ひらいてむすぶ


 たぶん、私は押しに弱いタイプなのだと思う。
 頼み事をされると、なんだかんだ二つ返事で了承してしまう。
 良くいえば、面倒見がいい。
 悪くいえば、おせっかい。
 だから頼まれてしまったのだ。

 A級一位の太刀川隊。その隊長である太刀川さんのお目付役というか、大学でのサポートの任についたのは高校を卒業し、大学に入学する直前の事だった。
 高校在学中にボーダーへ入隊したものの、トリオン量がそんなに多くなかった私はオペレーター業についた。そしてそのまま中央オペレーターとして学生業と二足の草鞋を履いていたのだが、ある日上層部に呼ばれて「ストレートで大学を卒業できるようサポートしてやってほしい」と言われたのだ。
 なんでも、A級一位としてわりと世間に名と顔が知られている人物が留年なんてしたら、アンチボーダーに学業を疎かにしていると叩かれてしまう、とのことだった。それで同い年で学部も同じ、かつ戦闘員ではないため、わりと大学授業に出席できる私にその話が回ってきたらしい。
 上層部にお願いなんてされて断れるはずもなく。
 太刀川慶を無事に大学卒業させるという、何事もなければ満四年で終了予定のミッションに就いてからもう一年経った。
 サポートなんてそんなにすることもないでしょ。楽勝楽勝、と思っていたのに。
 これがまたとんでもなく難易度の高いミッションだった!

 太刀川さん(A級一位様だからいまだにさん付、敬語がとれない)は、びっくりするほど頭が悪かった。
 太刀川さんが出席できなかった授業で配られたプリントを渡すと、太刀川さんはプリントを食い入るように見てから私に視線を移し、じいっと見てきた。そしてその後「なんて読むんだ」と聞いてきた。漢字は案山子で、太刀川さんはあんやまこと読んでいた。
 それから高校までの授業で見ない漢字が出てきた時は、全てふりがなを振ってあげている。
 他にもいろいろと「この人やばいな」と思うことはあったけど、ボーダーのイメージダウンにならないようにもう口を閉じることにする。

 ともかく、アホというか戦闘バカというべきなのか、私がモニター越しに見てきた『A級一位 太刀川慶』という虚像はすぐに崩れ去ってしまった。

 ◆

 時間にしてお昼を少しすぎた頃、ボーダー本部の食堂にて。一番混み合う昼食ラッシュは過ぎたけれど、それでも空いているテーブルは少ない。
 そんな中、遅めのお昼ごはんとしてナポリタンをお盆にのせた私は目当ての人物を見つけ、隣に座った。
 目当ての人物とは、もちろん太刀川さんである。

「明日の授業来なかったら、ほんとにほんとに本当に単位とれなくなりますからね⁈ わかってます⁈」

 私の大声が辺りに響いた。思ったより大きな声がでてしまい、周りからの興味を孕んだ視線を感じるが、構っている余裕なんてなかった。
 太刀川さんは「おー」と言いながら、A級セットのうどんを啜っていた。呑気なものである。絶対にわかってない。
 私もフォークでナポリタンを一口分掬い、スプーンの上でくるくる回して、口周りを汚さないように食べ進める。

「いいですか。出席日数足りないとボーダー特権で単位取得に臨時試験もしてくれます。けど、太刀川さんの頭じゃ絶対に試験で単位はとれません! 明日来るだけでいいんです。太刀川さんの明日のスケジュールは確認済みです。ランク戦も無し、防衛任務も無し。大学来れますね。いいですか、大学に来て、椅子に座ってるだけでいいので、絶対に明日は出席してくださいね!」
「わかったわかった」
「これは絶対来ない……どうしよう。縄で縛ってでも連れていかなきゃいけないのに。あ、もうそうしちゃおうかな。確か倉庫にロープあったはず……」
「お前って真面目系なくせに結構おもしろいよな」
「誰のせいだと思ってるんですか⁈」
「俺だなあ」
「わかってるなら授業出てください」
「起きれねーんだもん」
「ヤバい。もう今回ばかりは無理かもしれない。留年確定です……」

 レポートを書くのを手伝ったり、レジュメを纏めたりしてきた努力は水の泡になってしまう。けれど出席だけは、もうどうしようもない。太刀川さんが頑張らないとどうにもならない。

「ならさ、今日お前んち泊めてくんね。そんで明日連れてってくれよ」

 コロッケをもさもさと食べながら太刀川さんは言った。齧るたびに顎の髭に衣がつくので、思わず鞄からウェットティッシュを取り出して拭く。

「いいですね。それ。それなら確実に連れていけます」

 ウェットティッシュを小さく畳んで、トレーの端に置いた。あとで燃えるゴミに捨てよう。

「……お前に足りないのは危機感だな」

 太刀川さんが何か呟いたようだったけれど、食堂のざわめきにかき消されてしまった。

「なんか言いました?」
「なんでもねー」
「今日帰り迎えに行きますから、作戦室にいてくださいね」
「おー」

 これで絶対に単位を取らせることができる!
 私は心の中でガッツポーズをしながら食器を下げに行くと、話を聞いていたらしい諏訪さんに「お前マジかよ」と言われる。
 マジだし。

