おうちに帰りたい


※逃げ恥パロ


 忍田真史は頭が痛かった。

 ここのところ、見合いの釣書がひっきりなしに届くのだ。もちろん読んでいる暇はない。ボーダーとお近づきになりたい富裕層から届くのだ。なぜ自分が、と思うけれど、それは忍田がボーダー上層部の中で若く、一番人が良さそうだからだろう。イケメン枠の唐沢はなぜかこういった話から自分を消すのが上手い。城戸は顔が怖い。
 塔のように積み重なっていく釣書が、ここ最近の忍田の悩みの一つだった。

「おかえりなさい。今日も来ましたよ」

 忍田が普段よりも早い時間にボーダー本部から帰宅すると、ギンガムチェックのエプロンを着けた就労時間中のミョウジナマエが白無地の封筒を渡してきた。
 ナマエは家事代行サービスから派遣されてきた女性で、週に二度ほど忍田の家を訪れている。とは言っても、忍田は一日のほとんどをボーダーで過ごしているので、ナマエと直接会う事はあまりない。家には寝に帰ってきているようなものだ。なのでナマエがする事は洗濯や埃がたまらない程度の掃除、帰宅した忍田が簡単に摘める夜食の作り置きだ。ポストに溢れるチラシを見兼ねて、最近は郵便物の管理までしている。ボーダーに関するものはこの家には置いていないので、忍田も安心して鍵を預けている。

 ナマエは就職活動の荒波に負け、卒業後家事代行サービスに派遣登録をし、忍田の家へ派遣されることになった一般人だ。実家は九州で、三門市には大学進学で来た。卒業後もそのまま三門市に住み着いている。
 そもそも忍田は身の回りのことは最低限できる男だ。なのに家事代行サービスを利用することにしたのは、それに割く時間がなくなってしまったからだ。溜まる洗濯物、散らかっていく部屋、冷め切った惣菜。体力的にも疲れているのに、乱雑な部屋は精神的な疲労が溜まっていく。そんな時、たまたま唐沢に家事代行サービスを教えてもらい、利用することに決めた。くたびれた皺だらけのシャツを着ていくようじゃ、周りに示しがつかないのだ。

 最初顔合わせの時に、忍田は十歳も歳下のナマエが本当に家事代行なんてできるのかと半信半疑だったが、ナマエは忍田の予想を大きく裏切った。余計なものには触らず、忍田から頼まれた通りの家事をし、冷蔵庫にあったもので「お口に合うかわかりませんが」と手早く作った料理にあっただし巻き卵の味が自分好みだったので、忍田は採用を決意した。男を掴むのはいつだって胃袋からなのだ。

 忍田はため息を吐きながら封筒を受け取る。ん、と手を伸ばすナマエに脱いだばかりの背広を渡した。ナマエは手慣れたようにハンガーに背広をかけ、除菌消臭剤を振り撒いた。
 封筒の中身は見なくともわかる。これもまた釣書書なのだろう。すぐに捨てるのも忍びないので、忍田は積み重なっている塔の上にそおっと乗せた。

「それ、そろそろ崩れそうなんでやめてほしいです」
「じゃあ君が捨てておいてくれないか」
「こういうのは送られた本人がするべきことだと思います」

 全くもってその通りだな、と忍田は返事をしなかった。

「忍田さんがさっさと結婚すればこんなの来なくなりますよ」
「君までそんなことを言うのか?」
「ポスト確認するたびにこれを見つける私の身にもなってください」

 忍田はぐうの音も出ない。
 炊飯器から米が炊けた音がしたので、ナマエはキッチンへ戻り、作業を再開させた。どうやら作り置きの料理をタッパーに盛り付けていたようだ。

「忍田さんお夕飯出来立てですよ。こんな早く帰ってくるなんて珍しいですね」

 時計はまもなく夜の六時になる。ナマエも六時頃には帰宅するので、もうすぐ業務は終了するのだろう。

「ああ……たまにははやく帰れと言われてな」
「せっかくだし作り置きだけじゃ悪いので、ちょっとメニュー足しますね。もう少し待っていてください」

 部屋に戻り、部屋着に着替えた忍田がリビングへ戻ると、リズムの良い包丁の音が聞こえてきた。手持ち無沙汰になった忍田はソファーに座って、キッチンに目を向ける。手元を見ているのかナマエの顔は見えず、対面式のキッチンからはつむじがこちらを向いている。

