ハロー、ナイトメア

真っ赤な物が勢いよく飛び散る様がスローに映る。

ゆっくりと倒れていく黒は初めて見たもので俺はそれが何か理解できなかった。

いつもなら返り血であるそれは似合っているのに。

今は

それは

彼の



「ーーーーッ!!」

起き上がった勢いのせいでばさりとそれなりの音を立てて落ちる布団にも気が向かず、ただ慌ただしく動いている心臓を落ち着かせることに必死になる。寝汗は気持ち悪いほどで暑いから、だけではないのだろう。

「…名前?」



黒。



ベッドの側の椅子に座り本を読む姿は至極見慣れた物でいつも寝起きが悪い俺より先に起きているのはいつもと変わらないものだ。

「…何でもないよ恭弥。」

ああ、確かに夢で見た黒は恭弥であった。あの血は恭弥の血であった。精々いつも仕事でつける血は返り血かかすり傷程度のもので俺はあんな恭弥の血を見たことがない。それなのにあんな鮮明な夢を見るなんて俺の想像力も捨てたものじゃない。しかしもう少し楽しい夢にしてくれたっていいだろうに。

「顔、真っ青だけど。」
「夢見が悪くて。」

曖昧に笑う俺を訝しんではいるものの深くは追求しないでくれるらしい。俺を気遣ってくれているのかはたまた興味がないのか。どちらにしろ負けん気が強くプライドが高い彼に「恭弥が死ぬ夢を見た。」なんて言って仕舞えばとてつもない怒りを買うに違いない。寝起きからそんなバイオレンスな事態はごめんだ。それにいくらリアルで怖かったとは言え所詮は夢だ。深く考えるだけ無駄である。

「さっさと用意しないなら置いて行くけど。」
「え、もうそんな時間?起こしてくれればよかったのに。」
「なんで僕がそんな面倒なことしなくちゃいけないんだ。それに別に君がいなくても支障ないんだから置いていってもいいんだよ。」
「いや仕事だからね。俺も行かないと後でツナに怒られちゃうからね。」
「あんな小動物の言うことなんて知らないよ。つまらないこと押し付けられてる時点で腹が立つ。」

確かに今日の仕事は恭弥の言う通り難易度が高いわけでもないし恭弥の実力からしても一人で余裕だろう。そんな仕事自体も彼にとってはつまらない事で俺と一緒なせいで獲物が減ることも納得がいかないのだ。そんな彼の気持ちは分かるけれどもだからといって俺が行くのをやめると後で色んな方面から小言を言われるのは避けられなくなる。ただでさえボンゴレに所属の俺が恭弥の側にいるのはツナやみんなに我儘を言ったからで今以上に迷惑をかけるのは嫌なのだ。

「はぁ…仕方ないね。早く用意しないなら本当に置いて行く。」
「ま、待っててすぐ用意する!」

俺の意を汲んでくれたのであろう恭弥は再び本を開いていたので俺を待ってくれるらしい。それでも少しでも彼の機嫌を損ねないようにと思うならば急いで用意をしなければならない。

俺と恭弥の出会いは至って単純。元々俺はボンゴレの本部在住の日本人で、門外顧問である家光さんに恩義があり部下として働いていた。そして9代目が引退し家光さんの息子が10代目になると言うことでサポートを頼まれた。そしてツナの10代目就任式の時に初めて恭弥に会った。それは一目惚れであった。初めましての挨拶も忘れるほど恭弥に見惚れていた。そこからは俺の熱烈なアプローチが始まりボンゴレを離れ風紀財団への所属となる。この時既に門外顧問を離れていたため大きな反対も無くツナも俺のワガママを笑って許してくれた。勿論昔からの恩もあるのでボンゴレの仕事も頼まれれば受けるが専ら俺は恭弥の側でのサポートがメインとなっていた。