「一人暮らしだったよな」
「ええ、まあ、はい」

 一介の中央オペレーターだけど、太刀川さんの面倒をみていると戦闘員の人とも顔見知りとなった。その中でも大学の先輩でもある諏訪さんはよく話す方だ。
 諏訪さんは心底呆れるような顔で私を見ると、ため息をついてどこかへ歩いていった。解せぬ。

 ◆

 就業後太刀川隊の作戦室へ向かうと、あいかわらずテーブルの上は各々の私物がごちゃぁと散乱していた。この隊のメンバーは片付けに対して無頓着らしく、あまりにも見てられなくなったらたまに私が掃除している。そろそろまた掃除のタイミングかもしれない。
 太刀川さんはソファーに横になってプリントを読んでいるようだった。珍しく他の人達は誰もいない。

「お待たせしました。レジュメですか?」
「いや、今度の試合の資料」
「……期待した私がバカでした」
「ははは」

 太刀川さんが戦闘以外のことに積極的になるはずがないのに。わかっていても、がっかりする。
 そもそも太刀川さんがもう少ししっかりしてくれれば、私は太刀川さんのお世話をしなくてもいいはずなのだ。
 でもしっかりしている太刀川さんは想像できないな。一応、個人総合一位をマークしている凄い人なのに、私の中ではもうただのダメ男になっている。けれどこの抜けているところがポイント高いらしい。友達が言ってた。

「じゃ、帰りましょうか」
「それいいな。帰るって。付きあってるみてえ」
「なにバカなこと言ってるんですか。私には太刀川さんを確実に明日大学へ連れていくという使命があるんです」

 着替えとかどうしようかなと思ったけれど、作戦室に常備しているらしい。部屋の隅に転がっていた袋に適当に詰め込んだ太刀川さんに、私はやっぱりそろそろ掃除しようと決めた。
 この隊の人たちは言ってもやらないから、結局私がやるしかないのだ。掃除してたら手伝ってはくれるのにね。

「今日ははやくご飯食べてお風呂入って、十時には寝ますよ」
「修学旅行か」

 ◆

 帰宅後。太刀川さんをお風呂に押し込んでからキッチンに立つ。
 うどんが好きなのは知っているが、昼もうどんで夜もうどんなのはどうかと思うので、夜ごはんに野菜多めの焼きそばを作った。同じ麺類ならたぶん太刀川さんは文句は言わないはず。

「ちょっと野菜多くないか?」

 ちょうど盛り付けが終わった頃に、お風呂上がりの太刀川さんの声が背後からした。そのまま私の左肩に顎をのせて、文句を言われる。
 全然拭けていない髪の毛からポタポタと水が落ちてきて、床に小さな水溜りを作ろうとしていた。左肩の服も湿ってきて、私は「ぎゃ」と小さな悲鳴をあげた。

「髪を乾かすのもできないんですか? ドライヤー置いておきましたよね?」
「んー、あったっけなあ。やってくれ」
「……はあい」

 洗面所の鏡の前で椅子に座ってもらう。身長差がありすぎて、太刀川さんが立ったままだと私の手が届かないからだ。Tシャツにスウェット姿の太刀川さんは猫背気味におとなしく座っている。
 タオルである程度水気をとってから、くしで太刀川さんの髪の毛を梳かす。束になった髪を手でぱらぱらとほぐし、全体が乾くように均等にドライヤーの温風をあてた。
 温風が気持ちいいのか、太刀川さんはたまに口を大きく開けて、くわあっと欠伸をする。その姿はブラッシングされている大きな犬みたいで、かわいいなと思った。
 普段は適当にドライヤーをしているだけなのだろう。丁寧にブローまですると、もじゃもじゃがふわふわになった。おしゃれパーマみたいなかんじだ。

「太刀川さん、私のシャンプーのにおいがします」
「そりゃあそうだな。お前の借りたんだから」
「毎回こうやってブローして、ワックスつけて整えたら絶対爆モテですよ」
「ははは。めんどくせえ。腹へった」
「ちょっと冷めちゃったかも」
「腹に入れば同じだろ」

 野菜が多い、次は肉を増やせと言いながらも、太刀川さんは焼きそばを完食した。なんならおかわりもした。A級めっちゃ食べる。一応三人前作ったのに。
 次は、ということは、またうちに来るつもりなのだろうか。
 洗い物をしながら考える。どんどん私の生活に太刀川さんが侵食してきている気がする。私がいなくても、太刀川さんが自立できるようにしなくては。

「私、もう少し太刀川さんに厳しくしますね……」
「お? 反抗期か?」
「はやく自立して私に楽させてください。お風呂行きますけど、ベッド使っていいですからはやく寝てください」

