お気に召すまま


 ゆっくり三回。軽く握った右手の第二関節あたりで扉をノックしてから生徒会室に入ると、そこには生徒会長である蔵内先輩が立っていた。
 書類の整理をしていたのだろうか。手には数冊のファイルを手にしており、生徒会長専用の机には紙が広がっている。副会長の綾辻さんや、他の役員の姿はない。私と蔵内先輩の二人きりだ。
 蔵内先輩はなにも言わずに入室した私に、人のよさそうな笑顔を浮かべた。

「今、片付けるから待っていてくれ」

 その声は落ちついているようで何処となく弾んでいて、私の気分を沈めさせるには充分なものだった。
 蔵内先輩が私を呼び出す時は人払いをしていることを知っている。それでも、どうか誰も来ませんように、と願いながら私は生徒会室の内側から鍵をかけた。鍵を回す時に少しコツがいって、つまみの部分をわずかに持ち上げてから回さないとスムーズに鍵がかからない。
 このやり方も最初はうまくできなくて苦戦したけれど、もうすっかり慣れてしまって一回でできるようになってしまった。生徒会の予算が余っているならさっさと直してしまえばいいのに、自分達のことに使うのは後回しらしい。そうやって何年も経っているのだろう。蔵内先輩もこの鍵の閉め方を、前の生徒会の先輩から聞いたと言っていたから。
 扉の近くに立ったまま下を向いて、生徒会室の床の木目を数えていたら、蔵内先輩に呼ばれた。蔵内先輩は会長専用の机の側から動かない。私がそちらに行くことを当然のように待っている。
 ああ、やだな。と思ってしまう鬱々した気持ちは、私の足首に鉄の塊が繋がっているんじゃないかと錯覚させてくる。私は足枷がついたような奴隷のように重たい足取りで、一歩一歩のろりと蔵内先輩に近づいていった。

「掛けてくれ」

 蔵内先輩にそう言われた私は、机の引き出し側に回り込み、おしりを乗せた。
 生徒会長が使う、机の上に。
 椅子なんてたくさんあるのに、蔵内先輩はこの机の上に腰掛けることを所望する。さっきみたいに書類を並べたり、文字を書いたりするところに座れと言うのだ。行儀が悪いとか苦言しそうなのに、椅子に座ることは許してくれない。
 硬い机の上に私が膝裏あたりまでしっかりと乗せるのを、蔵内先輩は注視していた。爽やかそうな外見と裏腹に、ねっとりとした視線が嫌になる。

「……どうぞ」

 私の声が耳に届いた途端、蔵内先輩は私の足元にスッと片足を立てて跪いた。そして蔵内先輩から見て右足――私の左足を手に取り、上履きをまるでガラスの靴かのように、おそるおそるといった手つきで脱がした。
 上履きの次は靴下。学校指定の膝下までのソックスを生地を伸ばさないように、引き下げていく。
 窮屈だった靴下を脱ぐと、解放感が訪れる。締め付け感のある布に密閉されていた足は自由になった。
 蔵内先輩は靴下を、ぽいと床に投げた。この人は私の身体から離れたものには興味がないのだ。あんなに大事そうに手に取っていた上履きだって、靴の底が天井を向いて生徒会室の床に転がっている。せめて逆向きに置いてほしい。
 そんなことを考えていると、脛のあたりが蔵内先輩の両手に包まれ、足の線に沿って硬めの感触が降ってきた。蔵内先輩の唇はそこまで柔らかくない。けれど荒れていることはなく、唇の皮をすぐ剥いてしまう私とは大違いだ。
 蔵内先輩の唇はリップ音をわざと立てながら、足首へ移動していった。私からは、蔵内先輩の左右にぴったりとわけられた分け目しか見えない。いつも真ん中で丁寧に整えられている分け目を見下ろせるのは、きっと私くらいだろう。蔵内先輩は結構身長が高いから。この分け目を見るたびに変な優越感に浸ってしまう。

「先輩」

 足の甲を少しだけ上に向けてやる。蔵内先輩は私のかかとを持って、甲にうやうやしくキスをした。膝下や足首にしていたものとは違い、なにか気持ちを込めたように私の目に視線をあわせながら、蔵内先輩は私の足の甲にキスを落とす。
 そして足の指の方に向かっていき、親指をぱくりと口に含んだ。

