ララバイ・ハイウェイ


 最近、やたら忙しそうにしているなと思っていた。大学の空きコマは図書館で勉強するような勤勉な人なのに、図書館にいる姿はなく、授業中もたまにうとうとと船を漕ぐ寸前の様子。ボーダーの任務が多いのかなと心配したけれど、そういうわけでもないらしい。
 なんだかいつもと違う。それはわかる。さりげなく聞いてもうまく誤魔化されてしまった。女の勘というか、恋人としての不安というか。こういう嫌な違和感は無視しちゃいけないものだ。
 なので。

 ――ボーダー本部、ラウンジにて。
「そりゃ女だな」と太刀川くん。
「来馬くんに限ってそれはないわ」と加古ちゃん。
「オレもそう思う」と堤くん。
「……」知るかといった表情の二宮くん。
 いいとこのお饅頭を餌に、このメンバーを集めた。二宮くんは無理矢理引き摺ってきた。
 錚々たる顔ぶれが集まっているせいか、遠巻きに視線を感じる。まあ無理もない。隊長が三人もいるのだ。ランク戦もない中、鈴鳴支部の来馬くんは滅多なことがない限り本部へ訪れることはない。だからここ最近の来馬くんについて相談したものの、ほとんどは雑談だし、二宮くんに至っては退屈と面倒が顔に出ている。

「そんなに気になるなら村上とかに聞けばいいじゃねーか」
「村上くんは告げ口とかしたら罪悪感で潰れそうだからダメ。太一くんは私が何か聞いてきたって来馬くんに言いそうだからダメ。今ちゃんはなかなか会う機会がないし、こういうのはメールで聞きにくい……」

 なるほど、といったように全員頷くので、私はヤケ酒ならぬヤケ饅頭をするしかなかった。結局その後はぐだぐだと意味のないどうでもいい話に転がっていったので、その日は解散となった。加古ちゃんが「来馬くんなら、きっと大丈夫だと思うわ」と最後に言っていたのが、やけに頭に残った。

 次の土曜日空いてるかな。
 来馬くんからそう連絡がきたのは、あの饅頭雑談から一ヶ月ほど経った頃だった。空いてるし、もし予定があっても絶対に開けてみせる。すぐに大丈夫と返信すると、また来馬くんからメールが届く。
 次の土曜日迎えに行くね。歩きやすい靴にしてくれたら嬉しいな、と締められたメールに、いつもなら駅前とかで待合わせなのにどうしたんだろうと思いながらも、久しぶりに二人だけで出かける週末に心が躍るのだった。
 そして週末。靴は悩んだ結果、低いヒールのついたバレエシューズを選んだ。歩きやすさでいえばスニーカーとかだけど、かわいさを捨てることはできなかった。だってデートだもの。
 鳴らされたチャイムに呼ばれて玄関を出る。春の日差しのように穏やかな微笑みを浮かべた来馬くんが待っていたのに、私の視線は来馬くんの後ろに釘付けになってしまった。

「な、なにこれ⁈」

 来馬くんの背後には一台の高そうな車が停まっていた。四つの輪が連なるエンブレムは私でも知っているアウディ。でも、たしか来馬くんは免許持っていなかったはず。

「免許をとったんだよ。車は家のなんだけど、一番初めに乗せたくて……あ、でも大丈夫だよ。たくさん練習したから」

 目をぱちくりさせている私をさりげなく誘導して助手席のドアを開けてくれる来馬くんは、まさにジェントルマンとしか言いようがない。私が助手席に座るのを確認すると「シートベルトつけてね。じゃあ閉めるね」と言って半ドアにならないくらいの力を込めて、そっとドアを閉めてくれた。張りのある高そうな革のシートに緊張してしまう。
 免許? 車? どういうこと?
 ついていけない私と、いたずらが成功したかのようににこにこ微笑んでいる来馬くん。来馬くんはシートベルトをつけると、エンジンをかけてアクセルを踏んだ。
 ゆっくりと走りだす車を動かしているのは、運転席に座っている来馬くんで。背筋をまっすぐに伸ばし、住宅街なので前方や左右を注意している。ハンドルを握る手は少し力が入っていて、でも力みすぎないように気をつけているように見えた。私ははじめて見る彼の運転姿に釘付けだった。

 山道を走らせた来馬くんが連れてきてくれたのは、先日テレビで紹介されていた高原にある公園だった。公園といっても園内はとてつもなく広い。山を楽しみながら見る名物は四季折々に咲く花々だ。自然に囲まれているからか、空気が澄んでいる。ハイキングとまではいかないけれど、広大な敷地を歩くために来馬くんは歩きやすい靴とメールしてきたのだろう。気遣いができる人だ。
 難なく駐車場に車を停め、エンジンを切った来馬くんは、ふう、と息を吐いた。やっぱり少し緊張していたのだろう。私はずっと気になっていたことを訊ねた。

「最近忙しそうにしていたのって、自動車学校に通ってたから?」
「うん。言いたかったんだけど、任務で授業に出られない時もあったし、これで免許取れなかったら恥ずかしくかったから……内緒にしててごめんね」

 照れ臭そうに笑う来馬くんに、少しでも彼を疑っていた自分が恥ずかしくなった。

「……ごめん、ちょっと疑ってた」
「ぼくも黙ってたからおあいこだね」

 不義を疑われていたにも関わらず、笑って許してくれた来馬くんは、私の手を取って「行こう」と優しく引っ張ってくれた。
 自動車学校は加古ちゃんが紹介してくれたらしく、だからあの時加古ちゃんは大丈夫だと言っていたのだと合点がいった。
 こういう隠し事は悪くない。それに、優しさのかたまりである彼が、人を悲しませるようなことをするわけがないのだ。



「あ、ごめん……寝てたかも」

 うつらうつらする中、カクンと首が落ちたことで意識が浮上した。どうやら高速道路を走っているらしく、車は一定の速さを保っている。
 運転には本性が出ると聞いたことがある。ハンドルを握ると性格が変わるとか。乱暴な運転をしたり、必要以上に煽るとか。隠されている気質が現れやすいらしい。
 来馬くんの運転はとにかく丁寧だった。曲がる時も、車線変更をする時もハンドル捌きは滑らかで、アクセルを踏んでスピードを出す時もゆるやかだし、ブレーキだって慌てて踏まないからか前のめりになることもなかった。
 陽が落ちるまでたくさん歩き回った体に、来馬くんの運転はゆりかごのような心地よさで、睡魔がさざなみのように私を襲う。でも助手席で寝るのはよくない。私が眠いように、来馬くんも眠かったら申し訳ない。私は免許を持っていないから運転を交代することはできないから、せめて起きることくらいしていないと。
 そう思って手のひらをつねってどうにか目を覚まそうとすると、

「寝てても大丈夫だからね」

 と来馬くんは子守唄のように囁くのだった。




(21.06.08)



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