狸寝入りもお手の物

私は横の席の人の顔を見たことがない。正確には起きている時の顔。朝から放課後までぐっすり机に突っ伏して寝ている。移動の度に誰かが彼を運んでいるし昼休みも起きてはいるみたいだけれど目を閉じて口が小さく動くだけ。部活動ではさすがに起きているのかと思うけれど私にあの人集りのすごいフェンスに近づく勇気もない。

そんな芥川君の横の席になってはや数週間。私はなんとなく彼の起きている姿に興味があった。彼が一体何があれば起きて何が好きで何を考えているのか一切分からないのだ。先生も彼を当ててくれれば起きる可能性もあると言うのに何を遠慮してか先生は彼を当てることはない。彼を起こしにくる人達も最後は諦めて運んでしまう。隣の席で眠っている彼の起きている姿を私は卒業までに見ることができるのだろうか。

「おいジロー起きろ〜部活だぞ〜。」
「お前最近寝過ぎ。」

部活前の僅かの時間にはもう恒例となった芥川君を起こしに来た2人の声。宍戸君と向日君はどうやら彼の幼馴染らしい。らしいと言うのも何となく耳に入る会話からしか彼の情報は入らない。それにしても最近寝過ぎということは以前はもう少し起きていたのだろうか。私が芥川君の横になる前までの睡眠のサイクルを知らないから何とも言えないのだけれど。それにしてもこの状態からいつもどうやって部活動をしているのか甚だ疑問である。

「跡部が、起きてちゃんと来たら俺様が直々に試合してやる、だってよ。」
「マジで!?」

突然ガタリと大きな音と聞きなれない大きな声が耳に入る。音の出所を探るとそれはどうやら横の席らしく、つまり芥川君から発せられたということ。思わず驚いた顔を隠せずに芥川君の方を見るとキラキラとした笑顔でさっきまで寝ていたとは思えないようなスッキリと明るい顔で立ち上がっていた。寝ている時からは想像出来ないその顔をつい凝視しているとどうやら芥川君含め3人が私の視線に気付いた。

「おいジロー、急に大きな音立てるな、横の子ビックリしただろ。」
「悪いなうるさくして。」
「え、ううん、大丈夫だよ。」

宍戸君と向日君の言うことは勘違いで全くうるさいなんて思っていないけれど、ビックリしたのは芥川君の起きた姿だとは流石に言えなかった。そんな話の渦中の芥川君は先ほどの一言以来何も喋っていない。どうしたのかと思い彼を見ると立ったまま顔面を蒼白にしていかにもやってしまった、という顔をしていた。

「 ジロー?どうした?」

宍戸君の呼びかけに返答はなく緩々と視線が何故か私に向くとジワジワと侵食されるように芥川君の頬が緩く赤く染まっていく。何だか私も恥ずかしくなってジワリと頬に熱が集まっている気がしてしまう。

「芥川君…?」
「あーもう、やっちゃった!!折角今まで我慢してたのにー!!」
「え?」
「何言ってんだお前。」
「だってずっと見てくんだもん!!」

そう言い刺された指は真っ直ぐ私に向いていた。芥川君はそっぽを向いて顔の赤みを隠そうとしていた。それより彼は私が見ていることに気づいていたらしい。ということは起きていたということだろうか。そして起きていたのにも関わらず私はそれに気づかずにずっと見ていたと。

「ごっ、ごめんなさい、そんな見てる、自覚はあったけど寝てると思ってたから!気持ち悪かったよね、ごめんなさい!」
「違うCー!!」

幼馴染の2人も芥川くんの言いたいことが分からないらしく彼以外は首をかしげるしかなかった。だってじっと見られてることは私だって嫌なことだ。そんなことわしてしまっていた私は申し訳なくて仕方がないし、見られていた方も見ていた方も恥ずかしいに決まっている。

「…苗字さんずっと俺の方見てたじゃん。」
「はい…見てました…。ごめんね。」
「だからあ!!嫌なんじゃなくて、寝てたらずっと見ててくれるのかなーって思ってずっと寝てたのに!!」

声を荒げる芥川君の言っていることがイマイチ分からない私はどんどん首の角度が曲がっていく。宍戸君と向日君は何やら呆れているようだった。

「ジロー、順番に話せ。訳がわからん。」

向日君の一言に少し冷静になったのかもう一度私の方を見ると静かに指は降ろされた。力が抜けたように落ちた体は椅子に預けられ一度引いたと思われた芥川君の頬の熱は再び上昇していた。

「…最初はさ、俺がずっと寝てるのが面白いから見てると思ってて、そのうちどうせ飽きて見てくるのやめるかなって思ってたんだけど。でも全然やめないし、それだけ見られてたら流石の俺でも熟睡は出来ないし。寝てるから見られてるって逆に起きたら見てもらえないじゃんって。」
「つまり、何。お前はこの人に見てて欲しくてここ最近ずっと狸寝入りしてたってこと?」

向日君の言葉に静かに頷く芥川君の顔は真っ赤できっと私の顔も同じくらい真っ赤に染まっているに違いない。

「俺のこと見てる時苗字さん、スッゲー楽しそうで優しそうな顔してるC……あんな顔で見られたら、ねえ?」

恥ずかしそうにこちらに笑う芥川君の顔に私はどうしようもなく大きく胸が高鳴った。そんな顔は反則だ。寝ていた彼からは想像出来ないほど芥川君は明るくて楽しそうで沢山の表情があってカッコ良くて。全くもってこんなつもりじゃなかったのに。

「私はずっと起きてる芥川君に会いたかったです。」
「はじめまして、俺ジロー。起きてる俺でも見ててくれますか?」

嬉しそうに笑いながら言う何ともおかしな芥川君の告白は私にきちんと届いて、私の中にはもう起きている芥川君と寝ていた芥川君、つまるところ芥川君でいっぱいになっている。

「はじめまして、一目惚れしました。」



「ところで俺これスゲー怒られると思うんだよな。」
「跡部の野郎ジローには甘いからなあ…。」