恋に気づけば



 大学に入ってからできた男友達。それが諏訪。
 金色に染めたツーブロックの髪型、目つきが悪い三白眼。必修科目の教室で、はじめて見た時の印象は「怖い。ヤンキー。近づかんとこ」だった。
 諏訪は席に座って本を読んでいた。片手で文庫本を開き、考えるようにして読んでいるせいで、余計に目つきが怖く感じた。
 諏訪がたまたま読んでいた本。開かれているページはだいぶ黄ばんでいた。本の端はかなりボロボロになっているのに、カバーはつけていない。
 それはなかなか読んでいる人が少ないマイナーな本で。だいぶ昔の本で絶版になっているから本屋にはもう並んでなく、図書館か古本屋じゃないと見つからない古い本で。そして私の好きな作者で。
 感想を言いあいたい欲と、ヤンキーに話しかけるなんて怖い気持ちが、私の中でバチバチ火花を散らし。
 授業中ずっと悩んで考えた結果、自分の欲に負けた私は休み時間、諏訪に話しかけた。
 いきなり声をかけた私を、諏訪は訝しげに見た。誰だって知らない人から急に話しかけられたら驚くだろう。けれど本のことを話すと、諏訪も誰かと共有したかったらしく、表情は一気に軟化し、私たちは学食でああだこうだと本について話しあったのである。
 それが私たちのはじまりだった。


 男女の友情は成立する。
 なんかの本か雑誌かで見て、そんなわけあるかと思ったけれど、諏訪と知り合ってから私はそれを身をもって体験している。
 諏訪と知り合ってからもう三年も経っている。諏訪は見た目の割にいい奴だ。サッパリしているせいか、聞き上手というか、気を遣うのがうまいせいか、諏訪はすごく話しやすい。口は悪いけれど、そこは慣れた。諏訪も私と本の話ができるのがいいらしく、私たちは大学でよく一緒にいる。諏訪の所属しているボーダーのことは守秘義務があるから知らないけれど。
 たぶん、私たちは親友なのだ。
 ただの友だちよりは一歩踏み出した関係。一緒にいて居心地がよすぎるせいか、その先に進んだことはない。成人してお酒を飲むようになっても、酔って間違いなんて起こしたことがない。
 それでいいと思っていた。



「え、だれ」

 一限の授業のために大学へ行くと、知らない男が諏訪の席に座っていた。

「んだよ。俺だわ」

 その声で知らない男が諏訪だということに気づき、私はここが教室だということも忘れて叫んでしまった。

「え? ええ? えええ⁈」
「うっせえ」
「え、だって、だれ⁈」

 いつもワックスでセットされている髪は逆立っていない。重力に沿ってぺたんとしている。目つきは変わらず悪く、髪の色が金色なのは同じなのに、まるで別人のようだ。
 髪の毛セットしてない諏訪、はじめて見た。
 刈り上げているところが隠れて、いつもよりもちょっと幼く見える。ワックスで固めているからいつもカチカチの髪は、意外と柔らかそうに真っ直ぐしている。
 ええ……諏訪って、髪の毛下ろすとこんなかんじなんだ。
 なんだろ、これ。
 なんだ。なんか、ヤバい。
 普段と違う諏訪の姿に、心臓が跳ねている。
 諏訪に対してはじめて抱く感情が、私の胸の中をぐるぐると回っている。胸だけじゃない。頭の中も、目も、諏訪を感じるすべての五感が、全力で諏訪に反応してる。

「おめー、顔ヤベェぞ」
「うるさいな!」

 誰がさせてると思ってるんだ、と叫びたいのを飲み込む。諏訪は私を見て笑った。それだけで私の胸はギュンと鷲掴みされてしまう。

「め、めずらしいね! 髪セットしてないの。なんかあったの?」
「あ? あー……少しな」

 諏訪はもごもごと言葉を濁し、頭を乱暴にかいた。
 その時。その瞬間。
 諏訪の髪からふわりと香ったのは、女物のあまいシャンプーのにおいだった。
 私はぴしりと固まってしまう。
 女物のシャンプー。セットされていない髪。
 さらに付け加えると、この授業は朝一番。

 それって、つまり。

 ――知らなかった。
 彼女がいるなんて、言われてないし、気づかなかった。
 私、どうしてショックなの。
 諏訪に彼女がいたことが?
 それを知らなかったから?
 私は諏訪のことをなんでも話せる一番だと思っていたのに、諏訪は私に彼女の存在を隠していたから?
 きっと全部だ。
 一緒に本屋行ったり、本の貸し借りしたり、いっぱい話して出かけて、そういう時間たくさんあったのに、諏訪は私に一言も彼女のこと言わなかった。私に教えてくれなかった。
 さっきまで私の全身を駆け巡っていたふわふわとした気持ちが、さあっと熱を失っていくのがわかる。自分でも驚くくらい冷えていく。
 それでも、私の中に芽生え始めていた行き場のなくなった思いは消えることがない。
 目の前がにじむ。諏訪の輪郭が歪む。そうさせているが自分の目から溢れている涙だと認めたくなかった私は思わず、

