蛹の成長録

耳に歪な穴が増えて、増やして。自分でもそれが何個目か分からなくなって。耳に穴が増える度、どんどんと心臓もスカスカの穴だらけになった気がする。そしてその穴に埋める何かを、ずっと見つけられないでいる。

「それ自分で開けたの?」

何処に行くでもなく公園のベンチに座っているだけの俺に声をかけた人は夕焼けが逆光で顔が良く見えなかった。

「しかもピアッサーでも無さそうだ。安全ピン?痛かったでしょ。」
「…見ただけで分かるもんなの?」
「ま、職業柄ね。」

そう言い勝手に横に座った時、ようやくこの男の顔が見えた。整った顔より気になったのは、耳が隠れるほどの大小様々なシルバーのピアスと唇にも輪っか状の物。よく見れば首筋には黒い模様、刺青だろうものが襟に隠れ切れずに見えていた。柄物のシャツとパーカーに丈の短めのズボンそして大きなスニーカー。見るからに柄が悪そうな姿だが粗暴な雰囲気ではなかった。ただ横に座っているだけなら害は無いかとまた深く座り直した。

「そんなに開けてるのにピアス着けないの?」
「持ってない。」
「えぇ?勿体無いなぁ。」
「学校に着けて行ったら没収されるし遊びに行く事も無いし……高いし。」
「あ〜、まあ見たところキミ中学生だもんな。高くも感じるか。」

男は背凭れにだらしなく凭れて言う。俺は帰るタイミングを逃し、ただ暗くなっていく空を眺めていた。

「明日も同じような時間においで。」

見知らぬ、しかも怪しい男のそんな発言聞かなかった事にするのが一番正しい。けれど彼が隣に座っても立ち去らなかった時点で俺はこの男に警戒心など持っていなかったのだ。小さく頷きだけを返すと男は満足そうに笑って去って行った。



「よっ。」
「どうも。」

昨日と変わらないような時間に約束通り公園に訪れると、昨日と違って男が先にベンチに腰掛けていた。相変わらず派手な出立ちをしていて夕方の公園が似合わない。

「コレ、やるよ。」

そういい男がポケットから出したのは小さな袋に入ったピアスだった。シンプルなデザインのピアスが俺の耳の穴の数分だけ。

「え。」
「もう使わねえやつだし、ちゃんと消毒とかもしてるから安心しろよ。」

そういう問題じゃない。

「俺、金ないって…。」
「んなもん中学生から取るかよ。気にせず持ってけ。」
「でもっ、」
「あー……、じゃあタトゥーとか興味ある?」
「え?」

そう言う男に連れて来られたのは如何にも怪しげな雑居ビルだった。エレベーターも無い薄暗いビルの2階。男が1人喋るだけで会話らしい会話はここまで無かった。俺は相変わらず隠し切れていない男の首筋の刺青を見ながら先程の質問の事を考えていた。実際のところ興味はある。ただピアス以上にバレた時に目立つしお金も掛かるし何より痛そうだった。それでも昨日男のソレを初めて見た時羨ましかったのは事実だ。だからこんな所まで着いてきてしまった。

「ソレ、痛い?」
「ん?あぁ、これ?痛かったけど、キミのピアスも大概だろ。」

古びた革張りのソファに座った男は公園のベンチと同じ座り方をする。出された麦茶が何となく家庭的な感じがしてこの場所と男ともアンバランスだ。部屋の奥にはカーテンで仕切られた場所がありそこら中にある器具は見慣れないものばかりだった。