「悪いな。残業代は出すから」
「えー、いいですよこれくらい。忍田さん三門のためにがんばってるんですから、サービスです」

 顔を上げてにこりと笑顔を浮かべたナマエに、忍田はほっと胸が温まるような気がした。

「この後の予定は?」
「もう帰るだけです」
「……よかったら一緒に食べないか。その、一人だと味気な……いや、君の作った料理は美味しいんだが、その」

 ナマエの料理は美味しいのだが、一人で食べるというのは結構寂しいもので。けれど言葉を紡ぐだけ墓穴を掘っているような気がして、忍田は焦った。そんな忍田を見て、ナマエは小さく笑う。

「いいですよ。でも、お願いがあります」
「なんだ?」
「キッチンの奥に見つけちゃったんですよねえ……シャトー・ディケム」

 これです、とナマエが出したのは、一本の貴腐ワイン。自分で購入した記憶はないので、きっと誰かから貰ったのだろう。しかし忍田はいつ、誰から貰ったか覚えていないので、貰ってからきっと一年以上は経っているだろう。

「これ、数も少ないし、いいやつなんですよ。埃被ってたってことは忍田さんあまりお酒に興味ないのかなあと思って……開けませんか?」
「ああ、それは構わないが」
「やったあ! じゃあすぐ冷やしますね。洋メニューにしててよかった!」

 ナマエは深いボウルに氷と水を入れ、そこにワインボトルを突き刺してくるくると回した。手慣れている。
 そういえば彼女のことをあまり知らないな、と忍田は思った。把握しているのは、彼女の名前と年齢と出身地と住んでいる場所くらいだろうか。業務連絡はメールが主なので、会話をするのも数えるほどしかない。なのにこうも会話が苦痛なく続くのは、きっとナマエに愛嬌があるからだろう。

 ダイニングテーブルに料理が並べられていく。忍田も配膳くらいは手伝おうとソファーから立ち上がると、それに気づいたナマエが「じゃあカトラリーをお願いします」と渡してきた。
 ナイフとフォークとスプーンが二セット。独身男の家にランチョンマットなんてものはないので、剥き出しのままのテーブルに置いていく。もしまた二人で食べることがあるのならランチョンマットくらい買っておこう、と忍田は並べながら思った。

「サーモンと野菜のグリル、パプリカと玉ねぎとトマトのマリネ、きのこの入った洋風卵焼き、ここまでは作り置きしてあるのでまた食べてください。出してないのも冷蔵庫にあるので、それは明日のお楽しみに。あとはブロッコリーのペペロンチーノです」

 てっきり白米が出てくると思っていたのだが、それはどうやら小分けにして冷凍するらしい。これが結構便利なのだ。電子レンジで解凍し、野菜が多めの作り置きされたおかずと食べるだけで、カップラーメンよりも健康的だ。

「……いつもありがとう」
「いえいえ、これが仕事なので」

 ナマエは冷やされたワインの水滴をタオルで拭いて、ワイングラスと一緒に持ってきた。コルクを抜いてグラスに注ぐ。

「乾杯しましょう。一言お願いします」

 そう言われても、いきなりのことに忍田はうまい言葉が出てこない。何をいえばいいんだ、と真面目に考え込んでしまった忍田に、ナマエは「あの、会合とかパーティーじゃないんで、マジにならないでください……」と声をかけた。忍田は咳払いをした。