 私はわりとどこでも寝られるのでソファーでも床でもいいや、と太刀川さんにベッドを献上し、お風呂タイムをゆっくり楽しむことにした。
 全身を洗ってから湯船に入る前に顔パックをして、本や携帯を持ち込んで半身浴をするのが好きなのだ。お客さんがきているけれど、太刀川さんだし。どうせ私が上がった後には、夢の国で孤月を振り回しているだろう。
 トリートメントをつけてドライヤーをして、肌のケアをしてから薄暗い寝室へ行くと、なんとまだ太刀川さんは起きていた。
 ベッドに横になり、お腹の辺りまで掛け布団で覆っている。太刀川さんは携帯をいじりながら「ずいぶん長風呂なんだな」と言った。

「寝ててよかったんですよ」
「だってお前、俺が寝てたらそこらへんで寝るだろう」
「まあ、そうですね。さすがにお客様を床で寝かせられませんし」
「俺としてはお前を床で寝かすのは嫌なわけだ。だからな」

 太刀川さんは掛け布団を持ち上げて「ほら」と私へ視線を投げた。

「いやシングルベッドに二人は無理ですよ」
「いけるいける」
「太刀川さん寝相悪そうだから蹴落とされそうで怖いです」
「俺と寝るのは嫌じゃないってことだな」
「え? うーん、まあ太刀川さんは……大きな犬みたいですし……犬と思えば大丈夫ですね」
「犬かー」

 太刀川は「まあまあ、とりあえず入ってみろって」と私を招き入れる。

「えー、えー?」
「ほら、いけんだろ」

 シングルベッドに成人男女二人。しかも太刀川さんは身長もあるしガタイもいい。はっきりいって狭い。

「やっぱり無理じゃないですか」
「いけるいける。こうして、な、ほら」

 太刀川さんは私を壁側に向けると、後ろから手を回してきた。私は太刀川さんの抱き枕になっている。

「お前柔らけーな」
「セクハラですよ」
「あったけー」

 湯船でぽかぽかに温まった私は、いわば人間湯たんぽだろう。太刀川さんの腕の中も、意外と温かくて。後頭部にあたるがっしりした胸筋はなかなか悪くない。

「明日一限ですからね。はやく寝ましょう」
「お前、ほんとムードもくそもないのな」
「はて。ムードとは?」
「俺以外の奴とこんなことすんなよ」
「むしろこんなに図々しく人の家に上がりこめるのは、太刀川さんくらいですよ」
「……ま、いいか」

 耳元で喋られるとこそばゆい。
 人と寝るというのはなんだか安心する。
 体温のせいだろうか。触れ合う肌のせいだろうか。

 その夜、私はとても幸せな夢を見た。
 起きたら内容は忘れてしまったけれど、隣で寝息をたてている太刀川さんを見て、ふわふわの髪の毛を思わず撫でてしまいたくなった。
 今日知ったことは、太刀川さんは思っていたよりも寝相がいいということ。これは私だけの秘密にしようと決めた。
 ちなみに起こすのはとてつもなく大変だった。揺さぶっても叩いても起きやしない。

 ◆

「太刀川さんの単位は守られた…!」

 太刀川さんは一限の授業に無事に出席し、私は教授に「お前もがんばったなあ」と褒められた。大学の教授陣は私が太刀川さんのために奮闘していることを知っているので、私の苦労を知っている。だけど簡単に単位はくれないから、たまに憎らしくもある。

「よかった、ほんとよかったあ」

 私の頑張りで世間からボーダーへの評価が下がらないのなら、頑張る甲斐もあるものだ。それに少しだけお給金に色をつけてもらっている。本当に少しだけだけど。
 お昼の後の空きコマの時間潰しに、カフェテリアにて友達に愚痴を聞いてもらった。内容は主に昨夜の私の奮闘である。
 太刀川さんは授業が終わり、またも私とお昼ごはんを食べてから軽い足取りでボーダー本部へ行った。そのくらいるんるんで大学にも来てほしい。
 アイスカフェオレの缶を勢いよく飲み切ると「あのさあ」と友人がおずおずと切り出してきた。

「つきあってる、んだよね?」
「だれが?」
「あんたと太刀川くんだよ」
「まさかあ」
「でも寝たんでしょ?」
「なんか言い方がおかしい。添い寝ってやつだよ」
「……太刀川くんって意外と忍耐力あるんだね。見直したわ」

 友人は昨日の諏訪さんと同じ表情を浮かべている。

「言っとくけど、噂じゃもうあんた達つきあってるからね」
「どこから出たのそんな噂。ないない。私がしてるのは犬のインストラクターみたいなものだよ」
「ううむ、太刀川くんは周りから固めていくタイプだった……? 意外と策士?」

 友人は「まあ、がんばんなね」とだけ言って、この話は終わった。
 
 それから暫くの間、なぜか私はボーダー内でも大学内でも『太刀川慶の彼女』扱いをされてしまった。
 太刀川さんから女物のシャンプーのにおいがしただとか、朝一緒に登校しただとか、そんなくだらない話がいろいろ曲解されて、私達はつきあっていることになっているらしい。
 全く見に覚えのない噂を正していくのは、最初はいいが、次第に疲れていく。なにせボーダーには数えきれないほどの人が所属しているのだ。
 当の太刀川さんは否定せずにやにやと黙っているだけなので、こうして私の気苦労はまた一つ増えてしまったのだった。




(21.05.05)



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