「ここまで来たら分かるか。俺、彫師やってんだけどさ。まあ来る客来る客、歳行ったおっさんだとかチャラチャラしたヤンキー気触れみたいな汚い体ばっかなわけ。仕事とは言え一つ一つ作品だからさ、綺麗な体な方が見栄えが良いから若い子程彫りたいわけ。でも若い子でタトゥー彫りたいなんて子居ないじゃん?金も掛かるし。で、もしキミがタトゥーに興味あるなら彫らせてくれないかなって。タダでピアスを貰うのは気が引けるんだろ?勿論、彫りたく無いなら無いでピアスはあげるけどね。」
「それ結局アンタに何の得もないんじゃ…。」
「言っただろ?俺が彫りたいんだ。その綺麗な体を傷付けれるなら得しかないね。」

ああ、俺はとんでもない人に着いてきてしまったのかも知れない。聞き様によってはただの変態だ。中学生を捕まえてこんなこと。そう思っても、選択肢は決まっていた。

「……名前は?」
「そういやまだ名乗ってなかったか。苗字名前。キミは?」
「宮村、伊澄…。」
「伊澄か。良い名前だ。それで、どうする?」
「良いよ、彫って。」

元々ピアスを開けた頃から興味はあったのだ。それがタダだと言うなら願ったり叶ったりだ。

「え、ホントに!?いいの!?」
「名前さんから言ったんでしょ。」
「うわっマジか!よっしゃー!どんなのにしようか!どういうのが良いとかある!?」

今まで見せてた怪しげで無表情な顔は飛散し歳に合わない無邪気な顔。静かで綺麗な顔だとは思っていたがそんな幼い顔も違和感がない。こういうのを人たらしと言うのだろうか。嬉しそうにバタバタとさっきまでのダラけた雰囲気は無く忙しなく部屋を走り回っていた。

「じゃあ今度暇な時また来てよ。それまでに最高にカッコいいの考えとくから!」
「うん、わかった。」
「はいこれ、約束のピアス。折角なら着けて帰れば。ほら耳出しな。」
「うわ、っ、ちょっと…!」

冷たい手が不躾に俺の耳に触れる。人に耳なんて触られた事が無いからむず痒くて仕方ない。案外骨っぽい手は器用にピアスを付けていく。

「似合ってるよ」

鏡を見る事もできず自分じゃどうなってるか分からない。けれど目の前の人は楽しそうに言うものだからそう悪くは無いのだろう。

「…ありがとう。」
「おう、じゃあまた今度な。」





「……痛い。」
「当たり前だろー。」

背中が焼けるようなジリジリとした痛みに覆われている。なんだか服を着るのも痛そうでうつ伏せに寝転んだまま数時間が経っていた。

「それ、これから体育の時どうすんの?」
「あっ…。」
「考えてなかったの?馬鹿じゃん。」
「…。」
「拗ねんなって、ほら鏡見てみろよ。」

ようやく起き上がり言われた通りに鏡を見る。肩から背中に掛けて流れる様に描かれていたソレは自分の体にあるものとは思えないぐらい綺麗だった。

「ちょーイカしてるだろ。」
「すご…。」
「痛いのはまあ我慢な。」

そう言われて改めて痛みを認識するとまた心臓を削った様な気がした。熱はあるのに反対に芯は冷めていく様だ。

「ま、いずれその痛さが要らなくなる時が来るよ。」

その時の俺はまだ名前さんの言ってる意味が分からなかった。





古びた雑居ビルの2階。数年振りに行くのに道はハッキリと覚えていた。薄情と言われればそうなのかもしれない。あの日、初めてタトゥーを彫った日からあの人には会っていなかった。別段親しかった訳でも無いし、あの日以降あの人が公園に現れなかったのもある。あの人の仕事場である雑居ビルに1人で入れる度胸がある程大人でも無かった。連絡先も知らないからこの数年間で引っ越しをしていたらそれまでだった。だからここにきて見覚えのあるままなことに安心した。数年も来なかったのに今ここに居るのは、ようやくあの時名前さんが言ってた言葉の意味が分かったから。耳や体に有るものを痛みだと思わなくなったから。

