 連れて行かれたのはいつも行く寿寿苑ではなく、全個室の少しお高い焼肉屋だった。そして二宮はよく私が頼むメニューを注文し、肉を焼き始めた。
 そうして冒頭に戻る。

「あ、あのう」
「なんだ」
「……なんでもないです」

 怒ってる。絶対怒ってる。
 二宮は時折視線を網の上の肉に移し、汗をかきはじめた肉の食べ頃を計っている。それ以外はじっと私を見ていた。
 間がもたないから何回もドリンクに口付けてしまうせいで、私はもうジョッキの半分以上を飲んでいた。今日は失敗できないから烏龍茶にしたものの、素面だとこの空気に耐えられそうにない。少しくらい酒を入れた方が気が解れるかもしれない……いやダメでしょ。失態を思い出せ。
 ジョッキの底が見え始めた頃、二宮は少しばかりピンク色が残った肉を私の皿にのせ、

「多忙なのはわかるが、電話の一つくらい出ろ」

 と、予想外の言葉を放った。
 本部で見たあの怒りの形相は、どうやら私の音信不通からきたものらしい。真実は私の全無視なのだけれど、二宮は私が忙しすぎて連絡がつかないと思っているようだった。

「連絡がつかなかったから体調を崩しているのかと思ったが、元気そうだな」
「あ、うん……」
「体は大丈夫か」
「うん……?」

 なんだろう、この気遣い。
 風邪ひいたって言っても、馬鹿は風邪をひかないと嫌味を言う二宮が。レポートが終わらないって泣きついても、鼻で笑うだけの二宮が。ランク戦負けたって言ったら、説教の如くダメ出しばっかりしてくる二宮が。
 私のことを心配している。
 心なしか、いつもよりも二宮の顔つきは柔らかく見える。声のトーンも穏やかで、気難しそうな顔はなりを潜めているように感じた。なんだ、この変な空気。飲み物を確認するが、二宮はジンジャーエールだし、私は烏龍茶でノンアルだ。
 二宮から漂う甘ったるいムードの気配を察知して、私は気づいてしまった。

 ――こいつ、一回ヤっただけで、自分のこと彼氏だと思ってる。

 だから個室のいいとこの焼肉屋だったんだ。てっきり逃亡できないように個室にしたんだと思った。これ、デートなんだ。

 ――じゃあ今の私って二宮の彼女ってこと?
 ないっしょ。ないない。

 どうにかして誤解を解かなきゃ、という私の心中を知らずか二宮は甲斐甲斐しく

「これも食べろ」
「うまいか」
「野菜もいるか」
「ドリンク頼むか」

 と聞いてくれる。意外にも彼女には甘くなるタイプ。あんまり知らなくてもいい情報を身をもって体験している。
 しかしこういう話ははやく方をつけるのに限る。私はさっさと切り出すことにした。

「つかぬことを伺いますが、私先週すっごく、すごおく、酔ってたみたいで、記憶があまりないというか……何があったか教えてもらってもいい?」
「…………覚えてないのか」

 二宮はトングを操る手を止めた。信じられない。まさか。みたいな顔で私を見るので、私が悪いことしたみたいに思えてきてしまった。

「や、少しくらいは……断片的にだけど……」

 嘘をつく訳にもいかないけれど、気づいたらラブホで寝てましたなんて空気の読めない出来事を言い出せる雰囲気でもない。
 二宮は何かを伝える時、回りくどい言い方をせずズバッと少ない言葉で的確に伝えてくる人だが(それがたまに言葉足らずだとか冷たいとか言われているけれど)、私の苦し紛れの答えに、今回は言葉を選ぼうとしているようだった。

「言っておくが、先に言い出したのはお前だ」

 そう前置きした二宮は、あの夜の帰り道でのことを話し始めた。彼の説明を聞きながら、私の脳みそは故障したパソコンがデータを修復するかのように、ようやくその時の会話を回想する。