「……今日もお疲れ様、乾杯」
「かんぱーい! えっ、なにこれうまっ……」

 グラスに口付けた忍田は喉に流れていった味を甘ったるいとしか思えなかったが、ナマエはどうやら違ったらしい。一口飲んでから目をギュッと閉じ、鼻から息を吐いて、身動きしない。そしてまた一口含んで、余韻を楽しんでいるように見えた。

「そんなに美味しいか?」
「……最高です。私の経済力じゃちょっと手が出せないので……幸せです……」
「私はあまり酒に強くないから、よかったら飲んでいってくれると助かる」
「いいんですか⁈ ありがとうございます!」
 そうして二人はグラスを傾けながら食事を手をつけ始めた。

 ◆

「ほんと、意味がわかんないんですけど。ちょっと就職うまくいかなかったからって、実家に戻って結婚しろって、意味がわからなくないですかあ⁈ 私、まだ、二十二ですよ。結婚してはやくこども産めって、絶対帰らないんですから!」

 ナマエは酒が入ると気が緩むタイプらしい。顔をほんのり赤く染めて、普段よりも砕けた口調でワイングラスを傾けながら忍田に愚痴を言っている。ワインボトルの中身は残り少ない。飲んだのはほとんどナマエだった。
 どうやら忍田に見合いの釣書が届くのと同様に、ナマエは実家から結婚を急かされているようだった。

「でも、来月から私の住んでるところの家賃上がるみたいで、私の稼ぎじゃちょっとキツイので、そろそろ実家に戻らなきゃマズイなあって感じでして……忍田さんにそろそろお話しなくちゃと思ってて……」

 最後の方はもう聞こえないくらい小さい声だった。
 急な告白に、忍田は驚きを隠せなかった。

「うちの親、考え方が古くて、知らない人と結婚とかめちゃくちゃ嫌なんですけど、背に腹はかえられないのも事実で……」
「だったら」

 きっと忍田も酔っていたのだろう。震えるナマエの声に動揺していたのかもしれない。素面だったら、普段の忍田ならば、きっとこんな事は言わない。

「私と結婚しないか」
「……へ?」

 忍田の申し出に、ナマエはキョトンと目を丸くした。

「ああ、いや、結婚といっても事実婚というか、偽装結婚というか……私は送られてくる釣書が面倒で、君は住む場所が無くなりそうでご両親から結婚しろと言われている。だったら私達が結婚すれば都合が良いと思ったんだが……私はいつ命を落としてもおかしくないから籍は入れなくていいだろう。そうだな、住み込みで、給料はこれくらいでどうだろう」
「結婚しましょう」

 忍田の提案にナマエはすぐさま頷いた。ウィンウィンどころか、あまりにも自分に都合が良すぎる条件だ。
 ナマエから見た忍田は、真面目で清潔感もあり、社会的に安定した地位についている立派な男性だ。メールでのやりとりでもいつも感謝の言葉で締めてくれ、人柄も大変好ましい。実家に戻り知らない男と結婚させられるよりも百倍マシ、いや忍田とならラッキーにもほどがある。忍田となら籍の一つくらい安いものだが、入れなくていいときた。給料もでる。家賃無しの住み込み。

「忍田さんは本当にいいんですか? 酔っ払いの戯言にしないでくださいね」
「ああ。君のご両親が私で納得してくれるといいのだが」
「それは大丈夫です。あの人たちは肩書き大好きなので」

 ナマエは空になったグラスに、残り少なくなった並々と注いだ。呼び方も変えないとですねえ、と呑気に言う。

「乾杯しましょう。真史さん」

 こうして、この晩、忍田夫人(仮)は誕生したのだった。尚、忍田が結婚をしたというニュースはすぐさまボーダー内に広まり、ボーダー内はしばらくその話で持ちきりだったとか。
 弟子が「俺、なんも聞いてねえ」とぶつくさ文句を言っていたのは、また別の話。




(21.05.22)



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