「すわの、諏訪の、ばかあああ」

 と、諏訪へ暴言を吐くしかできなかった。

「はあ⁈」

 急に泣き出した私に驚いた諏訪を残し、教室を飛び出した。授業なんてどうでもいい。
 男女の友情は成立する。
 この三年近く、ずっと思っていた。
 でも、実際には男女の友情なんて成立しない。そんなのありえない。
 だってさっき、私は気づいてしまったのだから。
 諏訪のことが好きだと。

    ◯

 暴言を吐いて逃げてから、何通か携帯に連絡がきた。諏訪からの「おい」とか「返事しろ」とかの短文すぎるメッセージに返信できないでいると、ついにそれも途絶えてしまった。
 来るとどうしようという気持ちになるのに、来ないとさびしく感じるのは、たぶん私が諏訪に友人以上の好意を抱いているからなのだろう。
 私は諏訪の一番だと思っていた。
 でも諏訪の一番は、私じゃなかった。
 きっと私じゃない女の子が、私が見たことのない諏訪のいろんな表情を一番近くで見てるんだ。そう考えただけで、傷に消毒液をかけた時みたいに、ズキズキと胸が痛む。
 一限の授業、サボっちゃおうかな。
 諏訪に会うのが怖くて、授業を休もうかと思ったけれど、この授業は成績評価に出席も重視されているので、できることなら休みたくない。行くだけ行って、諏訪から一番離れた席に座るか、もし姿を見るのも辛かったらその時は潔くサボろうと決めて、大学へ向かった。


 いない。
 教室の扉を少しだけ開いて、隙間から室内を見回す。けれど中には、あの目立つ金髪は見当たらない。よく諏訪が座っている席にも、誰も座っていない。
 ギリギリに行ったので、座席席はだいぶ埋まっている。たまたま扉に近い一番後ろの席が空いていたので、そこに座り、小さく息を吐く。もしかしたらボーダーの用事が入ったのかもしれない。
 よかった、と教科書を取り出していたら、左隣にドサっと見慣れたカバンが置かれた。
 そのカバンは一年の頃から変わっていない。カバンの角は擦れていて、よく見ると飲み会でこぼされたのか油染みがある。カバンを置いた人物は乱暴に椅子をひいて、音を立てて座った。彼が吸い始めた時は臭いと感じていたのに、いつの間にか慣れてしまったタバコのにおいが、私の肩を縮こませる。

「よォ」
「お、おは……よ」
「逃げんなよ」

 そっと教科書をしまおうとしたが、その前に諏訪に釘を刺されてしまった。
 そうしているうちに教授が入ってきて、授業が始まる。どっちにしろ身動きが取れなくなってしまい、諏訪の隣で授業を受けることになってしまった。
 でもなにも頭に入ってこない。さらさらとペンを動かし、板書をする諏訪の右手だけが、チラチラと私の視界に入ってくる。
 関節の太い指がたまにペンを器用に回す。書き間違えた時は消しゴムは使わず、ぐるぐると汚い円を上から書いて消す。講義を聞いている時は、無意識なのかペンの後ろでトントンと机を叩く。
 諏訪は私の隣にいて、すごく近いのに、私は諏訪の顔を見ることができない。
 私のプリントは真っ白だ。諏訪と違って、一文字も書けていない。それどころか、ペンすら動かせなかった。教授の声が頭に入ってこないから、なにを書いていいのかわからないのだ。
 左側からスッとプリントが滑ってきた。それを手元に寄せる。そこには『勘違いすんな』と、走り書きされていた。

『彼女いたんだね』

 右上がりの諏訪の文字の下に、私の丸っこい字が並ぶ。プリントを諏訪へ戻した。
 諏訪はそれを見て、なにか書き込んでから私に寄越す。

『ちがう』
『?』
『だれともつきあってねえ』

 諏訪のひらがなを、まじまじと眺める。
「彼女じゃないの?」小さくこぼすと、その声は諏訪に届いてしまったらしい。諏訪も低い声で小さく「あー」とため息を吐いていた。またペンを動かす。

『よくわかんねーけど、俺はそんなんいねえ』

 それを見て、私はやっと諏訪の方に顔を向けることができた。先週と違って、しっかりセットされている髪。ちょっとめんどくさそうにしている諏訪。

『うそ』
『そんなうそつかねー』
『でもこないだシャンプーおんなものだった』
『あとではなす』

 諏訪はそう書いてプリントを引っ込めた。また板書をし始める。縮こまっていた私の肩はゆっくりと解けていき、ようやく私は自分のプリントに文字を書くことができた。



 けっきょくのところ。
 あの日、諏訪はボーダーの急な任務が早朝まであり、家に帰らずボーダー本部で軽く寝てからシャワーを浴びてそのまま登校した。女物のシャンプーのにおいがしたのは、たくさん試供品があるから使えと歳下の子に言われ、逆らえず渋々それを使ったから。髪をセットしていなかったのは、持ってくるのを忘れ、その時にいたメンバーが誰もワックスを持っていなかったから、らしい。
 そして私はもう少ししてから、髪を下ろした諏訪をよく見るようになり、幼さの残る諏訪の姿に慣れてしまう。
 どこで見るのかというと。
 それは夜とか朝。場所は、彼の部屋で。




(21.09.04)



- back | top -