 まっすぐ歩けているかはわからないけれど、地面を踏んでいる感覚はある帰り道。
 アルコールでふわふわとした思考回路は、食欲は満たされているのに、どうしてだか物足りなさを感じてしまった。そのせいなのか、普段なら制御できるはずの言わなくてもいいことが、つい、ぽろりと口から転がった。

「焼肉って、なんかムラッとこない?」
「頭でも打ったか」
「肉の脂がついた唇ってテカテカしてるじゃん。つい舐めたくなるの。わかる?」
「知るか。カルビ食えば皆そうなる」
「そんで二宮が口を大きく開けて、肉乗せたお米を一口で食べるのもムラッとする。二宮、食べ方綺麗なのに焼肉の時だけワイルドだから」
「…………」
「じゃあ二宮はムラムラしないんだ」
「……そうとは言ってない」
「お? じゃあ、ちゅーしてみる?」

 鼻で笑うか軽蔑した目で見てくるか。もしくは、馬鹿か、と言われるだろうという予想は、まさかの大外れだった。
 二宮とのキスはアルコールとネギとニンニクの味がして。返事の代わりにされたがっつくようなキスに、潔癖そうに見えるけれど、こいつも人間らしいところあるんだ、と目を瞑った。


 ――ああ、そうだ。思い出した。
 あの夜、酔っ払って変なことを口走ったのは、私だ。私が余計なことを言って二宮を焚きつけて、アルコールで酔って気が大きくなった二宮と二人でラブホテルなんかに入ってしまったのだ。
 悪いの、私じゃん。酒の恐ろしさと自分の失態にショックを受ける。

「責任はとる」
「別に取らなくていいよ」

 あ、肉、焦げてる。
 二宮は話に集中しているのか、網の上に並んでいる肉は黒焦げになり始めていた。動かない二宮に代わり、もう一本ある肉用トングで私は焦げカスを掴んでみるけれど、それはもう食べられそうになかった。

「たとえ酔っていたとしても、俺は嫌いな女と一夜を共にしたりはしない」

 堅いなあ、と思ったけれど、二宮らしいとも思った。文句の付けようもない男らしい言葉に、このままでもいいんじゃないかと単純な私は絆され始めてしまう。
 二宮は頑固だから、こうと決めたら自分が納得しない限り意見を曲げない。つまり、私と寝てしまったことをなかったことにしないということだ。

「私のこと好きなの?」
「好きだ」
「私、めんどくさい女だけど」
「知っている」
「しゅ、趣味が悪い」
「本当にな」
「ねえ、ほんとに私のこと好きなの?」

 面と向かって好意を伝えられると恥ずかしくなってしまい、ボケたら悪口みたいなことを言われた。二宮らしいというか、なんというか。
 手持ち無沙汰で、網に張り付いている黒焦げ肉の残りカスをトングで取ろうと苦戦していたら、二宮は慣れた手つきでガスの元栓を捻って火を消した。卓上に並んだ皿に、肉はもう残っていない。
 テーブルチェックらしく、二宮はさっさと店員を呼び、会計を済ませてしまった。店員は金額を口に出さす、二宮にレシートを渡したので、私は今日の会計がいくらだったかわからない。財布を出すタイミングを失ってしまった。

「行くぞ」

 何も言わないということは二宮の奢りなのかな。元々いつも多く払ってくれていたけれど、彼女には財布を出させないタイプなのか? これも意外だ。
 二宮は車道側を歩く。これは、いつも。

「――今日はしないのか?」

 ポケットに両手を入れた二宮がぼそりと呟いた。車の走る音にかき消されてしまいそうな小さな声が、いつもの自信たっぷりの二宮らしくなくて、なんだか無性にかわいく思えてしまった。
 だから。
 二宮の肩に手をおいて。
 少しだけ踵を上げて、顔を近づけて。
 その行動に、さも当然といった表情を浮かべた二宮へ、私は口付けるのだった。




(21.05.31)



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