「よー」
「わあ、今日も図々しいですねえ」
ふらつくほどではないけれど、アルコールでふわふわとした足取りで家に帰ると、ドアの前で太刀川さんがしゃがんでいた。私に気づいた太刀川さんに軽口を叩くと、むこうも冗談とわかっているのか、待ちくたびれたように呑気に伸びをする。
玄関の鍵を開けると、太刀川さんは家主の私よりも先にずかずか入って電気をつけて、冷蔵庫の麦茶をグラスに入れて飲み出した。まさに勝手知ったる他人の家だ。
一度太刀川さんを泊めてから、彼は翌日に午前の授業がある日によく泊まるようになった。私も断ればいいのに、泊めた方が翌朝大学に連れていきやすいし、徹夜でレポートを書かせられるので、つい了承してしまう。どうしたって、私は太刀川さんをストレートで大学卒業させなければいけない。
そのせいなのか、太刀川さんは私の部屋に少しずつ私物を増やしている。洗面台には歯ブラシや髭剃りやメンズのワックスが。クローゼットには寝巻き代わりのスウェットや私服が。合鍵はさすがに渡せない。
太刀川さんもそれはわかっているようで、来る前にちゃんと連絡してくる。今日みたいに玄関前で待っていたり、本部から一緒に帰ったりすることも増えた。そういうところはマメなのに、どうして授業にこなかったり、課題を忘れるのだろう。
一緒に過ごす時間が増えたせいか、前よりも距離が近くなった気がする。敬語は完全に抜けないけれど、冗談や嫌味も言いやすくなった。いや、太刀川さんは変わっていない。変わったのは私だ。のらりくらりとしている太刀川さんを見ていると、肩肘張ってるのが馬鹿らしくなるし、こうも何度も泊まりにこられると彼の緩さに慣れつつある。太刀川さんが部屋にいることに慣れてしまったのだ。
「お茶飲む前に、手を洗ってくださいー」
「お前帰ってくるの遅すぎ。腹減った。非番だろ。なにしてたんだ?」
「なにって……私にだって予定くらいありますし」
本当のところは、大学の友だちと最近オープンしたばかりの雰囲気の良いイタリアンで女子会をしていただけだけど、プライベートを馬鹿正直に話すのも癪なので濁した。言ったら言ったで、寂しい奴だと笑われそうだし。
太刀川さんはなにも食べていないのか、私の答えに適当な相槌を打ちながら冷蔵庫を漁っている。
「だから、手を洗ってってば」
「なんだ? お前、酒臭いな」
「私もお茶ほしいです」
太刀川さんは、自分が使っていたグラスに麦茶を注いで、それを私に渡した。一気に飲み干してしまえば、空になったグラスにおかわりを注いでくれる。二杯飲めば、頭の中に居座っている酔いはしっかりと晴れてくる。
「なんだよ。俺ずっと外で待ってたのに。お前は楽しく飯食って酒飲んでたわけだ」
「自分の家に帰ればいいじゃないですかあ」
太刀川さんは、ははっと笑って誤魔化した。
「お風呂いってください。なんか作っておきますから」
「簡単なのでいいぞ」
「それが人にご飯を作ってもらう態度……?」
太刀川さんが自らお風呂へ行ったので、私は冷蔵庫の中に目を通す。簡単でいいって言われたから本当に簡単なものに決めた。炊飯器は空なので、冷凍米をレンジで解凍し、炒飯を作り始める。具は卵と葱と小松菜。野菜室の余り物だ。肉も入れといた方がカサ増しできると思い、豚肉も入れる。太刀川さんはいつもなんでも食べてくれるから、量があれば大丈夫。
「で、誰と飲んでたんだ?」
シャワーから早々と戻ってきた太刀川さんが、炒飯を口に含みながら訊いてきた。さっき濁した話をわざわざ蒸し返して、そんなに気になるのだろうか。
「……大学の友だちですけど」
「合コンか?」
炒飯を掬うスプーンを止めて、じいっとみてくる太刀川さんの目に、無言ながらに追求されているように感じた。一介のオペレーターがA級一位の強い眼差しに耐えきれるはずもなく、私は白状することをすぐに決める。
「……女子会です」
「だよな。お前が合コンなんてできるわけねーし」
歯に衣着せぬ言葉にカチンと頭にきたけど、太刀川さんの言う通り、自分でも合コンに行く姿は想像できなかった。複数の初対面の人と話すのは緊張するし、なにを話せばいいのかいまいち思いつかない。ボーダー所属だと言うと場が一気に白けたって、オペレーターの先輩から聞いたこともある。
「そういえば私と太刀川さんがつきあってるのか聞かれたんですけど、なんか大学で噂になってるらしくて。聞いたことあります?」
「あー聞いたかもしんねえ。お前なんて言った?」
「そんなわけないって否定しときましたよ」
「なんで?」
「なんでって」
どうしてつきあってもいないのに、つきあってることにしなきゃならないのだろうか。太刀川さんはモテるだろうから女避けになるかもしれないけれど、私にはデメリットしかない。
「別によくね。言わせとけば」
「私に彼氏できなかったらどうしてくれるんですか?」
「お前、彼氏欲しいのか」
「四年間さみしい大学生活は嫌だもん」
とはいっても、大学、ボーダーでのオペレーター業、それに太刀川さんの面倒を見ていると、なかなか彼氏を作る余裕はないのだ。一般の人にはボーダー関係のことは話せないし、どうしても仕事優先になる。
明るくない現状を考えると悲しくなってくるので、私もお風呂へ行くことにした。
◆
「せめー。ベッド買い替えようぜ。ダブルとか。金ならあるぞ」
「そんな大きいサイズ置けないし、せっかく布団買ったんだからそっち使ってくださいよ」
「布団だと寝にくいんだよな」
毎度の如く、当たり前のように私を抱き枕にした太刀川さんは厚かましい発言を続けた。シングルベッドに二人で寝るのは狭いから、と買った布団は未だ使われたことがない。私が布団で寝ると言ったら、太刀川さんはそれは駄目だとめんどくさいことを言う。
シングルベッドから落ちないように、身を寄せあって丸まる。これはただの添い寝。同じベッドで横になって寝ているだけで、やましいことはなにもない。
「思ったんだけど、合鍵くれよ」
「……それ、うちに入り浸る気満々じゃないですか」
「だめか?」
「駄目です。ほんとに彼氏できなくなる……」
あくびが止まらない。意外と温かい太刀川さんの体温と、まだ体内に残っているアルコールがお風呂で全身に回ったのか、急な眠気が私を襲った。
「なあ」
太刀川さんが耳元で私に囁く。
「なに……もう、ねむい……」
底のない穴にゆっくり落ちていくみたいに、睡魔に深く引きずられていく。太刀川さんの掠れた声がぼそぼそとなにかを言っているけれど、遠のいていく意識はその声を聞き取ることができなかった。
(21.06.11)