ビターキャラメルナイト


 高校最後の夏は忙しい。次の冬に待つ大学受験のために、朝から晩まで予備校通い。夏の陽射しで輝く青春なんて何処へやら。冷房が効きすぎた大部屋でシャーペンを動かす毎日だ。椅子に座りすぎてお尻が硬くなったような気もする。
 太陽はとっくに姿を隠してしまったのに、もわりとした重たい空気が暗闇を漂っている。予備校の教室で冷えた体にはちょうどいい。とはいっても、予備校から一歩踏み出すと不快な温もりがベールのように纏わりついてきて、汗をかき始めてしまうのだが。
 我ながらよくやってると思う。午前中から自習したり講習を受けたり過去問を解いたり、それを夜まで。なので自分へのご褒美として、予備校帰りにコンビニで好きなものを一つ買うのが最近のマイブームだ。ほぼ毎日同じ時間に行くので、コンビニ店員とも顔馴染みになってきた。
 コンビニの自動扉が開く時に鳴る来店音と共に涼しい店内に足を踏み入れる。昼間はレジ待ちの列が通路に沿って長く伸びているのに、この時間はいつも人数が少ない。今日も店内には数えるほどしかいなかった。レジカウンターの中に立っている店員は眠いのか、暇そうに欠伸をしている。
 そんな中、スカスカの店内に見知ったクラスメイトがいた。ただの寝癖なのか、ただのボサボサなのか、そういう風にセットしているのかわからないボリュームのある髪が雑誌コーナーの前で目立っている。
「あ、水上だ」と呟くと、週刊少年マガジンを立ち読みしていた向こうも私に気づいて「おん」と片手を上げた。そのまま読みかけのマガジンを閉じてラックに戻す。

「こんな遅くに何してるの?」
「自分こそ。なんで制服?」

 制服姿の私とは違い、水上は涼しげな私服に身を包んでいた。膝丈のズボンから伸びた足は少し日焼けしている。

「予備校。制服の方が気が引き締まるんだよね」
「こんな時間までおるん?」
「家だとダラダラしちゃうから。水上はどっか遊び?」
「や、ボーダー」
「なるほど。お疲れ様」
「そっちもな」

 今日は何にしようとご褒美を探しに菓子類の陳列棚の方へ向かうと、水上ものそのそと私の後ろをついてきた。並んでいる駄菓子を眺めてみるけれど、今日の気分に合う商品は見当たらない。
 次に売れ残った洋菓子しか並んでいない冷蔵ショーケースへ視線を移す。全体的に高めのものばかりだ。ここのところ毎日出費しているので、高い商品を買うつもりはない。少ないお小遣いでやりくりするしかない学生は、なるべく値段は抑えなければならない。
 ショーケースの隣にはアイスケースが連なっている。曇っている蓋の上からアイスを眺めると、手前に陣取っていたアイスが目に飛び込んできた。
 期間限定と書かれている新作のアイスバーだ。強気な価格設定のくせに一定の人気を誇るこのアイスは、新しい味が出るたびに話題になる。
 つい先日発売されたばかりのキャラメル味は、キャラメルチョコレートでコーティングされたキャラメル味のアイスクリームの中に、苦味の強いキャラメルソースとザクザクした食感のキャラメルクッキーが入っているという、キャラメル尽くしが売りらしい。
 私も食べてみたいと思っていたけれどやはり高い。氷菓が二個も買えてしまうし、値段のわりにサイズが小さい事が決め手に欠ける。これを買えば、明日のご褒美タイムはできないかもしれない。

「何迷っとんのや」

 アイスケースの前で腕組みをして動かない私に、水上が訊いてきた。いつの間に取ってきたのか、水上は烏龍茶のペットボトルを持っていた。

「これおいしそうなんだけど高いんだよね」

 新作アイスを指さすと、水上もアイスケースを覗き込んだ。

「うまいん?」
「キャラメル味がまずいはずないよ」
「めっちゃ甘ったるそうやわ」
「それがいいんじゃん」

 ほうか、と短く返した水上は、あまり同意はしていないのだろう。勝手な想像になるけれど、水上は甘い味が苦手そうだ。生クリームとかパンケーキとかパフェとか、女子ウケのよさそうなスイーツを食べてる絵面が想像できない。でもああいうキラキラふわふわなオシャレ空間の中で、嫌そうな顔をしてパンケーキを突く水上は見てみたい気もする。

「買ったる」

 キャラメルアイスバーを買うか買わないかの悩みよりも、スイーツを食べる水上のことを考えていたので、水上の唐突な申し出に「え?」と聞き返した。

「オベンキョ頑張ってるみたいやしご褒美に買うたるわ」

 水上は一番上に置いてあったキャラメルバーを掴んでレジへ歩いていく。暇そうにしていた店員が慣れた手つきでペットボトルとアイスのバーコードを読み取り、水上はさっさと会計を済ましてしまった。シールが貼られたアイスを渡される。

「はよ食べんと溶けるで」
「そうだね……ありがと……」

 コンビニの中に飲食スペースはない。店外に出て、コンビニ前のバリカーに腰掛けた水上の隣に座って、袋を破いた。
 私のお小遣いでは買うのを躊躇ってしまうキャラメルバーをおそるおそる齧る。ほろ苦さと甘さのバランスが絶妙な冷たいアイスが口の中に広がり、安いアイスにはない濃厚なキャラメルの味に思わず口を押さえた。
 鼻の奥まで味を堪能してから「甘いけど苦味もちゃんとあって、クッキーのザクザク感が飽きを感じさせなくておいしい」と感想を伝えると、水上は「よかったわ」と烏龍茶を飲んだ。
 もったいなさが勝った私はアイスを食べるスピードがゆっくりなのに、水上は帰る素振りを見せない。

「水上って進学するの?」
「そのつもりやけど」
「どこ受けるの?」
「三門。俺はボーダー推薦やから」
「あ、そっか。いいなあ……水上たちが頑張ってくれてるんだからこれは言っちゃダメだね。ごめん」
「別にええけど。試験なんて教科書読んで暗記すればできるやろ」
「それ頭良い人の発言だから」
「今度勉強みたるわ」

 肌がじんわりと汗ばんでくる。冷たさを感じるのは、アイスに触れる口内だけだ。それはアイスも例外ではなく、ちまちま食べているせいで残っているアイスの表面も汗をかき始めていた。

「一緒の大学行けたらいいな」

 残り少ない面積を伝い始めたアイスの汗を舐めてから、地面に落ちてしまわないように残りを口に入れた。最後の一口は慌てて飲みこんでしまったようなものだけど、口の中に残っているキャラメル味の余韻はまだ消えそうにない。こんな味を知ってしまったら明日から安いアイスに戻れるのかと心配になってしまう。
 バリカーから離れて、ゴミ箱に残った棒と袋を捨てる。「そろそろ帰るね」と、まだ中身の残っているペットボトルを横に持ち、シーソーのように何度も傾けている水上に言うと「もう遅いから送ったる」と呟かれた声が、ぬるい風と共に私の耳に届いた。




(21.07.17)



- back | top -