「……んっ」

 私の足は大きすぎず小さすぎない平均的なサイズで、五本の指の中で親指が一番長い。長いといっても雑誌のモデルのようにすらりとして長いわけでもなくて、あくまでも五本の指の中で、の話だ。そして親指から小指にかけてどんどん短くなっていく。骨張っているわけでもなく、赤ちゃんのようにぷにぷにしているわけでもない、普通の足だと思う。夏はサンダルで日焼けしたりもする。一度だけ蔵内先輩は爪の形が綺麗だと呟いていたことがあった。自分ではあまりよくわからない。
 蔵内先輩は親指を口に入れて、口内で舐めたり吸ったりしていた。たまに甘噛みされるけれど、歯型をつけられたことは一度もない、と思う。
 この感覚は棒付きキャンディーを食べる時に似ている。舌で外側のラインをなぞって、舌を巻きつせて形を確かめて、甘いところをすべて余すところなく味わおうと執拗に舐める。キャンディーが割れないくらいの力で歯をたてて、噛み切ってしまいたいと疼く歯茎を鎮める代わりに痛みを与えない程度に甘噛みする。蔵内先輩はそんなふうに私の親指を舐めている。
 本当は力いっぱい噛みたいと思っていることを知っている。歯型を残したいのも知ってる。口には出さないけれど、時々そういう目をしているから。私の足の指を舐めるのに夢中で、荒くなった鼻息が親指の付け根に当たる時は大抵そう。
 蔵内先輩は私の足の親指、人差し指、中指と順番に堪能して、短い小指をソフトクリームが溶けている時みたいにペロペロと舐めていた。
 指を舐められている時は、指の皮がふやけるくらい舐められるから最後の方は感覚がなくなってしまうのだけど、足の指の間の薄い皮を舐められるのだけはいつまでも慣れない。この薄い皮を舐められると口から変な声が出てきてしまいそうになるので、私はいつも違うことを考えて足に集中しないようにするのに必死だった。
 蔵内先輩は私の足を舐めることが好き。でも、それ以上のことを私に求めてきたことはない。私の足が好きなのか、私のことが好きなのか訊ねてみたい。きっと優しい先輩のことだから困ったように笑ってはぐらかすのだろう。そしてはぐらかされた真実の答えは前者に違いない。
 冷静で知的といわれ生徒からの信頼も厚い蔵内先輩の、あの煩悩に塗れた目を知っている人は、私以外にいるのだろうか。トリオン体になって戦っている時も、ああいった目をするのだろうか。それを確かめる術を私は持っていないので、どうかあの目を向けられるのは私だけであってほしいと願うことしかできない。
 満足いくまで散々私の足を舐めた蔵内先輩は、それでも名残惜しそうに私の爪先にまたキスをした。制服のポケットから皺ひとつないハンカチを取り出して、まだ唾液で濡れているところを丁寧に拭いていく。気遣いのできる人だなあと初めの頃は思ったけれど、実質は私の足を舐めたがる変態なのでお礼は言わない。
 その代わりに。

「先輩、嫌い」

 嫌い、と。こういうのは言わないと、好きになってしまいそうになるから、口に出さないといけない。私なりのけじめであり、言い聞かせているところもある。
 だからいつも終わった後、生徒会室のソファーで靴下を履きながらそう言う。舐める前は嫌がるくせに、終わった後は椅子でもソファーでも自由に使っていいらしい。
 蔵内先輩は座り心地のよさそうな椅子に座り、先程まで私が座っていた生徒会長用の机に向かって、またなにか仕事を始めていた。もう彼の目はギラギラと欲にまみれたものではなくなっていた。いつもの、生徒会長の蔵内先輩になっている。切り替えのはやい男だ。
 毎回嫌いだと言っているので蔵内先輩も慣れてしまったのか、私の暴言を咎めることはしない。結局呼び出されると、私はここに来てしまうので、本気にしていないのだろう。本気なのに。本当に、私の足だけにしか興味がない蔵内先輩は嫌いだ。

「そうか。でも俺は好きだよ」

 これも毎度の、お決まりの台詞になってしまった。
 なにが、とは今日も訊けなかった。




(21.06.22)



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