実は俺も痛いんだ

「谷原。」

そう俺を呼ぶのはこの学校では珍しく見るからに真面目と言った風貌の人間。痛むことを知らないような綺麗な黒い髪は首のあたりで切り揃えられている。瞳の大きな目は厚めのフレームのメガネで遮られていた。この男は苗字という。

「…何。」

真面目な人間というだけで俺には苦手意識がある。割と法に触れることもしてきた、頭も良くはない。どう足掻いても不真面目、悪く言って不良と呼ばれる俺とは相性が良いとは思えなかった。そしてそんな俺に真面目そうである苗字が俺を怖がるでもなく普通に喋りかけて来るとは思ってもいなかった。

「一緒帰ろ。」
「いーけど…。」

そんなことを思って居たのも数ヶ月前までの事で今となっては気にならないことだった。そもそも苗字と出会ったのは3年の時のクラス替えでそれまで知りもしなかった。そして半年経ったあたりから何故か話しかけてくるも当時の俺は過去の同級生を彷彿とさせる苗字を毛嫌いして居た。しかし苗字は懲りずに俺に話しかけてくるのだ。更に数ヶ月後、色々とあって俺は過去の同級生とのわだかまりが消え普通の友人になった。とすると理由もなく苗字を毛嫌いできなくなり、根気よく話しかけてくれて居た苗字に返事をするしかなかった。

実際話してみると苗字はあいつとは全然違った。俺に喋りかけてくるぐらいだから割と肝が座って居るが見た目通り真面目で誰かみたいに明るい人間でもない。だからといって俺に害があるわけでも無かった。空気は読める奴だったから苗字は決まって俺が1人の時に声をかけてくる。そんな奴を知らないから、だけでは無下にできなかった。

「お前って何で俺に話しかけてくんの。」
「…嫌だった?」
「そう言うわけじゃねえけど。」

不安そうに瞳を揺らしながら真っ直ぐに俺を見ながら聞いてくる。真面目なせいかいつも話す時はきちんと苗字は目を見て話そうとしてくるがどうにも慣れずつい目を逸らしてしまう。

「谷原って優しいから。」

そんなことを言われるとは思ってもみなかった。だって俺はいじめに近い事もしたことがあっていい奴なんてことは絶対なくて。

「…優しいとか、初めて言われたわ。」
「じゃあみんな気付いて無いんだ、勿体ない。」

あまり苗字の表情が動くところを俺は知らない。そんな苗字の珍しく嬉しそうに笑った顔は新鮮でいつもこんな顔をしてれば良いのにと思ったが口に出すにはあまりにも恥ずかしかった。

それにしても俺は苗字に何かした覚えは無いし何故そんな風に思うのか思い当たる節が無い。

「覚えてないだろ。」
「おう…。」
「廊下で転んだ俺の手取ってくれて荷物も一緒に拾ってくれたんだよ。」
「え…そんだけ?つか覚えてねえ。」

あまりにも小さな出来事。どれだけ記憶を辿っても見つからない程の。きっと助けた日の俺は目の前で転ばれて見てられなかっただけなのだろう。大した意味なんて無かった。それを苗字は今でも気にしていたのか。

「それだけだよ。正直それまで俺谷原苦手だったんだよね。俺と正反対だと思ってたし、怖そうだったんだよね。でも案外優しいし普通だったから。なんか俺酷いやつじゃん知らないのに勝手に嫌うって。でも知ったら気になっちゃってさ。仲良くなってみたいな〜って。…なんか恥ずかしいねこういうの。」

はにかむ苗字の顔を見て居られなくて、そして恐らくこの頬の熱で赤くなっているだろう俺の顔を見られたくなくて思わずしゃがみ込む。こいつは何故こんな恥ずかしいことをいとも簡単に言ってしまうんだ。

「谷原?どうした?お腹痛い?」

道路の端でうずくまる俺に見当違いな心配を苗字を盗み見ると本当に俺を心配しているようで1人だけこんなに恥ずかしくなってるのが馬鹿みたいになる。

似ていると思ってしまったんだ。俺と同じだと。それだけでやけに近く感じてしまう。そして俺には無い度胸や優しさのある苗字が眩しくて仕方ない。

「痛くない…。」
「そう、良かった。」

ああやめろ。そんな安心しきった顔を見せないでくれ。普段学校でそんな笑わないくせに。何処か体の中が破裂する様に痛みだす。俺はお前なんか苦手なんだ。頼むから、まだ痛みの正体に目を向けるほどの余裕はないから待ってくれ。

「…帰るぞ。」
「うん。」

俺自身が気づかない様に、苗字に気づかれない様に装いながら再び歩き出す。もう少しだけ待ってて欲しいんだ。そうだな、とりあえずお前のことを苦手とは言わなくなるから。友達だと恥ずかしげなく言えるようになった時には痛みの正体を探ってやろうと思う。