我儘で勝手な俺を無下にするわけでもなくだからと言って何かしてくれる訳じゃなかったが側に居れるだけで嬉しかった。風紀財団に入ってからも俺のイタリア育ちのアプローチは止まることを知らず、努力の甲斐あって恭弥と恋人という関係になった。そして今も決して平和とは言えない仕事ばかりだがそれなりに穏やかに暮らしていた。間違いなく今の俺は幸せなのだ。



「……ハァ、これで終わりかな?」
「退屈しのぎにもならないね。」

丁度弾切れになった銃を片付け恭弥を見ると傷一つなく返り血のついたトンファーを振って血を飛ばしていた。

「弾、切れたの?」
「ハハハ…さっきので丁度。」
「終わったからいいけどさ…君、今日乱発し過ぎじゃない?」
「え、そう?そんなことないと思うけど。」

怪訝な目で見られても俺にそんな自覚は無かったし寧ろいつも通りだと思っていたのだが目の前の人物は何か気掛かりらしい。いつも俺のこともそんなに興味を示すわけじゃないのに珍しい事もあるものだ。何にしても無事に仕事は終わったのだ。いつまでもこんな血生臭い所にいる趣味は恭弥にはあるかもしれないが俺にはない。

「もう終わったんだからいいじゃんか、帰ろうぜ。」
「…あぁ。」

歩き出した恭弥の背中を見つめながらのんびりと着いて行く。そんなに長い付き合いでもない。多分、ツナ達と比べたら俺と恭弥の仲は長くない。それでも俺はシャンと伸びた彼の背中をこんなにも愛しく思う。俺を気遣う事なく長い足で歩く彼と俺の距離はのんびりして居たら直ぐに離れてしまう。それでも彼のその揺るぎない姿が大好きだ。近づき過ぎて背中が見えなくならないように、でも離れ過ぎないように。のんびりと彼の背中を見ていた。こういう時、場に不釣り合いでも
好きだなあとしみじみと感じる。そんな時間も好きだ。







………カタン。



…おかしいな。仕事は終わってるはずだから生き残りなんて居るはずなくて背後から物音なんてなるはずがないのに。なんてのんびりと考えていたが体は職業病のように素早く反応する。仕舞われた銃は振り向くと同時に手に収まっていた。

驚き、よりも仕事に対する本能的な反応で冷静になったのは振り向いた後だった。引きずるように上半身のみを上げた青年の手にはこちらを向いている銃口。狙いはきちんと俺に定まっている。対する俺の手にも青年に銃口が定まっているものがある。けれど同時に思い出す。

あれ。そういえば、弾、切れてるんじゃなかったっけ。

さっきの会話を聞いてなきゃそりゃ今銃向けないよな。勝ち目ないのなんて分かってるんだから。なんて呑気な事を考えている間にも青年の手に力は篭っていた。やっぱり恭弥の言う通り今日の俺は調子が悪かったのかもしれない。普段ならこんなヘマはしないし弾が残ってないなんて事もない。普段なら避けれそうだけど、今日ばかりはどうにもダメそうだ。パンッ、とどこか軽く聞こえる音が反響する。それと同時に俺の視界は黒く染まる。

それは見慣れた黒。

何よりも愛しい黒。

「……?」

勢いよく飛び散る真っ赤な何かと倒れていく黒。それは夢で見たものと同じだった。夢で見た恭弥の姿と同じだった。

「きょ、うや…?」

静かに倒れた恭弥は珍しいぐらい大人しくて、まるで死んだみたいで。普段なら直ぐに起き上がるのに、いや寧ろ倒れるとこすらレアなのに。何を地面に突っ伏しているのやら。

「……早く起きろよ…何してんだよ。見下ろされるの嫌いだって、お前、なあ…。」

例えばもう一発だけ弾があれば。

「恭弥っ、起きろよ!なぁ!起きろってば!」

例えば俺が彼の背中を見つめていなければ。

「恭弥が居なくなったら、誰が俺を起こすんだよ!」

例えば今日俺が着いていかなければ。

例えば、例えば



例えば、



あの日出会わなければ。



「恭弥っ……!!」



そういえば日本にはこんな言い伝えがあったっけ。



悪夢は人に話さないと正夢になると。