「す、すみませーん…。」

以前は覚えなかった入りにくさがありあの頃がいかに子供だったかと思い知る。

「あーい。」
「お久しぶり、です…。」
「え?ん?あっ!?伊澄か!?うっわー背伸びたじゃん!!今高校生!?何年!?」

良かった、覚えてくれていた。あんな短い付き合いだったのに。

「えっと、今2年です。」
「前は敬語なんて使ってなかったろ。」
「いや、まぁ…流石に…。」

以前あった古びた皮張りのソファの場所には同じものはなく小綺麗なソファが置いてあった。

「ははっ、俺も歳とるはずだ。」

出されたのは麦茶だった。

「今日はどうした?」
「えっと…また彫って、欲しくて…。あっ勿論今度はちゃんとお金払うから…!」
「まあ別に金は良いんだけど…待ってろ何個か候補持って来る。」
「払うってば!」

少し待たされて机に広げられたのは以前彫ってもらったものから足されたデザインだった。それも、何枚も。

「これ…。」
「実はずっと伊澄に彫ったの忘れられなくてさー!身体が綺麗なのも相まってめちゃくちゃ良い出来だったから。だから本当に金は要らねえの。伊澄に彫るのは俺の趣味みたいなもんだから。あ、でも他の人には黙っといてね。」
「変態…。」
「何とでも言え!芸術家は大体変態だ!」

そう言いながら紙の束を纏めている名前さんは楽しそうで、自然と自分の頬も緩んでいるのを感じた。

「今日は本当にただ俺の趣味で彫りに来たから。」
「そうか。」
「多分、友達にバレたら怒られるんだけど。」
「良かったな。」
「…うん。」

今ならあの時名前さんが言ってた意味もちょっとは分かるよ。

「ありがとね、名前さん。」

心臓に穴はひとつも空いてないし焼けるような痛みもない。





「お。」

数年に一度会うか会わないか。しかし名前を忘れたことは無い。何年か前に気まぐれに声を掛け、めちゃくちゃな交換条件で彼の背中に作品を彫った記憶は消えない。
1度目、夕方の公園で見かけた時はただただ何も楽しいことは無いと言いたげなその目が気になった。近寄ると見える耳にはただの穴があった。端正で小さな少年にはアンバランスでそして倒錯的だった。このまだ成長途中の幼い身体に傷をつけれたらそれほどの快はないだろう。悪い大人は子供を誑かしそしてそれにまんまと引っ掛かる。
2度目はそれを彫る時だった。時折痛ましげな声を上げるものの止める気はどちらにも無かった。完成した物を喜びながら心ここに在らずと言った目は変わらなかった。それを傷だと思う気持ちは分からないわけではないのだ。ただその傷が幻であると気付くのが難しいだけで。
3度目は最後に会ってから数年が経っていた。すっかり背が伸びた伊澄はすっかり成長していた。以前よりどこか晴々とし楽しげな雰囲気を持つ様になったのは一体誰のおかげか。今度は完全な趣味と言う言葉に嘘偽りはなく、何年か前の俺の言葉が分かったのだろう。
それから何年かに一度、伊澄は顔を見せに来た。アクセやタトゥーの話をするだけだったり、学校の事だったり。頻繁ではないがそれでも彼なりに何かあって来ていたのだろう。麦茶しか出ないこの辺鄙な場所で、歳も離れた高校生からすればおっさんみたいな俺と話していて何が楽しいのか。それでも初めて会ってから何年も経った今でも関係は途切れる事はなかった。
ポストに入っていた一枚のハガキ。そこには以前見た時より髪が短くなり背の伸びた姿と、見慣れないショートカットの女性の姿。喜ばしい報告の一文と共に手書きで一言、感謝の言葉とまた近々寄ると書かれていた。まさか当初中学生だった彼からこんな知らせが来るとどれが思っただろうか。わざわざ俺なんかにまで律儀に送られてきたハガキは幸せで満ちている。

「おめでとさん。」

これからも幸せでありますように。