ビーマイン


 言うなれば、バケツをひっくり返したような雨。
 梅雨といえばしとしとと降る雨を想像するけれど、ここ最近の梅雨は異常気象と呼ばれるほどの激しい雨が多い。
 今日も朝から太陽の姿は見えず、天気予報では夕方から雨が降ると言っていた。日中のうちは曇でしょう、と。
 しかし天気予報はあくまで予報であって、確実ではない。四限の途中から空はみるみるうちに暗くなって、ぽつぽつと雨が降り出したと思ったら、あっという間に窓ガラスを覆ってしまうほどの土砂降りになった。

 うわあ、最悪。と教室内から声が上がった。なぜなら私たちが授業を受けている教室は別棟で、本校舎じゃなかったからだ。自クラスのある本校舎の教室に戻るには、屋根のついていない渡り廊下を通らなければならない。ここに来る時は雨が降っていなかったので、みんな傘を持っていないのだろう。
 私もその一人で、学校に傘を持ってきてはいるけれど、本校舎の傘入れに置きっぱなしだ。授業が終わる頃には止まないかなあと期待してみたけれど、お昼休みを知らせるチャイムがなっても、雨は降り続けていた。むしろ激しさは増している。
 友だちと「走るしかないね」と覚悟を決めて数十秒間渡り廊下をを走っただけなのに、頭はびしょ濡れになった。髪の毛からは、水が滴ってくる。前屈みに走ったから背中も濡れ、スカートも湿って足に張りつこうとして不快に感じた。
 ちょうど衣替え期間で冬服から夏服に変えたばかりだったから、卸してすぐに濡れたのがちょっと悲しい。体操服持ってきてたっけ。とりあえず着替えようかな、と教室へ歩いていたら。

 ぅおぃ! と遠くから叫ぶ声が聞こえて、振り向くと、去年同じクラスだった出水がこちらに向かって廊下を走っていた。どこに行くのだろうと思っていたら、私の目の前で勢いよく止まる。

「なっ! ちょっ! お前!」

 全力で走ってきたのだろう。明るい金色の髪を乱した出水は、はっ、はっ、と息を荒げている。そしてバッと着ていた学ランを脱いで私に羽織らせたかと思えば、そのまま私の手首を掴んで歩き出した。

「い、出水⁈」

 昼休みなので、廊下には生徒が多い。廊下にいる生徒だけでなく、教室の中にいる人たちからも興味を含んだ視線を感じる。
 出水は目立つのだ。髪も明るいし、性格もノリもいいから友人も多い。去年同じクラスだっただけの私とも、クラスが違くなっても顔を合わせばよく話してくれる。
 私は好奇の視線に恥ずかしくなり、出水に掴まれた方の手を振ってみるが、出水の力は思ったよりも強くて振り離せない。でも不思議と手首は痛くないところが彼の優しさだと思った。

「いーから。こっち来い。それ絶対着てろよ」

 出水に連れて行かれたのは、空き教室だった。教室に入り、ドアを閉めた出水の顔は真っ赤に染まっているので「熱あるの?」と聞いたら「熱はねーけど……」という歯切れの悪い答えが返ってくる。それから出水は視線を泳がせながら「……透けてる」と絞り出すような声で言った。

 何が、とは言わなくてもわかる。だからわざわざ学ランを羽織らせてくれたのだろう。

「え、あ、ごめん」

 夏服のセーラー服の色は白だ。背中はしっかりと雨に濡れてしまったので、インナーを着ていても下着が透けてしまったのだ。
 恥ずかしくなって羽織っている出水の学ランを胸元に引き寄せたけれど、いつも余裕ぶっている出水の方が私よりも余裕なさそうに挙動不審にしているので、おかしくなって笑いが溢れてしまった。

「なんでそんな冷静なんだよ。もっと照れろよ」
「いやあ……お店行けば普通に並んでるし。むしろお見苦しいものを見せてごめんね」
「売りもんとは別だろ」
「そうかなあ」

 出水は勢いで私をこの教室に連れてきたものの、この先は何も考えていなかったらしい。夏の制服は乾きやすい素材なので、少し経てば乾くだろう。昼休みの間ずっとここにいるのだろうか。お昼食べ損ねちゃったな。

「出水、まだ冬服なんだね」
「朝寒くねえ?」
「寒いけど、昼は暑いじゃん」
「まー俺らは学ラン脱げば夏服と変わんねえし」

 たしかに、夏服との違いはシャツの袖の長さくらいだ。それがつまらないのか、個性を出すためか、夏は制服の中にTシャツを着たりしている男子は多い。去年の夏、出水もよく変なTシャツを着ていた覚えがある。

「学ランありがとう」

 出水の学ランは肩幅とか、丈とか、全部私にはぶかぶかで大きい。でも出水が着ると途端に、ぴったりのサイズの学ランになるから、体格差に面食らってしまう。男の子なんだなあ、と意識せざるを得ない。

「おー。汗臭かったらごめんな」
「ううん。臭くないよ。むしろ、なんかいいにおいがする。ファブリーズとか使ってる?」
「なんも」
「じゃあ出水のにおいかな」

 さっきから動くたびに、ふんわりといいにおいがするのだ。石鹸とも香水とも人工的な香料とも違う。袖のあたりをくんくんと嗅ぐと、やっぱりにおいの元は出水の学ランだった。

「……お前それやめろ。学ラン返せ」
「はーい」

 言われた通り脱ごうとしたら「あー、やっぱ着てろ」とのこと。まだ乾いていないのか、自分じゃあまりわからない。

「脱げとか着ろとか、どっちなの」

 コロコロと変わる出水の言い分に振り回されるのが面倒になってきたので文句を垂れると、自分で想像している以上に冷たい声が出てしまった。実際はそこまで怒ってはいない。ちょっとしつこいなって思っただけだ。
 でも出水も、少し思い当たるところがあるらしい。気まずそうにガシガシと頭を掻きながら、彼はぶっきらぼうにとんでもない爆弾を言い放った。

「好きな女の、他の奴に見せたくねーだろ」

 今度は、私が真っ赤に染まる番だった。




(21.06.05)



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